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回顧ー「朝鮮半島に平和を!大討論会」  ④ー鄭ヒスン編

2011年07月22日 | NPO三千里鐵道ニュース
★在日一世の介護事業をしながら、財政難で閉館した丹波マンガン記念館再会館(7月から)、耳塚の管理清掃のボランティアなど幅広い活動をしている。
清水寺住職や大学教授、学者とも交流する、名実ともに京都の名士だ。気合いが入ると必ずチマチョゴリを着るが、このは普段着姿で遠く名古屋まで来られた。N


“ハルモ二たちを統一した故郷につれて行きたい”


       京都コリア生活センター『エルファ』理事長・鄭ヒスン女史


私は愛知県瀬戸市で生まれて、今は京都に40年以上住んでいます。私は、自分の家族、自分の視点から統一を見つめてみたいと思っています。

私は8人兄弟の7番目です。アボジ、オモニが生きていれば110歳ぐらいになります。自分も70歳ちかくになりました。
私はずーと民族教育を受けました。その間、私の家族は南と北、日本に、あるいはアメリカ、イギリスに行ったりして生きてきました。
その中で私は、ちょうど朝鮮戦争の前の1948年にバラック建ての朝鮮学校ができて間もなく、朝鮮学校への閉鎖命令が下された時、警察が包囲して先生が引っ張られて行き、高学年のお兄さんお姉さんがトラックに乗せられて、警察で1日、2日拘留されたのを見てきました。

大きくなって大学で歴史を学んで整理する中で、個人と祖国、個人と祖国統一ということを、すごく身近に感じています。実は、一番上の姉が、解放直前に結婚して、解放とともに韓国のチンジュに帰りました。そして、朝鮮戦争のときに死にました。そういう中で、国の運命が、民族の運命が、一つの家庭を悲しませたり、喜ばせたりしているということをとても感じています。

今、私は、一世の高齢者たちの介護の仕事と障害者の共同作業所をしていますが、「統一なんかいいじゃないか」という人もいます。でも、韓国からお客さんが尋ねてきて、ハルモニたちを激励すると、結局そうではないんですね。韓国にいる兄弟に会いたいし、北にいる娘の家族に会いたいし、本当に運命的に統一というものが必要であることを日々感じているのですね。

そのたびに私は、自分の立ち位置で何ができるかということを考えました。私は自分の立ち位置で、自分が交じわえる範囲の人達と、思想とか信条とか政治とかというものから離れて、人間として交じわることに努めました。そうすると、日本の人ともそういう関係ができるし、行政だとか政治家ともそういう関係を持てます。やっぱり人間を大事にすることから、統一を願うのです。みんな何処かで統一を思っているけど、あきらめているハルボジ、ハルモニが「もうでけへんわ」って言いますが、心の奥底は違うのです。

私の70年ちかい人生の中で、統一を身近に思ったことが3回ありました。
私の人生で4.19は高校3年生のときでした。学生たちが「カジャ プグロ オラ ナムロ(行こう北へ、来たれ南へ)」と叫んだとき、もう統一できると思いました。統一が来ると思ったんですが、…流れました。その後70年代の7.4宣言がありました。特に11年前の南北共同宣言は、今でも忘れられません。
ちょうど『エルファ』を立ち上げて間もなく南北共同宣言があって、金大中大統領と金正日国防委員長が手を握り抱き合ったとき、もう統一が来ると思いましたね。センターでテレビを見ながら「マンセー、マンセー」と叫び、抱き合って喜びました。みんな泣いていましたし、統一はもうすぐだと思ったのです。当時の総連の講演会なんかでは、「統一はどこまで来たか、統一は鶴橋まで来た」と言って笑いあっていました。本当に統一は身近な夢として迫っていたように感じました。

私は今でもあきらめていません。センターの一世たちが生きているうちに、統一されれば良いなと願っています。
私のアボジは「アア、懐かしい祖国よ! 自分は逝くが残ったもの達は、必ず統一された祖国に行け」という遺言を書いて、子供達にくれました。亨年70歳(1974年)でした。
…実は、ノムヒョン大統領のときに私達は朝鮮籍で墓参りに2回行ってきました。政治のことはよくわかりませんけど、イミョンバク大統領になって、朝鮮国籍を持っているので墓参りに行けません。申請しても。断られます。領事館に何回行っても、今はもうだめです。
人間の幸せ、先祖を敬う気持ちを大切にしたノムヒョン政権、金大中政権は良かったと、生活感覚、女性の感覚でそう思っています。私は先祖を大事にしたいし、お墓参りにも行きたいです。そういう気持ちで統一を願っています。

そういう意味で、三千里鐡道が、南北鉄道連結、平和・統一の夢を描いてやってきたことに、とても都相太理事長を尊敬していますし、私も自分の立ち位置でそういうことをやっていきたいと思っています。
エルファにいる150人ぐらいの一世の中には90代の人もたくさんいます。いま私の一番の願いは、この方たちも、自分達のふるさとに生きている間に連れて行ってあげたい、ということです。
これからもそのための運動には、進んで参加していきたいと思っています。

≪ 都相太理事長のエルファについてのコメント ≫

今、エルファ代表の鄭ヒスンさんからお話がありましたけど、実はあまり知り合って長くはないんですけど、たいへんな活躍をしておられます。
今、エルファに在日のハルボジ、ハルモニたちがたいへんお世話になっているのですが、そこに、イルボンサラン(日本人)が来るようになったそうです。どういうイルボンサランが来られるのかというと、日本の老人施設で、阻害された老人たちがエルファに来るそうです。どうして阻害されるかというと、個性がハッキリしていて、主張がハッキリしている、そういう人たちは日本の社会から阻害される。それで、エルファに来て朝鮮人たちと交わると非常に心地よく過ごしているということです。

こういう人たちを何というかご存知ですか。「在日日本人」がこういう人たちなんです。昔から私は、「在日日本人」とはどういう人かなと思っていましたけど、日本の社会から阻害されながらエルファへ来ているご老人たちのような方々だったんですね。
もう一つ加えますと、エルファには立派な宿泊施設がありまして、私も一泊お世話になりましたが、ほぼ無料で、布団代ぐらいで泊まらせて頂けますので、京都へ行きましたら、一度訪ねてみて下さい。

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