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"歴史は私たちの手で作り出すもの"-韓国日報

2011年07月06日 | 韓日関係関連消息
"歴史は私たちの手で作り出すもの"

丹波マンガン記念館の再会館に献身した黄義中氏

ソン・オクチン記者click@hk.co.kr

日本京都北部に'丹波'という地域がある。 日帝強制占領期間の時、数多くの韓国人が連行され、マンガンを手で掘った。 300kgを越えるマンガンを担って、坑道の中を四つんばいになって運んだ。

丹波マンガンを忘れてはいけないと、在日同胞1世故イ・ジョンホ氏が1989年に私財をはたいて作ったのがこの記念館だ. しかし慢性的赤字に苦しめられ、2009年5月閉館した。そして26日、2年ぶりに再開館した。

 その産婆役の一人が再建韓国推進委員会黄義中(57)実行委員長だ。

 彼は30年間高校(ソンドングローバル経営高)で国語を教えている。 昼間は授業をして、手があくと在日同胞の歴史を知らせる市民団体地球村同胞連帯で仕事をする。
"5年間日本で勤務する機会に、在日同胞らに韓国語と歴史等を教えました。 在日同胞らの歴史に関心を持った契機でした。"

彼は偶然に記念館の閉館消息を聞き、再開館にとりかかった。 1ヶ月に5,000ウォンずつ出す1,000人の後援者を集めて、1年間記念館運営費に当てると、活動開始!

だが易しくはなかった。 趣旨には共感する人々も、財布を開くことは躊躇った。 それでも、一人ひとり会って訴えた。 酒を驕ったことも…。
後援者1,000人を集め4月に再会館することが、当初の計画だったが延びのびになり6月になった。

"3月末なのに1,000人どころか370人余りしか集まらなかったです。 周囲では家売れとの声も…。"
そんな時、ドラマのようなことが起こった。 黄委員長の生徒さんがインターネットに丹波マンガン記念館の状況を知らせる文を載せたのだ。そのことが功を奏した。 この投稿がポータルサイトを中心に急速に広まり、後援者が一日に100人ずつ増えた。 高額後援者少数でなく小額後援者を多く集めて記念館を支援するという、ファン委員長の初心が守られる瞬間だった。
 去る23日には、不可能なようであったのが1,000人の壁を越えた。 今は運営費用意のために2次会員を募集している。

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