ノグチサトキ

名もなきギタリストの物語

どりばんな no 浅原さん

2012-06-19 | ご紹介・おススメ

京都のlivehouse「磔磔」のホームページには、

かなり昔のスケジュールまで掲載されてるから、思い出にひたるにちょうどいい。

今あらためて見たら、無名時代の、今や、かの有名人と対バンしてたりしてビックりしたり・・・。


「どりばんな」の浅原さんが、最近、復帰されたと「エデンno東」さんに聞いた。


浅原さんは、「あさはらかずなり」さん

「かずなりばんど」で「なりばんど」、「ど」と「な」が入れ代わって「どりばんな」

命名したのは、「おかげさまブラザーズ」のキンタさん


浅原さん率いる、息の長いバンド「どりばんな」に私が在籍してたのは昭和の終わり頃。

ボーカルが浅原さんで、ライトギターが、のちの“荒くれバンド”「マザーファッカー」の有馬のアリヤン、

ベースが“超絶”角田のツノッチさんで、ドラムが、ちょっと?年上イイダさん

で、私がレフトギターの5人組。

ストーンズで言えば、“エモーショナルレスキュウ”ぐらいまで?、みたいな感じ?の頃。


10代で京都に来て、始めてlivehouseに出れたのが、この「どりばんな」やった。

一番最初に出たのが、まだ今みたいにステージになってなかった頃の「拾得」、

出れた時は、それはもう嬉して嬉しくて

当時は、今と違って、livehouseも少なかったから、

出れたこと自体、ちょっとしたステータスみたいな感じがした。

京都、大阪、神戸、色んな所のlivehouseに最初に出れたのもこのバンドやし、最初に音源プレスしたのもそう、

年齢的にも、やって来たバンドの中で、「どりばんな」が、やっぱり、一番感慨深い。


その「どりばんな」のレパートリーは、作詞作曲、全部浅原さんが書いて、

その曲をそれぞれがセッション的に音を回しながら、固めていく感じで作ってた。

今聞いても、浅原さんの詞は、ほろ苦くて情緒的、聞いてる人のハートをつかむもんやったし、

楽曲としてもレベルもかなり高いものやったと思う。


練習は、週に二~三回、一度に四時間以上やって、隔週でliveしながら、頻繁にレコーディングもして、

色んなイベントや、ラジオとかにも出たり、

(テレビに出てたのは、私が抜けたあと。私も、ちょっぴり出たかった。)

生活そのものがバンド一色な、そんな毎日が、結構、長い間続いてた。


ホームページも携帯電話もない時代、出演交渉から、スタジオの手配、ポスター製作、

情報誌の取材応対に、ギャラの管理・・・、そんなこんなの段取りは、全部浅原さんが担ってた。


後になって、自分がそういう部分を多少なりとも担うようになってから、

浅原さんのことが、すごくよく解るようになったりして。


二十歳前の“うぶ”な私に、ロックミュージシャンとして?、バンドマンとして?の心構え?、

あんなこと、こんなこと、はたまた、そんなこと、とんだところ・・まで、教えてくれたのも浅原さん。

今、こうして?ギターが弾けて、バンド出来たりしてるのも、ある種、浅原さんのおかげやとすごく感謝している。


浅原さんとアリヤンと三人、よく連なってたのがナツかしい・・・。

浅原さんの“女たち”がナツかしい・・・。

アリヤンが連れてた“モデルの美人”がナツかしい・・・。

知らない女の部屋で、三人“川の字”になって寝てたのがナツかしい・・・。

ギャラを全部“飲んだ”アリヤンのせいで、ご飯が食べれなかったのがナツかしい・・・。

浅原さんが買ってくれたパンを三人で食べたのがナツかしい・・・。


う~ん、思い出したら、かなり懐かしい。


サトキやから“サック”、

浅原さんがつけた私の愛称

夜の自動販売機やないんやから、あれは、ちょっと勘弁してほしかったけど


そう言えば、かれこれ長いこと会ってない・・・。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど (宮G)
2012-06-20 00:14:39
練習して音固めてライヴに挑む。
わかりますわ。

どりばんな……カッコいい。
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Unknown (Yasuo)
2012-06-20 08:02:01
どりばんなは『カッコいい』がホントに似合うバンド。また、観てみたい。
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