サテュロスの祭典

神話から着想を得た創作小説を掲載します。

兎神伝〜紅兎二部〜(11)

2022-02-02 00:11:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(11)御帰

酉の刻…
宮司屋敷(みやつかさやしき)を出たは良いものの…
夕闇が色濃さを増す庭先を一人ふらつきながら、まだ、宿坊に入るのを躊躇っていた。
拾里では、愛と過ごした安らかな日々ばかりを思い出していた。
愛に抱かれ、初めて深い眠りにつけた日々…
百合と眠るのも安らかであったが…
愛の腕がたまらなく恋しかった。
『ねえ、親社(おやしろ)様は、愛ちゃんと百合さんと、どっちが好きなの?』
菜穂に尋ねられた時、答えられなかった。
百合とずっと一緒にいたいと願いつつ、愛の温もりが恋しくてたまらなかった。
しかし…
いざ帰って来てみると、なかなか愛の元に行けない。
愛は、私に多くのものを与えてくれた。
幼い頃、百合が与えてくれたのと同じものを、この年になって、愛が私に与えてくれた。
だのに…
助けてやれなかった…
守ってやれなかった…
何もしてやれなかった…
私がした事と言えば…
脳裏には、在りし日の父の姿が過って行く。
私が座視する前…
『寝ろ。』
父は、引き摺るように連れてきて百合に、大きな寝床に寝るよう命じた。
寝床の周囲を、十人の教導官(みちのつかさ)達が取り囲み、百合を冷徹な眼差しでジッと見据えている。
百合は、教導官(みちのつかさ)達を見渡すと震え出し、救いを求めるような涙を浮かべた眼差しを私に向けてきた。
『何してる、さっさと寝ろ!』
父は、いつまでも震えて尻込みする百合に、痺れを切らせたように声を張り上げると、百合を思い切り蹴飛ばして、寝床に転がした。
すると、教導官(みちのつかさ)達は一斉に着物を脱ぎ、蟻の如く小さな百合の身体(からだ)に群がり出した。
『イィィーッ!イィィーッ!イィィーッ!』
百合は、教導官(みちのつかさ)達に身体(からだ)を弄り回され出すと、食いしばる歯の間から呻きを漏らし出した。
『これから、兎の扱い方を教えてやる。よく見ておけよ。』
父も着物を脱ぎながら、私に向かって言うと、ゆっくり百合の身体に向かって行った。
『脚を拡げて、あいつに見せてやれ。』
父が命じると、教導官(みちのつかさ)達は百合の小さな脚を大股に拡げ、私に向けてきた。
『まずは、神門(みと)を大きく開いて、参道を通りやすくする…』
父は言うなり、指先で仄かな薄紅色した小さな神門(みと)のワレメを拡げて見せた。
『イッ…イッ…イッ…』
百合は、これから始まる事を予測してか、涙目で父の指先を見つめながら、食い縛る歯の間から低い声を漏らして一層激しく震えている。
父は、神門(みと)のワレメ先端の包皮をめくり上げると、あるかなしかの小さな神核(みかく)を直に摘み出した。
『アーッ!』
百合が思わず顎を反らせ、身を退けぞらせて声を上げると、教導官(みちのつかさ)達は動けぬよう力強く押さえつけた。
父は更に乱暴に神核(みかく)を摘み上げ、抓り上げてゆく。
『アーッ!アーッ!アーッ!』
百合は、押さえつけられた身体(からだ)を必死に踠かせながら、首を振り立てて声を上げ続けた。
『動くな!大人しくしろ!』
父は怒鳴りつけながら百合の頬を二発か三発叩くと、徐に百合の神門(みと)のワレメを更に拡げて、参道に指を突き刺した。
『アァァァァーーーーーッ!!!』
百合は、凄まじい声を上げるや、海老の如く腰を跳ね上げ、身体を捩らせた。
父は、そんな百合に一片の容赦もする事なく、刺した指で参道の中を掻き回していった。
『アァァァァーーーーーッ!アァァァァーーーーーッ!アァァァァーーーーーッ!』
必死に腰を跳ね上げ、身体を左右に捩らせ踠く、百合のつんざくような絶叫が、室内に響きわたる。
しかし、それはまだ始まりに過ぎなかった。
『このくらいで良いだろう。』
父は存分に掻き回し、真っ赤に充血した神門(みと)のワレメと中の参道を見つめて言うと、いきり勃った穂柱を、ゆっくり近づけていった。
『イッ…イッ…イッ…』
父の穂柱が、参道に捻り込まれ出すと、百合はまた、食いしばる歯の間から、呻きを漏らし出す。
やかて…
『アァァァァーーーーーッ!キャーーーーーッ!!!』
父が参道の奥まで穂柱を突き刺し、激しく腰を動かし始めると、百合はまた、室内を破裂させるような絶叫を上げた。
それは、永遠とも思われる刻の中、延々と続けられた。
父がこれ以上放てなくなるまで、何度も百合の中に白穂を放ち終えると、それまで百合を押さえつけていた教導官(みちのつかさ)達が入れ替わり立ち替わり百合を貫いた。
教導官(みちのつかさ)達は皆、少なくとも五回以上は百合の中に白穂を放った。
存分に放ち終えた教導官(みちのつかさ)達も、また息を吹き返すと、今度は百合の口や尻の裏参道に穂柱を捻り込んでいった。
『どうだ、気持ち良いだろう?うん?気持ち良いだろうと聞いてるんだ!』
父は、参道も裏参道も口腔内も、白穂塗れになり、息も絶え絶えの百合の頬を打ち据えながら、怒鳴りつけるように言うと…
『気持ち…良いです…』
『もっと、して欲しいだろう?』
『もっと…して…欲しいです…」
『聞こえない!』
『もっと、して下さい!』
百合は、涙目で叫ぶように言った。
すると…
『良い子だ、良い子だ。それじゃあ、もっとしてやろう。』
父は大きく頷きながら言い、既に何十回、小さな参道と裏参道と口腔内に放ったか知れない穂柱を、再びいきり勃たせて、白穂と血に塗れた参道に捻り込んだ。
『アァァァァーーーーー…』
百合は、最早声にならぬ声をあげながら、弱々しく身体(からだ)を捩らせる。
私は、拳を震わせながら、父達に弄ばれる百合の姿を見続けた。
あの時も…
何もできない自分に苛立ちを覚えていた。
『何目を背けてる、しっかり見ないか!』
百合の三つの孔に何十何百放ったとも知れぬ父は、側に来るなり私の髪を掴んで、百合の方に目を向けさせた。
『イギッ!イギッ!イギッ!イギギギ…!』
四つん這いにされた百合が、再び三人の教導官(みちのつかさ)達に表参道と裏参道と口とに同時に穂柱を捻りこまれていた。
他の教導司達は、横から百合の膨らまぬ胸や胸の突起を抓り上げ、百合の手に穂柱を握らせたりしていた。
『ほらほら!しっかり舌を使わんか!舌を!そうそう!そうやって、先っぽを中で舐めるんだ!』
百合の口に入れてる教導官(みちのつかさ)は、何度も何度も百合の頬を打ち…
『何、力抜いてる!しっかり中で締め付けろ!』
『そうだ、そうそうそう…入れる時は力抜き、出す時は絞るように力をいれるんだ!』
百合の表参道と裏参道を抉る教導官(みちのつかさ)二人は、百合の尻や腰を激しく叩きながら、どやしつけつけていた。
『良いか、兎を甘やかすなよ。女は幼い内から穂供(そなえ)られる事で鍛えられ強くなる。天領(あめのかなめ)の女達が、少しばかし無理やり穂供(そなえ)されたぐらいで自殺したり発狂するのはな、慣れてないからだ。こうやって、幼いうちから穂供(そなえ)に慣らされれば、少しばかし強引に(そなえ)されても自殺などしない強い女に育つんだ。』
父はそう言うと、いきなり私の着物を脱がせ始めた。
『さあ、次はおまえだ。おまえが、百合を強く強く鍛え抜くんだ。』
やがて、百合の口と表参道と裏参道を貫いていた三人の教導官(みちのつかさ)達が同時に中で放つと、父は引き摺るように私を百合の側に連れてきた。
口の中に放たれた白穂にむせる 百合が、涙目で私を見つめる。
『さあ、どの参道から通りたい?表参道か?裏参道か?それとも上の参道か?今日は三つとも通してやるぞ。それぞれ、違う味がするからな。』
私に拒絶する選択肢は与えられていなかった。
拒絶すれば、私ではなく、百合が拷問のような仕置をされるからだ。
何もできない自分…
言われるままに百合を穂供(そなえ)する自分…
何故存在してるのだ…
何故生きているのだ…
消えてしまいたい…
死んでしまいたい…
震える手を百合にかけながら、私はいつも思い続けていた。
『でかしたぞ!見事、的を当てたな!』
穂供(そなえ)の最中…
百合の中に放たれた瞬間、百合が私の胸の上に思い切り嘔吐するのを見て父が歓喜の声をあげた。
風は一段と冷たくなり、日が最も短い時期に近づいている。
今年も来月いっぱいで終わりを迎える。
そして…
兎神子(とみこ)達にとっては、最も忙しくなるのもこの時期となる。
年末年始に備え、社(やしろ)では数多の祭礼がある。
祭礼の最中、兎神子(とみこ)が懐妊する事は、とても縁起良い事とされている。
特に、年末年始の懐妊は、神領(かむのかなめ)において最高の吉事とされている。
穂供(そなえ)の最中、兎神子(とみこ)が悪阻を起こす事を、的当(まとあて)と言って、これまた、とても縁起良いとされている。
その時、兎神子(とみこ)に穂供(そなえ)をしていた男は、見事、その穂を当てて身篭らせたとされ、爺祖大神(やそのおおかみ)より大きな加護を得られると言うのである。
殊に…
年末に身篭らせた仔兎神(ことみ)は、丁度、顕中国(うつしのなかつくに)を平定した国築神(くづきのかみ)が、年に一度、天領(あめのかねめ)から帰国する神帰月(かむがえりつき)に出産を迎える。
国築神は、神帰月に出産した兎神子(とみこ)に的当した男を大いに祝し、次の一年、爺祖大神の加護とは別に、数多の恵みを与えると言われている。
実際に、そのご利益が如何程のものから定かでない。ただ、実際、的当をした男には、様々な玉串や初穂を減免される。殊に、年末に的当をした男は、本人だけでなく、一族共に一年間、全ての玉串と初穂を免除された。
最も…
それは、あくまでも、的当された兎神子(とみこ)が、確実に丈夫な仔兎神を産んだ場合である。流産、死産…仮に出産しても、障害や病を持っていれば、玉串や初穂の減免はなしである。
要するに…
的当を狙った男達に、こぞって兎神子(とみこ)の穂供(そなえ)に来させ、多額な玉串料を払わせる事を目当てにした伝承である。
『馬鹿馬鹿しい風習だ…何もかも…』
ドサッ…
物が落ちる重たい音…
振り向けば、楓の梢から、積もった雪が落ちていた。
『白い花…』
梢と言う梢に積もる雪を見て、私は心の中で呟いた。
早苗は、梢に積もる雪を見て、いつも白い花が咲いたと言って、はしゃいでいた。
同時に…
楓の葉が赤子の手に見えていた早苗は、雪が積もると、霜焼けして可哀想だとも言って、枝先と言う枝先に、小さな手袋をかけたがりもした。
『あの子の懐妊は、五人目を除いて全て的当であったな…』
ふと、そう思う。
早苗の中に思い切り放った瞬間、四人目の妊娠を告げる悪阻の嘔吐をするのを見て…
『おい、見てくれ!見事、的を射抜いてやったぞ!これで、こいつに射抜いたのは二度目だぞ!』
歓喜の声をあげたのは、かつて、三人目の懐妊を告げる悪阻の嘔吐をした時、四人係で早苗を弄んでいた男達の一人であったと言う。
あの時…
四人は、それぞれ、的を射抜いたのは自分だと主張して譲らず、結局、四人とも的当による減免を得られずに終わった。
その口惜しさもあってか…
『どうだ!これでわかったろう!あの時も、的を射抜いたのは、この俺だ!この俺が、こいつを二度も射抜いてやったんだ!ざまあ、見やがれ!』
苦しそうに嘔吐する早苗の傍で、得意げに自慢し続ける脂ぎった男のニヤケ顔が、脳裏を過ぎり続けた。
最も…
早苗は、その四人目に出来た子は、当時、毎日のように早苗を抱いていた貴之だと信じ切っていたのだが…
私も、所詮は父の血を引く者なのだろうか…
苦しむ早苗を見て、的を射抜いたとはしゃいでいた男と同じなのだろうか…
白穂を放った瞬間、百合が私の胸に嘔吐し…
愛もまた、白穂を放った瞬間、私の胸に嘔吐した。
的当(まとあて)…
穂供(そなえ)…
神饌共食祭…
悍しい風習だ…
「よう、名無しー。」
不意に、嗄れた声に呼び掛けられた。
「ジュン。」
振り向くと、角ばった面長な顔が、元々細い目を一層細めて笑いかけていた。
まだ、四十代半ば過ぎだと言うのに、縮れ毛の豊かな髪は、殆ど白髪である。
鱶見社領(ふかみのやしろのかなめ)を支配する鱶見和邇雨家は、代々、神軍官(みくさのつかさ)の家系である、河曽根鱶見家(かわそねふのふかみのいえ)、河泉鱶見家(かわいずみのふかみのいえ)、河渕鱶見家(かわぶちのふかみのいえ)、何かの棟梁(むねはり)の中から、鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)の産土神職(うぶすなみしき)筆頭である鎮守社宮司(しずめのもりのやしろのみやつかさ)と、大連(おおむらじ)と呼ばれる、鱶見全社領(ふかみのすべてのやしろのかなめ)における神漏(みもろ)筆頭を輩出していた。
故に、この三産土神職家(みつのうぶすなのみしきのいえ)を総称して、鱶見御三家(ふかみのごみつのいえ)と呼ぶ。
純一郎は、鱶見御三家の一つ、河泉鱶見家(かわいずみはかみのいえ)の者とは言え、下級某系の産まれであった。
故に、鎮守社宮司(しずめのもりのやしろのみやつかさ)や大連など望むべくもなく、産土町内(うぶすなのまちうち)で下級官吏につければ良い方で、おそらくは名ばかりの官位(つかさのくらい)を得て終わりと思われてた。
しかし…
名門でありながら、下級某系の身にあった彼は、若き日より、和邇雨家(わにさめのいえ)の圧政と貧困に苦しむ末端領民の暮らしを知り、改革の志に燃えていた。
殊に、下級一門にとって、唯一の出世の道とも言える親社神職(おやしろみしき)の道を志す最中…
占領軍と接触する機会が多かった彼は、占領軍本国である洋上大鷲国(なだつかみのおおわしつくに)の掲げる民主主義なる教えに強く感銘を受け、いつか鱶見社領(ふかみのやしろのかなめ)…いや、神領(かむのかなめ)全てを、大鷲国(おおわしつくに)のような体制にするべきと考えるようになっていった。
改革の志…
大望を抱くのは簡単だが、実現への道は荊の道である。殊に、不正を嫌い、賂になると思えば、出されたお茶一杯すら口にする事を憚る清廉な彼が、数多の嫡流一族を退け、河泉産土宮司(かわいずみうぶすなのみやつかさ)の座と、本社権宮司(もとつやしろのかりのみやつかさ)の地位を得るのは、生半可な苦労ではなかったのであろう。
「名無しー、何こんな所で油売ってるんだ。愛ちゃんが首を長くして待ってるぞ。」
相変わらず、屈託のない物言いである。
気さくな笑顔と言い、凡そ、四十半ばにして白髪と化すような苦労を重ねてきた人物とは思えない。
「まだ、十二歳で赤子を産み、頼みのお前に去られ、一月も過ごさねばならなかった心細さ、わかるか?」
「わかるかって…
子供抱えた女房に、不倫で産ませた子まで押し付けて、何年も放して権力抗争に明け暮れていたおまえが、それを言うか?」
私が苦笑いして答えると…
「不倫で産ませた子とは失敬なー!あれは純愛だよ、純愛。妻もあいつの事は認めてくれてたし、病で早生したあいつのを子を、我が子として引き取りたいと言ってきたのは、妻の方だぞ。
純愛と不倫を混同しないで欲しいなー。」
「ものは言いようだな…」
私が苦笑いすると…
「おまえこそ、愛を一つに限定するもんじゃあないよ。同時に複数の人を純粋に愛する愛と言うものもあって良いだろう。」
純一郎は、人差し指を指揮棒のように、往生に振りながら、熱弁を振るい出した。
「カズ君を見習いたまえ。トモちゃんとナッちゃん、二人とも純粋に愛していただろう。アケちゃんなんか、大したもんだぞ。見世物でも良いからカズ君に抱かれたくて、皮贄の奉納を自ら志願したんだろう?にも関わらず、かく言う我が倅の進次郎にも…」
「拙者が如何なされましたかな?」
不意に…
一度話したら止まらない純一郎の弁舌を、凛として澄み渡った声が断ち切った。
「おーっ!進次郎、来ておったのか!」
「来ておったのかでは、ござらぬ。アケちゃんの健気な想い、父上の情事と一緒にされては、アケちゃんが可哀想でござる。」
「おいおい、おまえまで、私の純愛を…」
進次郎は、澄まし顔で、純一郎の言葉を聞き流しながら…
「サナちゃんへの負い目でござるか、名無し殿?」
相変わらず、射るような鋭い眼差しを向けて、私に言った。
「それとも、太郎君達、神饌組への負い目でござるか?だとすれば、彼らの純情、純愛への愚弄も甚だしゅうござる。」
答える代わりに、固く目を瞑る私は、ふと、威勢の良い本社領(もとつやしろのかなめ)のガキ大将を思い出す。
河本産土町産土宮司(かわもとのうぶすなのまちのうぶすなよみやつかさ)、河本棟梁龍太郎首鱶見神軍大佐橋龍和邇雨神祇中祐申(かわもとのむねはりりゅうたろうのおびとふかみみいくさのおおいすけはしりゅうわにさめのみかみのなかのじょうさる)の嫡男、太郎…
赤兎になる前から、愛に仄かな想いを抱いていた、乱暴だけど純情な少年…
悪さをしては、三つ年下の愛に怒られしょぼくれていた少年…
赤兎になってからの愛を、いつも必死に守ろうとしていた少年…
私は、彼の事も随分と傷つけてしまった…
『やい!名無し!テメェ、見損なったぜ!テメェ、愛ちゃんの何にもわかってねえんだな!』
私が、太郎に愛を抱かせようとお膳立てした時、残して去った捨て台詞が、今も耳の奥底に響いている。
「愚弄してんじゃねえ!こいつは、男じゃねえだけだ!」
不意に、懐かしい、威勢の良い罵声が聞こえてきた。
「やあ、太郎君!」
私が振り向いて言うと…
「てやんでえ、べらぼうめ!俺っちは、女を泣かす男がでぇきれぇ何でぇ!てめぇに、気安く呼ばれる名なんぞ持ち合わせてねえぜ!」
威勢よくたんか切る小柄な少年は、眉をVにして、まくし立てた。
「八つの時から、小さな胸に抱いた恋心。ひたすら想いを寄せた男の前で、来る日も来る日も数多の男にオモチャにされる幼い女心、テメェにわかるか?」
純一郎と進次郎が神妙な顔をして、全く同じ格好で腕組みして並び、示し合わせたように、一緒に頷いている。
そんな二人の前で、憧れの兄貴分、進次郎を真似て、背中に大きな『誠』の文字を刺繍した藤紫の羽織を着た小柄な少年は、尚も口が止まらない。
「その挙句…何が何でも身篭らせろと上からお達しがきて、やっと想い人に抱かれると思いきや、何と何と、別の男の子を孕ませろと、想いを寄せる男に命じられ…
何と切ねえ話じゃござんせんか!」
私が思わず絶句すると…
「よう!兄弟!」
新たな声に、私はビクッとした。
「おう!リュウ兄貴!」
太郎は、三つ年上の竜也(りゅうや)を見つけるや、彼の前で腕に目を当て、男泣きをして見せた。
「リュウ兄貴!愛ちゃんが、どんだけ切ねえ想いしていたか、わかるよなー!」
「わかるとも、弟よ!」
出会った頃…
社(やしろ)の黒兎達は皆年上…
白兎達も、茜は同い年、朱理は年下なのに、社(やしろ)に兎幣されたのが後だったので、菜穂以外全員から弟扱いされていた竜也は、太郎は貴重な弟分であった。
なので、いつだって必要以上に、年上ぶってものを言う。
今宵はまた、唯一の弟分に一年ぶりに再会するとあって、かつて以上に大仰な態度で太郎の肩に手を置くと、何度も何度も頷いて…
「だのに、このクソ親父…クソ親父…」
「そうかあ、そうかあ、わかるぞ、弟よ!」
よくわかったと言う顔をして、大号泣して見せた。
私が大きく溜息をつく傍で、純一郎と進次郎は、いつしか、これまた全く同じ格好で目に片腕を当てて、咽び泣き始めていた。
そこへ…
「もう、爺じ!爺じったら!」
雪絵が痺れを切らしたように、駆けつけて来ると、嫌な予感…
「ナヌ!」
まず、興味津々に顔を上げて純一郎が反応し…
「爺じとは、誰でござるか?」
次に、広げた手で、鼻の下を擦る仕草をしながら首を擡げる進次郎が、澄ました顔を取り繕いつつ、目はやはり興味津々の反応を示した。
私は、必死に素知らぬ顔をする。
しかし…
「爺じ!何よそ見してるのよ!愛ちゃんをいつまでも待たしたら、可哀想でしょう!」
雪絵は、情け容赦なく、私の袖を引っ張って、まくし立てた。
「ほほう…名無しー、お前もようやく名前ができたかー。爺じとは、良い名でござるなー。」
純一郎は、思い切りニヤケて言うと、広げた手で鼻の下を擦る仕草を強調して見せた。
「父上、拙者の真似はおやめくだされ…」
側で、進次郎が純一郎の袖を引っ張り、-_- ←こう言う顔をして言った。
と…
「あら、太郎君じゃない。」
雪絵は、一年ぶりの太郎に目を止めると…
「何、泣いてるの?また、おいたして、ユカ姉ちゃんにお尻ペンペンされてきたの?」
思い切り眉を釣り上げ、目を丸くして見せて言った。
「違うわい!俺っちは、愛ちゃんが可哀想過ぎて泣いてんだい!だろう!リュウ兄貴!」
「そうだとも!弟よ!」
と…
太郎と竜也は、また、互いに肩を組んで腕を目に当てて泣き出した。
「ふーん…何が可哀想なんだか、知らないけどさ…太郎君も酷いんじゃないのー。何で、愛ちゃんに会いに来てやらなかったのさー。
あの時、太郎君とあんな事があって、愛ちゃんずっと傷ついていたんだよー。あの日は、ずーっと泣きっぱなしだったんだから…」
雪絵が口をタコのようにして言うと、太郎は急に泣きやめて、今度はしゅんと顔をうつむかせた。
やがて…
「女になんか…女になんか…男の純情、わかってたまるか…
俺っち、どんな思いで、愛ちゃんへの想いを断ち切ったのか…」
「わかるぞ、弟よ!その気持ち、よーっくわかるぞ!」
竜也が側から言うと、太郎は、竜也の方を向き…
「兄貴!」
「弟よ!」
二人は、また肩を組み、片腕を目に当てて男泣きを始めた。
すると…
「そっか…太郎君も辛かったのねー。女の私だってわかるわー。だって、昔、トモ姉ちゃんに想いを寄せてるカズ兄ちゃんへの想いを断ち切った時、私も同じように辛かったもの…」
雪絵が貰い泣きをすると…
「そーっか!わかってくれるか!姉貴もわかってくれるのか!」
「わかりますとも!」
と…
今度は、雪絵も、太郎と竜也に混じり、三人輪になって肩を組み、片腕を目に当てて、号泣し始めた。
「本当に、本当に、愛ちゃん可哀想だったもんねー。毎日、毎日、辛い思いしてさー…
八歳の時から、幼い恋心を秘めて通い詰めた人の目の前で、あんな目に遭わされ続けて…
そんな愛ちゃんに一途な想いを寄せて、太郎君もよく見守ってたもんねー…必死に守ろうとしてたもんねー…
その想いまで断ち切って…
愛ちゃんの想いを遂げさせる為に…
だのに、だのに、爺じったら…」
私は、また、イヤーな予感がしてきた。
「やっと、切なくも儚い想いを遂げて赤ちゃんを産んだ愛ちゃんを、早々におっぽり出して、昔の女のところに走っちゃうんだもんねー!」
「な…なんだって!!!」
私が、思わず😨←こう言う顔になると…
「全く、この色ぼけクソ親父、ヒデェ奴だぜ!」
太郎が、雪絵に続く…
「俺っちが、会いてえ気持ちを堪えに堪えて、二人きりの時間を邪魔するまいと遠慮してたって時に…
昔の女と宜しくやってるなんて…」
「あ…いや、ちょっと、それ、話が…」
私が、益々😨←こう言う顔になるのも構わず…
「全く、ヒデェ爺じだぜ!聞いたか!愛ちゃんが一人寂しく赤子を抱いて想い人を待ち続けてるあいだに、朝、昼、晩と、こいつ、百合さんと励みに励みまくってたんだってよ!」
竜也がまくしたてるように言った。
「何!そいつは本当なのか、姉貴!」
「そうよ!私、この耳ではっきり聞いたわよ!茜ちゃんにとことん問い詰められて、とうとう、爺じ、白状したのをね!
朝起きては、上から攻めて十回、下ら喘いで十回、合計二十回、昼にも同じく二十回、夜ともなれば、上から攻めて三十回、下から喘いで三十回、合計六十回も、百合さんと励んでいたんですって!
ねえ、リュウ君も、聞いたもん…
ねー!」
「ねー!」
雪絵と竜也が、互いの顔を見合われて相槌をうつと…
「ひでぇ…ひでぇ…何てひでぇ、話だ…
一人、赤子を抱えて心細くしてる愛ちゃんを放ったらかしておいて…
朝な夕な、一日二百回、百合さんと床の中から出て来ることなく、一月の間、殆ど着物も着ないで励み続けていたなんて…何てひでぇ…何てひでぇ…
爺じなんだー!」
太郎が、ワナワナ震えながら、捲くしに捲くしたてた。
「お…おい…」
私の顔は、次第に😨から🥶に変わり出した。
話が段々と度を越し始めている。
しかも、いつの間にか、太郎もしっかり、私を爺じと呼んでるし…
「あの…私が百合ちゃんの所に行ったのは…」
私もさすがに何か言わなくては…と、口を開きかけた時…
「爺じ、お前が、そう言う奴だったとは知らなかったぞ…」
純一郎が、腕を組み、にが飯を噛み潰したような顔して言った。
「全く…最低な男でござるな…」
進次郎も、父親と全く同じ格好で腕を組み、同じ顔をして言った。
「爺じが、毎日毎晩、着物も着ずに上と下と交代で入れ替わりながら、最低、千回は宜しくやってる間中…
愛ちゃん、まだ十二歳で一人赤ちゃん抱えて、寂しいのと不安なのとで、ずーっと泣いて暮らしてたわ。」
雪絵が更に言葉を続けて言うと…
「ウゥゥーッ!愛ちゃん、可哀想に…」
太郎が、また、男泣きをした。
「今日も、朝から泣きっぱなしだったな…」
「そうねえ。本当なら、もう、とっくに帰って来る頃なのに、まだ来てくれない…爺じ、私の事は、ただ身体(からだ)が欲しくて抱いただけなのね…抱くだけ抱いて、赤ちゃんできたら、もう用済みなのねって、ずっと泣いていたわね…」
竜也と雪絵が言うと…
「可哀想に…」
純一郎と進次郎が、またまた、全く同じ格好で腕を目に当てて、咽び泣き始めた。
私は、すっかり途方に暮れてしまった。
和幸が行方をくらませた時…
真っ先に探しに行ってくれと言ったのは、愛であり、迷う私の後押しを、皆もしたではないか…
その時の事情を知らないのは、ここでは太郎一人である。
『社(やしろ)の事は、私に任せてくれたまえ!』
ポンと胸を叩いて、私を送り出したのは、純一郎であった。
『父上が、兎神子(とみこ)達に悪さしないように見張るのは、拙者にお任せてくだされ。』
進次郎がそう言うと…
『悪さとは心外だなー。私は、悪さなどせんぞ。愛の手解きをしてやるだけだー。』
すると…
『親社代(おやしろだい)様の手ほどきじゃーねえ…』
『私、嫌だポニョ~。』
雪絵と茜は、指を突きあわせて、口を尖らせた。
『なーんだ、私の手ほどきじゃあ、不服か?私の手ほどきは、情が深くてこまやかだぞー。据え膳に手もつけない、名無しと違って、経験豊富だ。』
純一郎が、さりげなく雪絵の豊かな胸と茜の小さな尻に触れて言うと…
『私、親社代(おやしろだい)様より、シンさんが良いわー。』
『私も、シンさんが良いポニョ~。』
雪絵と茜は、冷たく純一郎の手を払いのけ、進次郎にすり寄って行った。
『ねえ、シンさん。今から、早速手ほどきしてくださらないポニョ~。』
茜は、自分ではとっても豊乳になったと思い込んでいる可愛い乳房に、進次郎の手を触れさせながら言った。
『なーに言ってるの?茜ちゃんが、シンさんの手ほどきなんて、百年早いわよ。この大人の私が、手ほどきを受けて差し上げるわ…ねぇ、シンさん。今夜は眠らぬ夜を楽しみましょう。』
と…
雪絵は、もう片方の進次郎の手を、露骨に胸元に入れて言う。
『いや…あの…その…』
進次郎が顔を赤くして困り果てていると…
『雪姉!』
『茜ちゃん!』
政樹と竜也が、真っ青になって、雪絵と茜の袖を引っ張った。
そして…
『とにかく、愛ちゃんの事は任せて!』
皆、口を揃えて、私を送りだしてくれた…
筈なのだが…
「お…おい…どうした…」
振り向けば、皆、一斉に私を睨みつけている。
「さあ、爺じ!」
言葉と同時に、皆、私の腕を掴み、背中を押して…
「愛ちゃんの所に行くよ!」
ズルズルと、私を愛のいる所へ引きずるように連れ出した。
「愛ちゃんに、優しくしてあげるのよ!」
「愛ちゃん、ずーっと泣き腫らしていて、今も泣いてるんだからなー!」
「愛ちゃんに冷てえ事、したり、言ったりしたら、承知しねえからなー」
愛の待つ宿坊に辿り着くまでの間、雪絵と竜也と太朗は交代でクドクドと言い続け、私の足は益々重たくなってくる。
雪解けを待って、引き離される赤子を抱きしめ…
自分自身、更に過酷な陵辱の日々が待つ、聖領(ひじりのかなめ)に送られる不安に、涙の止まらない愛が待っている。
そんな愛と、どんな顔して会えば良いのだろう…
叶うものなら、もう一度、百合の所に逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。
やがて、目の前に広がる宿坊…
あの扉の向こうに、泣き暮れて待つ愛がいる。
と、その時…
「あー!それで、親社(おやしろ)様は、爺じなのでごじゃりますかーーーー!!!」
独特な喋り方をする朱理の声と同時に、二階窓の向こうから、大爆笑が聴こえてきた。
「えっ…?」
私が、それまでとは違う意味で、😨←こう言う顔になって立ち止まると…
「爺じ、行くわよ。」
雪絵の言葉と同時に、皆、一斉に私の方を向いてニンマリ笑い…
「お帰りなさーい、爺じ。」
口を揃えて言うなり、私を宿坊に引きずり込んで行った。

兎神伝〜紅兎二部〜(10)

2022-02-02 00:10:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(10)只今

「亜美姉ちゃん!」
朱理の声に、愛は現実に引き戻された。
亜美は、相変わらず表情のない顔をして、そこに立っていた。
「まあ!来てくれたのね!」
愛が続けて声を上げた。
やはり表情はない。
それでも、此処に来てくれた事、会いに来てくれた事、何より、誰かと関わろうとしてくれた事が嬉しかった。
この二年…
亜美は誰とも言葉を交わさず、会おうとも関わろうともせず、日がな一日、早苗のお気に入りだった楓の木の下で過ごしていた。
そして…
兎神子(とみこ)達の身体を目当てに男達が現れれば、取り憑かれたように自分から側に寄って行った。
男嫌いで知られ、誰に対しても喧嘩腰な物言いをする亜美は、それはそれで人気があった。
どんなに嫌っていても、拒否反応を示しても、所詮は兎神子(とみこ)…
訪れる男を拒むことは許されない。
求められれば、黙って抱かれるしかないのだ。
威勢の良い亜美を、抵抗したくてもできない状況下で、嬲るように弄ぶのを楽しみにしていた男達が大勢いたのだ。
しかし…
生きた屍のようになってしまった亜美もまた、そうした男達にとって、垂涎の的であった。
皆、亜美がこうなってしまった理由をよく知っている。
何を言われても、されても、何も言い返す事も、表情すら変える事もできなくなってしまった亜美を、嬲るのがたまらなく楽しかったのだ。
『知ってるか?早苗の奴、こうやって責めると、ヒィーヒィー言って悦んでいたんだぜ。』
『美香が生きてる頃は、美香の事、愛が赤兎になってからは、愛の事を口に出すと、『お願い、そんな事しないで!何でも言う事聞くから、そんな可哀想な事をしないで!』って、泣いて哀願して、どんな要求にも応じてくれたっけな。』
『でもって、早苗を散々可愛がってやった後で、奴が見てる目の前で、そんな可哀想な事ってやつをしてやった時の顔ったらなかったな。』
『わざと目の前で、愛を五人がかりで可愛がってやった直後だったな…あの五人で交代で可愛がってやったら…俺が白穂を放つ真っ最中に、ゲロ吐きやがった。あの時、孕んでいた子が、最後にできた仔兎神(ことみ)だったよな。』
そんな言葉を、次々と浴びせながら、亜美の身体(からだ)を貪り弄び、股間の表参道だけではなく、尻の裏参道、そして口の上参道…
孔と言う孔を突き、白穂を放ちまくって悦んでいたのである。
昔であれば…
『テメェ!サナちゃんによくもそんな真似しやがったな!覚えてろ、今に絞め殺してやる!』
『畜生!愛ちゃんを、酷い目に合わせやがって!許さねぇ!いつか、テメェの萎びたもん、一寸刻みにしてやる!』
始終、悪態をつき、喚き散らす亜美を嬲るのがたまらなく楽しかった。
『そいつは面白れぇ!やれるもんなら、いつかと言わず、今やってみな。ほら、やって見ろよ。』
そう言いながら、亜美の中に、溢れる程の白穂を放ったのものである。
今は…
『どうしたんだ?聞いてんのか?フ…何を言われてもわからんか…そうか、そうか、頭をやられちまったんだもんな。何を言われても、わからんよな。』
何も言い返さない、表情を示さない…
しかし、男達が言うように、頭の中身がやられていたわけでは全くなかった。
言われてる事もされてる事も、全部はっきりわかっていた。
だからこそ、自分から男達の方に向かっても行った。
それを承知で、人形のようになってしまった亜美を嬲る事を楽しんでいたのである。
早苗が生きてる頃…
亜美は、早苗の痛みや苦しみをほんの少しでも、代わってやりたいと思っていた。自分が代わる事で、少しでも、その痛みや苦しみを取り除いてやりたいと思っていた。特に、四度目の懐妊と最後の懐妊をした時、その苦しみ方を見た時、切に願っていた。
でも、何一つ代わってやる事も、痛みや苦しみを取り除いてやる事もできなかった。
亜美は、どうしてもそんな自分が許せなかった。
早苗の味わった痛みや苦しみの何十分の一かでも受けなければ、どうにもやりきれなかった。
それで、無言、無表情のまま、男達のなすがままになり、その度に、更に心を蝕ませていたのである。
「えーっへん!えーっへん!どーじゃ、凄いじゃろう!」
一瞬、弱い涙腺が思い切り緩みそうになるのを堪え…
朱理は、胸を張って咳払いをし、鼻の下を指で擦りながら、顔をクシャクシャに笑って見せた。
以前なら…
『フン!悪くないわね…』
腕を組み、ツンと顎を背けながら、横目で見て答えたものだが…
「どだ、どだ、愛ちゃんの出来栄えは?我ながら、上出来にごじゃるよ。」
朱理が、更に更に得意げに胸を反らせて言って見せても、亜美は全く返事も反応も返さなかった。
「やっぱり、お気に召さぬでごじゃるか?駄目でごじゃるか?」
一層、戯けて言いながら、何とか弱い涙腺が緩むのを堪えていたのが、そろそろ、限界にきそうになっていた。
「亜美姉ちゃん…」
愈々、朱理が泣き出しそうになった時…
「綺麗だ…」
後ろから、秀行が喉の奥から絞り出すような声で言った。
「ヒデ兄ちゃん!」
朱理は、秀行の大きな身体に飛びつくと、とうとう堪えきれなくなったように声を上げて泣き出した。
「相変わらず…うまいな。」
秀行が胸に抱いてやりながら言うと…
「うん…」
朱理は、涙目を両手で擦りながら頷いた。
「本当に…綺麗だ。」
秀行は、改めて愛の方を見て言うと、愛は答える代わりに、片目瞬きをして見せた。
「やっぱり、ヒデ兄ちゃんが、亜美姉ちゃんを連れてきてくれたのね。」
愛は言いながら立ち上がると…
「来てくれて、ありがとう。ねえ、赤ちゃんも嬉しいでちゅよねー。」
言いながら、胸に抱く赤子の顔を、亜美に向けた。
赤子は、嬉しそうにニコニコ笑っていた。
すると、亜美は、ほんの少し表情がうごきだした。赤子は、抱いて欲しいと言わんばかりに、手を伸ばしている。
「亜美姉ちゃん、抱いてくれる?」
愛が言うと、亜美はまた少し表情が動き、今度は手も動き出した。
赤子は、「アァー…アァー…アァー…」と声を出しながら、小さな手をいっぱい動かして、笑みを浮かべた。
『大人しい子だな…』
亜美は思いながら、もっと元気の良い赤子を思い出した。
「抱いて…やったら…どうだ?」
秀行が、相変わらず喉から絞り出すような声で言うと、亜美は何かに憑かれたように、赤子を抱いた。
相変わらず表情がない。
それでも、赤子は抱かれて嬉しがるように、一層、満面の笑みを浮かべた。
『あの子なら、もっと激しく手足を動かし、声を上げて笑っただろうに…』
早苗が逝くと、最後に産んだ子は、延々と泣き続けていた。
誰が抱き、誰があやしても泣き止まなかった。
赤子の泣き声は、早苗の死の悲しみを一層増させた。
特に、愛は、早苗の赤子の泣き声を聞くたびに、胸が引き裂かれるような思いをした。
自分に着物を着せたいばかりに、拾里に行かず、無理に無理を重ねた結果、この子を宿し、産み、逝ってしまった…
『ごめんね…私のせいで…ごめんね…』
愛は、大切な母親を殺されたと責め立てられる気がして、赤子にずっと謝りつづけていた。
赤子は、愛が泣いて謝れば謝るほど、一層激しく声を上げて泣き続けた。
亜美は、その悪循環に怒りと苛立ちを募らせていた。
皆が、誕生と同時に母を失った赤子に深い同情を寄せるのとは裏腹に、激しく憎んでいた。
『この子が、サナちゃんを殺した…私のサナちゃんを殺した…こんな子、生まれて来なければ、サナちゃんは死ななかった…』
その思いが、赤子のやまぬ泣き声を耳にするたびに、いや増していったのである。
亜美は、早苗が最後に産んだ子を見ようともしなかった。
早苗を死に追いやった赤子など、見たくもなかったのだ。
しかし…
愈々、赤子の泣き声が激しく大きくなり、自責に駆られる愛の慟哭が激しくなると…
『煩いなー!』
亜美の中で何かがプッツリ切れ、突然、赤子に掴みかかろうとした。
『あんたのせいで、サナちゃんは死んだのよ!あんたのせいで!サナちゃん、返して!サナちゃんを返してよ!』
すると、赤子は亜美の顔を見た途端、それまで泣いていたのが嘘のようにケラケラ笑いだした。
『えっ?何、この子…』
亜美は、思わず目をパチクリさせて、赤子から手を離した。
赤子は、亜美が側を離れようとすると、また、声を上げて泣き出した。
それは、行かないで欲しい、側にいて欲しいと激しく訴えているようであった。
『何だってのよ!』
声を上げるなり、亜美が再び手を掛けると、赤子は、また声を上げてケラケラ笑いだした。手足を思い切り動かし、何とも嬉しそうに明るい声で笑い出した。
『サナちゃん…』
亜美は、ふと、早苗がお腹を撫でながら、嬉しそうに笑って言っていた言葉を思い出した。
『この子ね、アッちゃんが大好きなのよ。アッちゃんの話をすると、手足を思い切り動かして笑うの。』
『この子ね、アッちゃんに早く会いたい会いたいって、言ってるよ。』
『この子ね、今日もアッちゃんの話ばかり聞きたがってたよ。』
早苗の産んだ赤子は、早く抱いて欲しいと言わんばかりに、亜美に向かって、両手を思い切り動かしながら、笑い続けていた。
『サナちゃん…寂しかったんだね…ずっと、ずっと、寂しくて、側にいて欲しくて泣いていたんだね…サナちゃん…』
亜美は、そう呟くと、ハラハラと涙を溢れさせながら、早苗の産んだ赤子を、胸に抱きしめた。
その日から…
亜美は、毎日、暇を見ては、早苗が産んだ赤子を抱き続けた。
『サナちゃん、もう離れないよ。私、ずっとずっと、側にいる。サナちゃんの為なら、何でもしてあげる。ミルク飲ませてあげる。オシメ替えてあげる。』
そう言って、片時も離すまいと、早苗の産んだ赤子の側にい続けた。
早苗の産んだ赤子も、亜美が側にいる時は、いつも笑っていた。亜美が側にいさえすれば、いつもご機嫌であった。
『サナちゃん、暖かい風が吹いてきたよ。もう、春だよ。ほら、見てごらん。サナちゃんが大好きな、地面の赤ちゃんが生まれたよ。』
初春…
咲き初めた菜の花を見せて、赤子に言う亜美は、いつしか、赤子をすっかり早苗と思い込むようになった。
『ほら、柳のお母さんが、赤ちゃんをあやしているよ。』
赤子に、柳の枝を握らせ、菜の花に向かってユラユラさせると、赤子より先に、亜美がケラケラ笑ったりもしていた。
『さあ、兎さんに乗って、お散歩しようね。』
そう言うと、和幸が早苗の為に作った、兎型の箱車に乗せて、毎日のように散歩に連れだした。
『わあ、桜が咲いてきたね。サナちゃん、赤ちゃんのほっぺたみたいだって言ってたけど、本当だね。今のあんたのほっぺた、桜の花そのものだもんね。』
赤子は、亜美が何を話しても、笑っていた。途中、箱車から抱き上げても、高い高いしても、頬ずりしても、何しても、嬉しそうに笑い続けた。
『サナちゃん、覚えてる?ほら、去年の秋、カズ兄ちゃん、箱車の車輪を取ると、小舟になるように作り変えてくれたんだよ。それで、約束したじゃない。夏になったら、川に浮かべて遊ぼうねって…』
野原に来て、膝に抱く赤子にミルクを飲ませながら言うと、赤子はやはりケラケラ笑っていた。
『夏になったらさ、一緒に小舟に乗ろう。毎日、毎日、川に小舟を浮かべて遊ぼう。だって、去年の夏、具合悪くて何処にも行けなかったじゃない。だから、今年はさ、去年の分も遊ぼうね。秋になったら、境内だけでなくて、山の紅葉も見に行こうね。山に行ったら、境内よりもっともっと、沢山の赤ちゃんの手があるよ。
それと…
いつも、サナちゃんに会いに来てくれる兎の親子のお家も探そう。きっと、こっちから遊びに行ったら、みんな驚くよ。
それでさ…
冬になったら、また、車輪を取り替えて、橇にして遊ぼうね。一昨年、楽しかったもんね。』
かつて…
腹の赤子を相手に話し続ける早苗を見て、よくあんなに話すことがあるなと、首を傾げていたものである。
その亜美が、今は、早苗が産んだ子供を相手に、尽きる事なく話し続けていた。
赤子は何も言葉を返しはしない。
にもかかわらず、ただ、ニコニコ笑って聞いてくいるだけで嬉しかった。
両腕いっぱいに広がる柔らかな温もりと、ミルクの香りに話しかけるだけで、幸せであった。
この一時があるだけで、この世は光と喜びに満ち溢れてるように感じられた。
しかし…
『嫌ーっ!サナちゃん連れて行かないで!お願い!連れて行かないでー!』
どんな形で産まれた子であれ、兎神子(とみこ)が産んだ子には、いずれは別れが訪れる。
『嫌っ!嫌っ!嫌っ!サナちゃんと別れたくない!もう、サナちゃんと別れたくないよーっ!』
早苗が産んだ子もまた、必死に離すまいと抱きしめる亜美の腕からもぎ取るように、連れられて行く日が訪れた。
『お願いします!何でもします!どんな事にも従います!だから、サナちゃんを連れて行かないで!お願いします!お願いします!』
それまで、機嫌よく笑っていた赤子は、亜美の腕からもぎ取られた瞬間に、火がついたように激しく泣いた。
『サナちゃん!サナちゃん!サナちゃん!』
亜美もまた、押さえつける和幸と秀行の腕の中で、必死にもがき暴れながら号泣した。
『あの子は….サナちゃんじゃない!サナちゃんじゃないんだ!』
いつも喉の奥から絞り出すような声の彼にしては珍しく、はっきり野太い声で言い放つ秀行の声も耳に入らず…
『サナちゃん!サナちゃん!行かないで…私の側を離れないで…お願い、サナちゃん!』
亜美は、一層激しく声を上げて泣き叫んだ。
赤子の泣き声は、いつまでもいつまでも…
やがて、遠く姿が見えなくなってなお、聞こえ続けた。
『嫌だ…サナちゃん、行かないでよ…お願い…お願い…サナちゃん、行かないでよ…私、生きて行けないよ…サナちゃんがいないと生きて行けないのよ…サナちゃん…』
亜美は、赤子の泣き声が聞こえ続けている間、ずっとずっと、泣き叫び続けた。
やがて…
遂に赤子の泣き声が聞こえなくなると、亜美は漸く泣き叫ぶのも、暴れるのもやめて大人しくなった。
代わりに、今度は、誰とも何も全く話さなくなり、何を見ても聞いても、泣く事も笑う事もしなくなった。
ただ、いつも虚ろな眼差しで、虚ろな顔をして、誰とも会わず、交わらず、いつも一人孤独に過ごすようになった。
「えっへん!どーじゃ、美人じゃろう!」
漸く亜美が赤子を抱くと、愛は鼻の下を擦る仕草を強調しながら、大きく咳払いして言った。
「この子、女の子でごじゃるよ。」
すると、それまで秀行の胸の中で大泣きしていた朱理が振り向き…
「あー!愛ちゃん、私の真似してる!酷いでごじゃるーーーー!!!!」
ムキになり、(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾←こう言う顔をして言った。
愛は、答える代わりに、得意の片目瞬きをして見せた。
秀行は微かに口元を綻ばせ、亜美も、微かではあるが、表情を動かして、愛しそうに赤子を撫で始めた。
その時…
「おはよ、ごじゃいまーちゅ。」
明るく、素っ頓狂な声をあげて、いきなり障子が開けられた。
「えっ!」
「何っ!」
愛と朱理は、突然、見たことの無いおかっぱ頭の女の子が、満面笑顔で姿を現わすと、大きく瞬きしながら顔を見合わせた。
「こらっ!いきなり入っちゃ駄目だろう!」
続いて、『メッ!』と、怒った顔を女の子に向けて、和幸が入って来た。
「はあ!」
「カズ兄ちゃん…!」
今度は、あんぐり大口あけて、愛と朱理は揃って、正面を見つめた。
「おはよ、ごじゃいまちゅ…言えたよ…おはよ、ごじゃいまちゅ…言えたよ…」
おかっぱの女の子は、和幸の怒った顔を見上げると、忽ち鼻を鳴らして、涙腺を緩め出した。
「その前に、ちゃんと入って良いかどうか聞かないと駄目だろう!」
和幸は、尚も怒った顔を続けて、おかっぱ頭の女の子に言った。
「おはよ、ごじゃいまちゅ…言えたよ…おはよ、ごじゃいまちゅ…言えたよ…」
おかっぱ頭の女の子は、蓄音機のような同じ言葉を続けたかと思うと…
「おはよ、ごじゃいまちゅ、言えたよー!」
と、声をあげて泣き出した。
そこへ…
「もう!お父さん、酷いじゃ無い!何で、怒るのよー!」
今度は、怒るを通り越して、鬼の形相をした菜穂が飛び込んでくるなり、和幸に食ってかかった。
「ナッちゃん!」
「菜穂姉ちゃん!」
菜穂は、愛と朱理が同時に瞬きして声を上げるのにも気付かず、大泣きしてる女の子を抱き上げると、頬ずりして、頭を撫で撫でし始めた。
「よしよし、ちゃんと言えたもんね。おはよう、ございますって、言えたんだもんね。」
「おはよ、ごじゃいまちゅ…言えたよ…おはよ、ごじゃいまちゅ…言えたよ…」
女の子は、菜穂の胸に顔を埋めて泣きながら、また、同じ言葉を繰り返した。
すると…
「サナちゃん…」
そこに居合わせた者達は、一切に声の方に目を向けて、押し黙った。
「サナちゃん…帰って来たのね…帰って来てくれたのね…」
それまで、一言も声を発さなかった亜美が、二年ぶりに声をあげたかと思うと、ハラハラと涙を溢れだしていた。
皆、何が起きたのか理解できないと言うように、互いに顔を見合わせながら、押し黙り続けた。
ただ…
「サナちゃん、お帰り。」
亜美が言うと…
「ただいまー」
それまで泣いていたのが嘘のように、希美がけろりと笑った。
亜美は、尚も涙を流しながら笑みを浮かべると、ゆっくり、希美の方に近づいて行った。
そして…
「サナちゃん、やっと帰って来てくれたのね…ねえ、見て、赤ちゃんよ。愛ちゃんが産んだのよ。可愛いね。」
抱いている赤子を、希美に差し出して見せると…
「かーいーねー。」
希美はクスクス笑って、赤子を撫で撫でし…
「サナちゃん、赤ちゃんが大好きだもんね。」
亜美が言って…
「うん。」
希美が頷くと…
二人は、互いに顔を見合わせて、クスクス笑い出した。

兎神伝〜紅兎二部〜(9)

2022-02-02 00:09:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(9)着物

「まだかなー…
親社(おやしろ)様、いつお帰りになるんだろう…」
漸く愛の着付けを終えた朱理は、部屋中、落ち着きなくウロウロ歩き続けていた。
「早く、愛ちゃんを見せたいでごじゃる…」
言いつつ、大鏡の前に何度も立ち止まっては、結棉に結い上げた髪や襟元を整え鼻の下を擦り…
「エヘヘへ…」
っと笑っていた。
「アケ姉ちゃんったら…」
文金高島田に結い上げられ、花嫁衣装に身を飾る愛は、漸く寝息を立てた赤子を愛しそうに抱きながら、クスクス笑って言った。
「そんな事言って、本当は、私じゃなくて、自分じゃないの?」
「えっ?」
振り向く朱理に…
「それも、親社(おやしろ)様でなくて、カズ兄ちゃんにね。」
愛は、得意の片目瞬きをして見せた。
宮司職(みやつかさしき)に奉職したての私に、八歳で一目惚れして、毎日のように社(やしろ)に通い詰めていた愛は、昔からませて大人びていた。
それが、総宮社(ふさつみやしろ)より、十二までに子を宿すよう厳命され、私と参籠所にこもり切って一月…
夫婦のような生活を営むうちに、見る間に大人びていった。
そうして、身籠り、十二歳のうちに出産を迎えた愛は、社(やしろ)に暮らす兎神子(とみこ)達の誰よりも艶っぽく、大人びて見えるようになった。
背も、五尺六寸と白兎の中では一番の長身なのもあり、最年長…もしくは、雪絵と同い年と言っても信じてしまいそうであった。
そんな愛に、片目瞬きをされると、女の朱理でもドキッとするものがある。
着付けをしてる間中、生白く美しい肌に一日触れていた事もあるのだろうか…
思わず頬を染める朱理は、それが、和幸の事を指摘された事によるものなのか、愛に片目瞬きをされた事によるものなのか、自分もよくわからなかった。
「えっへん!えっへん!」
朱理は、十八番の咳払いをして見せると…
「私は、早く愛ちゃんの出来栄えを、(おやしろ)様に見せたいのでごじゃるよ。」
二本指で何度も鼻の下を擦りながら、顔をくしゃくしゃにして笑って見せた。
「だーって、長かったでごじゃるもんねー。九歳の時から、三年間でごじゃるもんねー。」
朱理は、愛の隣に腰掛けると、自分の頭の位置にある愛の肩に腕を回しながら、さっきまでの笑顔と一変して、メソメソし始めた。
「あの時…大勢のクソ親父達の前で、素っ裸にされて…寄ってたかってあんな事されてさ…」
「アケ姉ちゃん…」
ついさっきまで、お腹を空かせては大泣きし、オッパイ飲んで落ち着いたかと思えば、今度はオムツを汚して大泣きしていた赤子を漸く寝かしつけた愛は、唇を蛸のように尖らせ、困ったなと言う顔をした。
案の定…
「あの後、血だらけのお股をおさえて泣き噦る愛ちゃんの事を思い出すと…私…」
朱理は両手で顔を覆って大泣きし始めた。
「もう…アケ姉ちゃん、泣かないで…
私、そんなに辛くなかったわ。あれから、お兄ちゃんやお姉ちゃん達、神饌組のみんなが、私を守ってくれたもの。何かと理由つけては、私を弄びにくるおじさん達を追い返してくれたし…
外に出なきゃならない時は、代わり番こで私の後をついてきてくれたしさ。
それに…
みんなとだけいる時は、着物を着ても良くしてくれたじゃない。」
言いながら、愛はさりげなく、少々抱くのに疲れてきた赤子を、上手に朱理に抱かせながら、朱理の背中を撫でてやった。
「愛ちゃん…」
朱理は、唇を〰にひき結んで涙目を愛に向けると、愛は満面大人びた笑みを浮かべて、何度も頷いて見せた。
その時、赤子は急に朱理の指を握ったかと思うと、ケラケラ笑い出した。
「あはっ、可愛い。」
朱理も、釣られて笑い出す。その笑顔を見ながら、『どっちが赤ちゃんかわからないなー。』と思い、愛も思わず吹き出した。
しかし…
『サナ姉ちゃん…』
最後に着物の話をしたあたりから、愛は不意に胸が激しく疼きだしていた。
愛に着物を着せてやりたい一心で、命を縮めてしまった、早苗の事を思い出してしまったのだ。
最初の穂供(そなえ)…
皮剥を受けてからの日々…
辛い…
恥ずかしい…
痛い…
苦しい…
そんな生易しい言葉で言いあらわせる簡単なものではなかった。
愛の家が、兎神家(とがみのいえ)であり、新しい赤兎に選ばれたのは八歳の時…
美香と言う、前の赤兎が死んでからの事であった。
兎神子(とみこ)になると言う事…
まして、赤兎に選ばれると言う事の意味までは深く知らなかった。
ただ、毎日、何処に行く時も、全裸でいなくてはならないと言う事と、社領(やしろのかなめ)の男達に、やたらと身体(からだ)を弄り回されてると言う事…
何より、美香と言う赤兎が、眞悟と言う前任の宮司(みつかさ)にいつも酷い目に遭わされてる事くらいのものであった。
本当は、赤兎として、鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)に兎幣される事になっていたのは、異母妹の舞であった。
兎神家(とがみのいえ)でも、裕福な家では、本妻の他に何人か内妻を持つと言う事がなされている。本妻の息子や娘の身代わりを産ませる為である。
舞も、愛の身代わりとなるべく産まれてきたのだ。
しかし…
異母姉妹共に、分け隔てなく可愛がる両親に育てられた愛は、舞の事をとても可愛がっていた。
その舞が、赤兎となる時決められた時、まだ四歳であった。
赤兎として兎幣されると決まると、一年以上前から、父親や兄達の手でそのように躾けられる。簡単に言えば、家庭の中で全裸にされ、破瓜以外の凡ゆる行為を、実地で仕込まれるのである。
舞もまた、赤兎として兎幣されると決まるや、その日から全裸にされ、父の手で参道に指を捻り込まれて、掻き回された。
漸く言葉を口にし、歩けるようになって間がない舞は、父親にされてる事の意味もわからず、ただ痛くて泣き叫んだ。
愛は、そんな義妹の泣き叫ぶ姿を見て、自ら着物を脱ぎ赤兎になる事を名乗り出たのであった。
愛は、凡ゆる事を、言葉だけでなく、実地で教え込まれていた為、その覚悟は十分できていたつもりであった。
しかし、皮剥の祭祀に参列する数多の男達の前…
好奇の目を晒される中、着物を一枚一枚脱がされるのは、家の中で裸にされるのと訳が違っていた。
そこで、参列者の男達に身体(からだ)中を触られ、弄られ、舐め回される時の感触…
そうされながら、容赦なく浴びせられる猥雑な言葉の数々…
何より…
まだ、九歳の幼い参道を、参列する男達は情け容赦なく貫いた。それも、一人が一度だけそうするのではない。百人を越す男達が、入れ替わり立ち替わり、何度も何度も貫いてきたのだ。
激痛…
そんな生易しいものではなかった。
『これはどう言う事なのか説明していただけすかな?』
皮剥の日…
康弘連(やすひろのむらじ)は、参列する男達に、参道を抉られ泣き叫ぶ愛を見つめながら、些か眉をしかめて言った。
『赤兎は、身体(からだ)を隠してはならんだけではない。穂供(そなえ)中、いかなる苦痛や拒絶の言葉を発してはならんはず。だのに、私にされてる間中も、痛いとか、やめてとか、助けてとか叫びおった。』
また一人…
一刻半も順番を待たされた男は、いきなり怒張した穂柱を引き出すと、愛の参道に捻り込んだ。
『痛い!痛い!痛い!』
愛はまた、首を振り立てて泣き叫び出した。
『宮司職(みやつかさしき)として、躾がなってませんな…』
私は、康弘を横目で睨み据えた。
『後で、きっちり仕置きされるんでしょうな。』
『仕置き?』
『当たり前でしょう。赤兎の分際で、穂供(そなえ)中に痛いなどとほざくなど許されぬ事。最初が肝心ですからな…しっかり、仕置きして頂きますよ。我らの立ち合いの上…』
私はみなまで言わせず、胴狸を抜き放ち…
『親社(おやしろ)様、何をなされる!』
康弘連(やすひろのむらじ)は、血相変えて叫びながら、左肩目掛けて突き入れられた胴狸の切っ先を交わした。
『何故、交わす…』
私は、突きを交わされた切っ先を返し、額に汗を流す康弘連(やすひろのむらじ)の首筋に突きつけた。
『次は交わさず受けられよ…』
益々蒼白になる康弘連(やすひろのむらじ)は、私をジッと見据えながら震え出していた。
『おまえの身体(からだ)を切られ、貫かれ、何一つ苦痛の声を上げぬなら…気持ち良い、もっとしてくれと言えるなら…私も、愛を赤兎としてそのように躾よう。』
康弘連(やすひろのむらじ)は、腰を抜かして座り込み、尿を漏らして、皮剥が終わるまで震え続けていた。
以来、社における兎神子(とみこ)達の田打にとやかく言うものはなくなったが…
愛にとっての地獄のような日々は、次の日から本格的に始まったのだ。
美香が死に、本社領(もとつやしろのかなめ)では二年ぶりの赤兎に、領内の男達が殺到した。
自分達が陵辱するのもさる事ながら、まだ未経験の息子にやらせようと、家に連れ込まれる事も度々であった。
社領(やしろのかなめ)では、成人した息子と酒を酌み交わすのと同じくらい、白穂を放てるようになった息子と、神饌共食祭で穂供(そなえ)をするのを楽しみにしてる男達が少なくない。
鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)の社(やしろ)に奉職して以来、私の預かる社(やしろ)では、兎神子(とみこ)が一度に相手にするのは一人と言う事を徹底していた。輪姦は固く禁じていた。それで、随分と不平も上がっていたのだ。
しかし、赤兎をどのように扱うかは、命を奪わぬ限り、誰もが自由とされていた。宮司(みつかさ)と雖も、口出しする事は許されない。宮司(みやつかさ)は、預かる社(やしろ)の領内(かなめのうち)では、最高の権威と権力を持っている。神漏(みもろ)衆や神使(みさき)衆の任命権から、領民(かなめのたみ)達の生殺与奪の権限まで持っている。しかし、その権威と権力も、名目上は神職(みしき)としての神聖さに所以するが、実際のところは、神饌共食祭で穂供(そなえ)をする権利の保障と引き換えであった。特に、赤兎を自由に弄ぶ権利を有する事は、神領(かむのかなめ)における共同体の一員たる証として、神聖視すらされていた。もし、その権利を否定すれば、領民(かなめのたみ)は社(やしろ)に初穂料も玉串料も納めなくなり、崇儀会(たかきのりのえ)にて、神使(みさき)衆と神漏(みもろ)衆合意の上、不信任決議を出され、総宮社(ふさつやしろ)より罷免される。
これまで、兎神子(とみこ)の輪姦を楽しむには、産土社(うぶすなやしろ)や鎮守社(しずめのもりやしろ)に行くか、わざわざ摂社領(せっつやしろのかなめ)や末社領(すえつやしろのかなめ)まで足を運ばなくてはならなかった分…
その鬱憤を晴らすかのように、本社領(もとつやしろのかなめ)の男達は、愛に好き放題したのである。
学舎(まなびのいえ)に出かけたり、外に呼び出された愛は、いつもボロ切れのような姿で、社(やしろ)に戻っていた。
しかし…
愛が本当に辛かったのは、自らの境遇より、それを目の当たりにして打ちひしがれる兎神子(とみこ)達の姿であった。
愛が赤兎に兎幣されてから、それまでいつも絶える事のなかった、兎神子(とみこ)達の明るい笑い声が一切消えた。
皆、変わらぬ笑顔を傾けようとしてくれたが、その目にはいつも涙が浮かんでいた。特に、親友を辞任して憚らなかった朱理は、これまた憚る事無く、無残な愛の姿を見ては、声を上げて泣いていた。
貴之と亜美は、泣かない代わりに、いつも激怒していた。
『畜生!私達の愛ちゃんに、こんな真似しやがって!』
助産に優れていると同時に、参道の治療にも長けていた亜美は、滅茶滅茶に蹂躙された愛の参道を手当てしながら、いつも吐き捨てるように言った。
『私…あいつら絶対に許さないんだから!いつか、絶対…絶対に、絞め殺してやるわ!』
すると…
『絞め殺してやるだって?そんなもんじゃ、済まねえぜ。
良いか、愛ちゃん。愛ちゃんに酷い目に合わせた奴の面、全部切り絵に残しとけよ。』
側で、愛の姿にメソメソしている早苗を胸に抱きながら、貴之が目をギラつかせて言った。
『いつかな、楽土とか言うでけぇ国から人民解放軍とやらが来て、カズの野郎が言う革命の日とやらが来るんだ。そうしたら、そいつら、ひっつかまえて、嬲り殺しにしてやる。愛ちゃんに痛ぇ事をした数だけ、真っ赤に焼いた鉄串で、身体中を串刺しにしてやるぜ。』
亜美はそれを聞くと…
『私は、錆だらけの刃こぼれした剃刀で、穂柱を切り取ってやるわ。それも、一度にじゃなくて、先っぽから、一寸ずつじわじわゆっくり切り取ってやるの。それも、みんなの見てる前で丸裸にしてね。愛ちゃんがどんな思いをしていたか、思い知ると良いわ。』
そう言って、貴之以上に、目を憎悪に光らせたのである。
愛は、そんな兎神子(とみこ)達の姿を見ると、血塗れの参道より、胸の方が激しく疼いたのである。
殊に、愛の胸に生涯の痛みとして消えぬであろうと思われるのは、早苗の事であった。
発育の遅い身体(からだ)で四度の出産をし、もう、ボロボロになっていた早苗が、拾里で養生する事に決まっていた事は、愛も知っていた。
拾里は、穏やかで美しいところであり、綺麗な花も咲けば、可愛い小鳥や小動物も遊びにやってくる場所だと言う。早苗の大好きな兎もよく顔を出すとも聞いていた。
早苗も、そこに行くのを楽しみにしていたのだ。
それを、愛が赤兎にされるのを見て、行くのを辞めてしまった。
そればかりか、まともに歩けず、外に出かける時は箱車に乗らなければならない身体(からだ)で、神饌共食祭に訪れる男達の穂供(そなえ)も受け続けていた。
『もう、穂供(そなえ)を受けるのはやめるんだ。静かに寝てろ。』
私がいくら言っても…
『それじゃあ、愛ちゃんに着物着せてくれる?愛ちゃんに着物着せてくれたら、私、もう、おじさんやお兄さん達の相手、辞める。拾里にも行くわ。』
早苗は、ニコニコ笑って、同じ返事を繰り返していた。
それで、私が答えに詰まると、悲しそうな目をして、穂供(そなえ)参拝の男達に手を引かれ、御穂供倉(みそなえくら)の部屋に消えて行くのであった。
『サナお母さん、お願い、拾里に行って。私、大丈夫だから。』
愛は、日一日と弱って行く早苗を見る度に懇願した。
すると…
『愛ちゃん、お母さんの事、嫌い?』
早苗は、愛の頬を撫でながら、寂しそうに言った。
愛は、思い切り横に首を振った。
『そう、良かった。』
早苗は、今度はとても嬉しそうに笑って言った。
『私ね、愛ちゃんが大好き。私の可愛い娘だもん。だから、ずっと側にいたいなあ。駄目?お母さんと一緒に暮らすの嫌?』
愛は、何て答えて良いか分からず、唇を強くひき結んで俯いた。
『お母さんね、四人の赤ちゃん達とお別れしなくちゃいけなくて、凄く寂しかったの。愛ちゃんとだけはお別れしたくない。愛ちゃんとだけはずっとずっと一緒にいたい。一緒にいても良いよね。』
愛は、目に涙を溜めながら力なく頷くと、早苗は満面の笑みを浮かべ…
『良かった。愛ちゃんに嫌われちゃったら…一緒にいたくないって言われたら、お母さん泣いちゃうところだった。』
そう言って、冷たくなった愛の身体(からだ)を温めるように、羽織にくるんで抱きしめた。
そして…
『愛ちゃん、お母さんに任せて。お母さん、絶対、愛ちゃんに着物着せてあげる。ずっと裸ん坊でいなくてもよくしてあげる。』
そう、愛の耳元に囁きかけて言った。
そして、ある日…
『ねえ、愛ちゃん、すぐ来て!サナちゃんの所にすぐ来て!早く早く!サナちゃん、急に具合悪くなっちゃって、大変なの!熱出して、うなされて、ずっとずっと、愛ちゃんに会いたいって言ってるの!』
丁度、領内(かなめのうち)の男達数人に呼び出しを受けていた愛は、亜美に呼び止められた。
『まあ!サナ母さんが!』
血相を変える愛に…
『親社(おやしろ)様にも伝えたところなんだけど、あの調子だと危ないかも知れない!早く来て!』
亜美は深刻な顔をして、その手を引っ張って行こうとした。
『おい、何しやがるんだ!』
『愛は、今から俺達と良い事をするところなんだぞ!』
愛を連れ出そうとした男達が、忽ち歯をむき出してがなりたてた。
『じゃかあしい!この子には先客があるんだ!出直して来やがれ!』
亜美が、負けずに怒鳴り返した。
『何だと?赤兎は、社領(やしろのかなめ)の共有物。横取りするこたあ、神職(みしき)様達でも許されねえ事、知ってんだろうな。』
『どうなんだ、亜美よう。兎の分際で、俺達が、朝っぱらから出向いて唾つけたのを横取りするからには、相当の覚悟があんだろうな?後で、ごめんなさいじゃあ、すまねえんだぞ。』
男達が凄んで言うと、亜美は『ヘヘン』と、鼻で笑って返した。
『そう…そんなに言うんなら、こっちも言ってやらあ。この子に、一週間も前から唾つけて待ちわびてる先客は誰だと思う?北地区奉行の進次郎様よ!』
男達は、途端に蒼白になった。
『それだけじゃあねえ!俺っちもいらあ!』
後ろからは、社領(やしろのかなめ)のガキ大将、太郎もひょっこり顔を出してきた。
『これは…河本産社(かわもとのうぶやしろ)様の若社(わかやしろ)様…』
『わかったら、てめえら、すっこんでろ!』
男達は、太郎の一声で、猫の子を散らしたように、去って行った。
『太郎君、どうして…』
小首を傾げる愛に…
『まあ、こいよ。行ってやらねえと、サナちゃん、本当に死ぬかも知れねえぜ。』
太郎は、左頬を軽くひき結んで言うと、クイッと顎をしゃくって言った。
愛は、一層蒼白になって、亜美に手を引かれるままに、早苗の部屋に向かった。
『サナ母さん…』
早苗の部屋の障子が開けられるなり、愛は思わず声を上げた。
早苗は、太郎の兄貴分の進次郎に支えられてはいるが、至って顔色よく布団の上に起き上がっていたからだ。
『あの…えっと…』
どう見ても、明日をも知れぬ重体とは思われない。
『おいで…』
早苗は、戸惑う愛に、優しく笑いかけて手招きした。
『行けよ。』
太郎が、愛の背中をポンと叩いて言う。
愛は、言われるままに側に行くと、早苗は進次郎に支えられながら、ゆっくり立ち上がった。
『私、愛ちゃんのお母さんだよね。』
『うん。』
『愛ちゃん、良い子だから、お母さんの言う事、なーんでも、良く聞いてくれるわよね。』
『うん。』
『それじゃあ、私が良いって言うまで、目を瞑っていてね。』
『うん。』
早苗は、愛が言われるままに目を瞑ると、愛しそうに頬を撫でた。
そして…
愛の腕を上げたり下げたりしながら、身体(か、だ)中に何やら覆いかけたのち…
『もう、目を開けて良いよ。』
言われて目を開けた時…
『アッ…』
愛は思わず声を上げた。
可愛い兎と楓が描かれた藍染の着物…
以前、早苗が朱理に縫って貰った着物を着せられていた。
『アケちゃんみたいに、上手に着付けてあげられなくてごめんね。でも、凄く似合って可愛いよ。』
早苗が、身長差がありすぎて、つんつるてんの着物を着る愛を見て、ニコニコ笑っていた。
『駄目よ!サナ姉ちゃん、私が着物なんて、駄目よ!』
愛は、思わず蒼白になって着物を脱ごうとすると…
『駄目!』
亜美が、後ろから羽交い締めにして、愛を押さえつけた。
『着物脱いじゃ駄目!絶対、駄目!』
『でも、亜美姉ちゃん、私が着物着たら…』
益々、蒼白になる愛を、亜美は更に力強く押さえつけた。
『あんたが、それを脱いだら…サナちゃん、死んじゃうよ!もう、限界なんだから!これ以上、神饌共食祭に出たら…穂供(そなえ)されたら…』
『でも…』
『お願い!愛ちゃんが着物着てくれたら、サナちゃん、拾里に行くって、約束したのよ!』
半ば叫ぶように言うと、愛は漸く押し黙って、早苗を見つめた。
『拙者達の役目は終わったようでござるな。後は、上手くやれよ。』
進次郎は、早苗の肩を叩いてその場を発つと…
『太郎、惚れた女がめかしこんでるんだ。何か言う事あるでござろう。』
久しぶりにめかしこまれた愛に、ぼんやり顔を赤くしてる太郎の耳元で囁くと、澄まし顔で部屋を去って行った。
『あ…愛ちゃん…綺麗だよ…』
『えっ?』
『スゲエ、綺麗だ。』
言うなり、太郎は顔を真っ赤にして、逃げるように進次郎の後を追って行った。
『ごめんね…』
進次郎と太郎が去ると、早苗は一層優しく微笑みかけながら、愛の頬を撫で始めた。
『本当は、ずっとずっと前から、こうしてあげたかったの。でも、怖くてできなかった…ただ、震えて縮こまってるだけで、何もしてあげられなかった…』
『そんな…サナ母さん、いつも優しくしてくれたわ。社領(やしろのかなめ)の男達に呼び出されてボロボロにされた私を、羽織や半纏に包んで抱いてくれたわ。』
『本当に、ごめんね…』
早苗は、愛の言葉がまるで耳に入らず…そもそも、愛の顔すら目に入らず、別の何かを見つめてるような目をして同じ言葉を繰り返しながら、涙を流し出した。
そして、もう一度、愛の頬を優しく撫でると、思い切り抱きしめて…
『美香ちゃん、ごめんね…弱くて、守ってあげられなくて、本当にごめんね…』
そう言うと、声を上げて泣き出した。
『みんな…呼んで来るね…』
いつしか、後ろで一緒になって啜り泣いていた亜美は、そう言うと、いつまでも愛を抱いて泣き崩れる早苗を残して、部屋を駆け出して行ったのである。

兎神伝〜紅兎二部〜(8)

2022-02-02 00:08:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(8)爺じ

やっぱり、話すんではなかった…
私は、厨房を手伝いながら、ずっと後悔ばかりしていた。
「おーい、爺じ、そっちの皿と大鉢とってくれー」
「おーい、爺じ、天ぷら粉と油が足りねー」
私は、社の宮司職(みつかさしき)に就いて以来、うちの兎神子(とみこ)共から、敬意と尊敬と言うものを受けた記憶が全くない…
良く言えば、此処に来て程なく親しげに接してくれ…
何かと甘えてくる可愛い奴だが…
「おーい、爺じ、そっちの食器をあらっとくれー」
「おーい、爺じ、希美ちゃんが卵を落としちまったー」
しかし…
悪く言えば、完全、舐められ切っていたのだ。
そう言えば…
研究熱心な兎神子(とみこ)達は、いつも、私を使って科学の研究をしてくれたっけ…
ある時は…
染物の実験で、純白の浄衣を見事な桃色に染め上げてくれ…
ある時は…
物理学の実験で、月次祭の真っ最中に、頭からバケツいっぱいの朱の墨汁を浴びせてくれた。
ある時は…
新しい漂白剤の実験で、黒袍を真っ白に色落ちさせてくれた。
他にもまだまだ、数え上げればきりがない。
特に…
特に…
「おーい、爺じ、天麩羅があがったぞー。」
「おーい、爺じ、小鉢用意してくれー。」
政樹と竜也…
この二人の悪ガキ共は…
「おーい、爺じー。」
「おーい、爺じやーい。」
完全に、私の新しい呼び名を面白がっている。
二人が、私を呼びかける度に、雪絵と茜が、ククククク…と、笑いをかみ殺す声も聞こえてくる。
さすがの私も、もう我慢の限界である。
「えーーーーいっ!さっきから黙って聞いてりゃー、爺じ、爺じ、やかましい!」
とうとう、怒鳴り声を張り上げた。
厨房に静寂が走る。
しかし、次の瞬間…
あっ…
しまった…
一瞬、凍りついたように固まってしまった希美が、目をパチクリさせて私を見つめたかと思うと…
「うっ…うっ…うっ…」
次第に涙腺が緩んで、鼻を鳴らし出し…
「ワーーーーーーン!!!!!」
声を上げて泣き出してしまった。
「もう!爺じったら!」
今度は、菜穂が声を張り上げる番であった。
「大声出すから、希美ちゃん、怖がってるじゃないの!」
由香里の眉に皺寄せるどころではない…
両眉を矢印↓にして私を、思いっきり睨みつけている。
「あ…いや…すまん…」
慌てて、頭を掻きながら謝る私は、しかし、すぐに溜息をつく事になった。
「もう、しょうがない爺じねー。よしよし、希美ちゃん、怖がらなくて良いのよ。今、お母さんが、うんととっちめてくれてるからねー。」
「そうそう、爺じなんか怖くないポニョ、怖くないポニョ。お姉ちゃん達が、ちゃーんと、爺じから守ってあげるポニョ~。」
と…
慰めると言うよりは、私を爺じと呼んで面白がるように、雪絵と茜が、希美の頭を交互に撫で回しながら、クスクス笑っていた。
不意に、何処からともなく、揚げあがった天麩羅の山が、私の側に置かれると…
「じゃあ、こちらの天麩羅の盛り付けもお願いします。爺じ。」
和幸も、ニッと隣から笑いかけてきた。
「お…おいっ!カズ君!き…き…君もかいっ!」
私が、目をパチクリさせ、口元をワナワナさせて言うと、またまた、辺りは爆笑の渦につつまれた。
私は、もう、観念するしかないなと思った。
もはや、ここの悪ガキどもに、私を親社(おやしろ)様と呼んで頂ける日は、二度と来ないものと思った方が良さそうである。
そんな大騒ぎの中…
いつもなら、厨房のど真ん中に立って、がなり声をあげてる筈の由香里が、何ともしおらしくおとなしい。
里一と仲良く並んで魚をさばきながら、時折、彼の顔を見ては、恥ずかしそうに笑っている。
あの由香里が、可愛いものであるを
最も…
「もう!お父さん!ちゃんと見ててあげないから!希美ちゃん、衣だらけになっちゃったじゃない!」
今度は、天麩羅の衣をつける大鉢を頭からひっくり返えしてしまい、このままあげたら、大きな天麩羅になってしまいそうな希美を見て、菜穂は和幸に目くじらを立てている。
ついこの前まで…
拾里に辿り着くまで…
誰よりも淑やかで大人しかった菜穂も、娘ができた途端、こんな感じである。
由香里が、里一の前で猫をかぶってるのも今のうちであろう…
それでも…
娘ができてこうなった菜穂も、恋人を目の前にしてああなってる由香里も、何とも可愛く愛しいものだと、微笑まずにはいられない。
と…
政樹と竜也は、全身衣塗れになってケラケラ笑っている希美の側にゆき、その口にお菓子を入れてやりながら、耳元で何やら囁いていた。見れば、由香里の方を指差して、ニヤニヤ笑っている。
あの悪ガキ共…
今度は、何を企んでいるんだか…
「うん!」
希美は、満面の笑みで大きく頷くと、空いた大皿をもって、トコトコ、由香里の方に向かいだした。
次に衣をつける捌いた魚を受け取りにゆこうとしてるのだろう。
それにしても…
ジーッと様子を見て、ニヤニヤ笑っている、政樹と竜也が気になる。
やがて、由香里の後ろに辿り着くと、袖裾をひっぱって…
「おばちゃん、おちゃかな、おちゃかな…」
「えっ!おばちゃん?」
由香里が大きく目を見開いて振り向くと、希美は満面の笑みを浮かべて、大皿を差し出した。
「おばちゃん、おちゃかな、おちゃかな…」
「あらー、希美ちゃん、ちゃーんとお手伝いしてるんだ。偉いのねー。」
「うん。お手伝い、エライねー。」
希美は、由香里がワナワナ手を震わせてるのも気づかず、得意げにうなずいた。
「でもね、私は、おばちゃんじゃないのよ。お姉ちゃんなのよ、わかった?」
「はーい、おばちゃん。」
「だから、おばちゃんじゃなくて、お姉ちゃん。お姉ちゃんよ。」
「はーい、おばちゃん。」
由香里は、希美に笑いかける頬をヒクヒクさせ、両手をブルブル震わせていると、横から、ククククク…と笑いをかみ殺す声が聞こえてきた。
思わずキッと睨みつけるように振り向き、いつもの眉に皺寄せ、口をへの字に曲げると、政樹と竜也が、プイッと横を向いて、すっとぼけていた。
希美は、何も気づかぬまま、お皿いっぱい捌いた魚を乗せて貰うと、和幸と菜穂のいる方に戻り…
「希美ちゃん、ありがとう。」
「ちゃーんと持って来れて、偉い偉い。」
二人に良い子良い子して貰って、ご機嫌になっていた。
「アンチクショウ!クソガキ!全くもう!」
由香里は、希美の後ろを向くや、怒り心頭で、魚をざっくざっく捌き始めた。
「マサとリュウの奴め!覚えてらっしゃい!明日から、揃って、おじちゃんにしてやるんだから!ユカ姉は怖いんだぞー!」
すると…
「そんな切り方をしなすったら、魚が可哀想でござんすよ。」
里一は、サッと由香里の後ろに回り、魚を捌く手に手を添えながら言った。
「里一さん…」
由香里は、またポッと頬を紅く染めながら、忽ち全身が火照り出すのを覚えた。
「料理の基本は、愛情にござんすよ。」
里一は、由香里の手に添えた手をゆっくり動かし、魚を捌き始めた。
包丁は、切れ味滑らかに魚の上を走り、美しく三枚に降ろされてゆく。
「命を頂く食物への愛情。その食物から産み出される料理への愛情。何より、それを食べさせたい人達への愛情。
そうした愛情の一つ一つが、暖かく優しい味を引き出すんでござんすよ。」
里一の言葉に耳を傾けながら、また一匹、魚に包丁が入れられると、由香里の身体は一層火照って鼓動が高鳴り、頭の中は真っ白になって行った。
「ポヤポヤ~。」
いつの間にか、ぼんやり里一と由香里の姿に魅入っていた私の顔を、突然、目を三日月にした茜が覗き込んできた。
「爺じ、何ぼんやりしてんの?」
ハッと我返ると、調理はいよいよ最後の仕上げに取り掛かっていた。
「おっ!うまいぞ!うまいぞ!」
「希美ちゃん、もう一つ揚げちゃおうかー!」
衣をつけた魚の切り身を油に入れる希美に、政樹と竜也が拍手喝采して掛け声をかけていた。
「もう一つ、揚げちゃおーかー!」
希美は、政樹と竜也の口を真似ながら、また一枚切り身を油に入れて、ケラケラ笑っていた。
どうも、衣のついた切り身が、油に入った途端、シュワシュワーッと音がするのが面白いらしい。
「もう、駄目よ!希美ちゃん、危ない!危ない!お手手に油が跳ねたら、熱い熱いになるでしょう!」
血相変えて辞めさせようとする菜穂に…
「良いじゃないか。あんなに喜んで上手に揚げてるんだ。これも経験、やらせてやろうよ。」
和幸が嗜めると…
「まあ!お父さん、希美ちゃん、まだ小さいのよ!お手手、火傷しても良いの!」
包丁の時同様、またしても菜穂は和幸に食ってかかり…
「そう言って、何でも危ない危ないと言ってやらせないの、母さんの良くないところだぞ!」
と、今度は日頃の温厚さが嘘のように和幸が声を荒げだし…
またもや二人は、犬も食いそうにない喧嘩を始めていた。
「爺じ、百合さんが恋しくなったポニョ~。」
茜は、ますます両目を三日月にし、頬に大きな笑くぼをこしらえて言った。
「気持ちわかるポニョ~。幼い時からずーっと思いを寄せていて…でも、長ーい間引き離されて、すれ違って…やーっと二人きりになれたかと思いきや、一緒に過ごせたのは一月半…しかも、あそこで痴話喧嘩してるお邪魔虫が絶えず側にいて…
切ないポニョ~…」
私がどんな顔して良いか困り果て、ひたすら苦笑いしてるのも気に留めず、茜は延々と勝手に感傷に耽って喋り続けていた。
「私だったら、耐えられないポニョ~!マサ兄ちゃんとたった一月半足らずで、引き離されるなんて…
しかも、その一月半…男みたいなユカ姉ちゃんや、おばちゃん体型のユキ姉ちゃんに絶えずまとわりつかれてたなんて…
あー、考えただけでも…」
「おばちゃん体型で、悪ーござんしたね…」
些か閉口気味な私を察してかしないでか…
まるで私の気持ちを代弁するように、横から割って入る雪絵が、大きく横に首を振りながら溜息をついた。
「茜ちゃんは、少ーし、マサ君と引き離された方がよくってよ。日がな一日しょーのないお菓子ばっか二人でこしらえて、いちゃついて…少しは、傍目も気にしなさいな。見せつけられてるこっちは、もうウンザリなんだから…」
「まーっ!何言っちゃってるポニョ~!ユキ姉ちゃんこそ、リュウ君の手を胸元に入れさせてない時ないポニョ~!みーんな、目のやり場にいつも困ってるポニョ~!」
どんぐりの背比べとはよく言ったものだが…
互いにプイッとそっぽを向き合う二人の顔を見比べながら、私は思わず吹き出しそうになる。
しかし、その笑いも、次に二人が投げかけてくる言葉に、苦笑いに変わる。
「それでさ、爺じ…カズ兄ちゃんとナッちゃんの甘ーい暮らしっぷりはわかったんだけどさ…
爺じと百合さんはどうだったポニョ?」
「そうそう…
カズ兄ちゃんの事もいろいろあったけど…
やーっぱり、百合さんに会うのが目的もあーったんでしょう?
まさか、爺じ…前に百合さんが此処に来た時みたいに、手を握り合って眠っただけ…なーんて事は、ないわよねー。」
「イヤーン!爺じ、まさか、手を握っておしまいなんて、あり得ないポニョ~!もし、私がずっと引き離されて、すれ違い続けてきたマサ兄ちゃんと、たった一月半しか暮らせないんだったら…もう、一日中、寝床の中に引きずり込んで、離さないポニョ~」
「ねえ、爺じ、百合さんとどう暮らしたの?」
「そうよ、そうよ、爺じと百合さんの話も聞かせるポニョ~。」
爺じ…
ついさっきまでは、明らかに私を揶揄うつもりで強調して、そう呼んでいたわけだが…
今はもう…
何と自然にそう呼んでいる事か…
この子達の間では、爺じが、完全に私の正式な呼び名として浸透してしまったようだ。
私はまだ、四十半ばだと言うのに…
「ねえ、夜は、爺じと百合さん、毎日何十回励んだのー。朝何回?昼何回?夜何回?」
「私とマサ兄ちゃんだったら、上から攻めて十回!下から喘いで十回!合計二十回!朝、昼、晩、一日合わせて六十回はいけるポニョ~。」
と、そこへ…
「あのね、お姉ちゃん達…
爺じは、百合さんと密会や逢い引きしに行ったんじゃーないの。わかってる?」
これまた、私の爺じ以上に、最早、和幸の公認の恋人から夫婦に格上げされ、希美の母親が定着した菜穂が、実に大人びた物言いで、口を挟んできた。
「そりゃあ、わかってるポニョ~。」
「でもね…」
茜と雪絵が、意味ありげに目を合わせると…
「あのね…拾里では、本当、カズ兄ちゃんもいろいろあって傷ついてたし、爺じだって…
それに…
お姉ちゃん達、大事な事、忘れてない?」
「大事な事?」
「そう!愛ちゃんの事よ。本当は、爺じの初めての赤ちゃんを、愛ちゃんが産んで…
でも、もうすぐ、愛ちゃんとも赤ちゃんとも別れなくちゃいけなくて…
本当なら、片時だって離れたくない愛ちゃんと赤ちゃんを置いて、爺じは出かけたのよ。
そんな、浮ついた気持ちで出かけたわけじゃないの。そこんところ、よーっく考えてものを言いなさいな。」
菜穂に言われて、まだ何かもの言いたげに互いに目を合わせながらも、茜と雪絵は漸くしゅんと大人しくなった。
愛…
拾里にいる時は、毎晩、思いを馳せて会いたかったのに…
今は、妙に会うのが躊躇われる。
『痛いよー!痛い!痛い痛い!痛ーい!!!』
『助けて!助けて!助けて!』
『お父さーん!お母さーん!親社(おやしろ)様!カズ兄ちゃーん!!!』
『痛いよー!痛いよー!助けてよー!!!』
皮剥の最中…
一晩中、泣き叫び続けた愛の悲痛な声が、またもや、耳の奥底に蘇ってきた。
『愛ちゃん!』
あの時…
愛の声にとうとう堪えきれなくなった私は、祝詞を中断して、愛の方を振り向いた。
誰も、祝詞の中断に気付いていない。
皆、愛をよってたかって玩具にする事に夢中になっていた。
皮剥と赤兎の兎幣は神領(かむのかなめ)の神聖な祭祀…
領民(かなめのたみ)達の罪や穢れを、赤兎の身体(からだ)で贖わせる禊の祭祀…
神使(みさき)達は、口を揃えてそう言って、廃止しようと言う私に猛反発してきた。
しかし…
結局、誰も祭祀になど関心はない。
皆、祭祀に託けて、どす黒い欲望を満たし、歪んだ憎悪を晴らし、そこから上がる膨大な利権にしか興味がない。
また一人、愛の参道に穂柱を捻り込んだかと思えば、別の一人が愛の尻を押し広げ、裏参道に穂柱を捻り込む。
『痛い!痛い!痛い!』
愛が声を上げると…
『喧しい!これでも咥えとけ!』
新たな一人が、愛の口に穂柱を頬張らせた。
気づけば、私は怒りに震えていた。
最早、此処までだと思った。
側に置いてあった居合刀・胴狸をとった。
『今、助けてやるぞ…』
その時…
『いけませんなあ、親社(おやしろ)様が祝詞を中断され、持ち場を離れるとは…』
既に愛の参道や裏参道、口の中に、穂柱から放たれるありったけの欲望の塊を打ちまけた康弘連(やすひろのむらじ)が、私の前に立ちはだかった。
『康弘…どけ!』
私が胸ぐらを掴んで退けようとすると、康弘連(やすひろのむらじ)は、ニィッと笑い…
『わかっておりましょうな、親社(おやしろ)様。もし、皮剥が中断され、赤兎が兎幣されぬ事になったら…
崇儀会(たかきのりのえ)は、全会一致で貴方様の不信任と罷免請求を出す事になりますぞ。』
それがどうした…
元より、宮司職(みやつかさしき)になど興味ない…
喉の奥底まで言葉が出かかった時…
『貴方様が宮司職(みやつかさしき)を罷免されたなら…此処の兎共はどうなるとお思いかな?兎共と親しくしていた領内(かなめのうち)の子供達は…貧民窟の連中は…河原者共や祠兎共…不具・白痴の連中は…』
康弘連(やすひろのむらじ)は、口元大きく吊り上げて、ニンマリ笑って見せた。
『何だと…』
『私は、貴方様が宮司職(みやつかさしき)につかれてからなされた事、一つ一つが気に入らなかった。仔兎神(ことみ)を製造する繁殖動物にすぎん兎共を、巷の子供達と同じに扱うなさりようも、領内(かなめのうち)の子供達と親しく交わらせて遊ばせるなさりようも…
何ら生産性のない河原者の乞食共や、役立たずな貧民窟の保護、歳食って兎を解かれても、男と寝る事しか知らぬの山裾兎共の支援…何もかもが気に入らなかった。
何より気に入らなんだのは、間違って産まれ出た、生きる価値もない不具や白痴、病持ち共の為に、拾里など開かれた事…』
『何が言いたい…』
『貴方様が罷免されたなら、全てこの私が、ぶち壊させて頂きますよ。貴方様が築かれたしょうのないもの全てをね。』
『康弘…貴様…』
『さあ、どうなさいますかな?愛は既に赤兎…ほれ、ご覧なされよ、もう既にあんなに白穂塗れになって…今も、三人の穂柱を一度に三つの穴に受け入れて、おりますぞ。』
私が、思わず胴狸の切っ先を向けるのを見ると、康弘連(やすひろのむらじ)は、やれるものならやってみろと言わんばかりに、また一段と口元を吊り上げ…
『それがしと、それがしの倅達も、愛の口と、表と裏の参道に、何度も何度も、穂柱を捻り込んで、たっぷり白穂を注いでやりましたぞ。
いやー、小ちゃな胸の膨らみを抓り挙げながら捻り込んだ時の締め付けは、何度やってもたまりませぬなあ。』
私が、いよいよ震える手に握る胴狸の切っ先を、康弘連(やすひろのむらじ)の首筋に突きつけると、ククククと薄ら笑いの声まで漏らし出した。
『愛の身体(からだ)は、もう二度と元には戻りませぬぞ。今にも斬り殺したくてたまらない、それがしの白穂にべっとり濡れた、愛の御祭神は、もう二度と綺麗にはなりませぬ。
そんな汚れたガキ女の為に、これまで築き上げてきたもの全てを壊しなさるかな?
壊しなされたいのでしたら…
さあ、それがしをバッサリお斬りになり、この祭祀を中断させるが宜しかろう。』
私は康弘連(やすひろのむらじ)の胸ぐらを、突き飛ばすように離し、その場に膝をついた。
目の前では、口腔内に白穂を放たれ、愛が激しく咽せ込んでいた。
参道と裏参道を抉っていた男も、同時に放ち終えた、疼きの鎮まった穂柱を抜いてニンマリ笑っていた。
そしてまた、別の男が休みなく愛を押し倒そうとする。
『嫌っ!嫌っ!嫌っ!』
愛は、押し倒す男かれ逃れようと、首を振り立てて声を上げた。
すると、別の男が二人、愛の両手を押さえつけ、押し倒した男は、無常に愛の両脚を拡げ、血と白穂に塗れた小さな神門(みと)のワレメに、穂柱を捻り込んだ。
『キャーーーーーーッ!!!』
再び、愛の絶叫がこだまする。
しかし…
居合刀・胴狸を握りしめ、愛の方へ足を向けつつ金縛りにあったように身動き出来ず震えている私に目を留めると、抗う事をやめ、口を噤んだ。
私が、また一歩踏み出すと、愛は苦痛に顔を痙攣らせながらも、ニッコリ笑って首を振った。
『愛ちゃん…』
立ち止まる私に、愛は、今度は大きく頷いた。
その目は、来てはいけないと言っている。
『それにしても…これはどう言う事なのか説明していただけませんかな?』
康弘連(やすひろのむらじ)は、再び新たな男にのし掛かられて泣き叫ぶ愛を見つめながら、些か眉をしかめて言った。
『赤兎は、身体(からだ)を隠してはならんだけではない。穂供(そなえ)中、いかなる苦痛や拒絶の言葉も発してはならんはず。だのに、私にされてる間中も、痛いとか、やめてとか、助けてとか叫びおった。』
皮剥が始まり、既に一刻半が過ぎていた。
散々待たされたのであろう…
新たな男達は皆、自分の番が回ってくると、じっくり味わおうともせず、いきなり愛の脚を押し広げ、参道に穂柱を捻り込んで行った。
『痛い!痛い!痛い!』
愛はまた、首を振り立てて泣き叫び出した。
『宮司職(みやつかさしき)として、教育がなってませんな…』
私は、康弘連を横目で睨み据えた。
『後で、きっちり仕置きされるんでしょうな。』
『仕置き?』
『当たり前でしょう。赤兎の分際で、穂供(そなえ)中に痛いなどとほざくなど許されぬ事。最初が肝心ですからな…しっかり、仕置きして頂きますよ。我らの立ち合いの上…』
私はみなまで言わせず、一度は鞘に収めた胴狸を、再び抜き放ち…
『親社(おやしろ)様、何をなされる!』
康弘連(やすひろのむらじ)は、血相変えて叫びながら、左肩目掛けて突き入れられた胴狸の切っ先を交わした。
『何故、交わす…』
私は、突きを交わされた切っ先を返し、額に汗を流す康弘連(やすひろのむらじ)の首筋に突きつけた。
『次は交わさず受けられよ…』
益々蒼白になる康弘連(やすひろのむらじ)は、私をジッと見据えながら震え出していた。
『おまえが身体(からだ)を切られ、貫かれ、何一つ苦痛の声を上げぬなら…気持ち良い、もっとしてくれと言えるなら…私も、愛を赤兎としてそのように躾よう。』
私は、腰を抜かして座り込み、尿を漏らす康弘連(やすひろのむらじ)に背を向けると、再び愛の方に目を向けた。
『アァァァァッ!アァァァァッ!アァァァァッ!痛い!痛い!痛ーい!』
のし掛かる男に、更に激しく参道を抉られ、声を上げて泣き叫び続ける愛と、また目があった。
『ウグッ!ウグッ!ウグッ!』
愛は、つま先を伸ばし、腰を浮かせて身をよじり、首を反り返らせて呻きながら、ジッと私の方を見つめていた。
私がまた近づこうとすると、痙攣る笑みを浮かべて大きく首を振った。
『愛ちゃん…』
私は、助ける事ができなかった。
何もする事ができなかった。
ただ、苦痛に泣き叫ぶ愛を前に…
『アァァァァーーーーーッ!』
声にならぬ声をあげ、抜き放った胴狸を逆手に高く掲げると、思いきり私の右足甲に向けて振り下ろし、貫く事しか出来なかった。
「爺じ、天麩羅…天麩羅…」
ふと、いつの間にか側にやってきた希美が、お皿いっぱいの天麩羅を差し出して見せ、ニコニコ笑っていた。
「これ、全部、希美ちゃんが揚げたの?」
私が聞くと…
「うん!天麩羅、シュワーッ!天麩羅、シュワーッ!」
希美は得意げに頷いて言った。
「そうか、偉かったね。」
「うん!」
すると…
「さあ、希美ちゃん、おばちゃんにも見せておいで。」
「そそ、おばちゃんに…」
クククク…と笑いを嚙み殺しながら、希美に促しかけた政樹と竜也は、菜穂にジロッと睨まれ、口を噤んだ。
今や、由香里と亜美並みに鬼娘に変身してしまった菜穂に、あの後、散々油を絞られたばかりだったのだ。
「希美ちゃん。お姉ちゃんって言うのよ。お姉ちゃん。」
菜穂は、『フンッ!』と二人の悪いお兄ちゃんにそっぽを向くと、希美に優しく頬を撫でながら言い聞かせた。
「うん。お姉ちゃん…」
「そう、もう一度、言ってみようか。お姉ちゃん。」
「お姉ちゃん。」
希美がニコニコ笑って言うと…
「爺じ、お姉ちゃん、言えたよ。」
今度は、私の方を向いて、希美はニコニコ笑って言った。
「聞いていたよ。ちゃんと、お姉ちゃんって、言えたね。偉いぞ。それじゃあ、お姉ちゃんに見せておいで。」
「うん。」
希美は、また満面の笑みを浮かべて頷くと、山ほど天麩羅を乗せた大皿をもって、トコトコと由香里の方に向かって行った。
『そうか…私は、あの子の爺じになったのだな…』
希美の後ろ姿をみつめながら、ふと思う。
あの子を、和幸と菜穂の子として引き取ると決めた時からであった。
愛に対する胸の痛み…
百合に対する胸の痛み…
智子に対する胸の痛み…
早苗に対する胸の痛み…
ゆっくりと、少しずつ薄らぎ、和らぎ始めていた事に、今気づく。
それならば…
四十代半ばにして、爺じも、悪くはないのかも知れないと、思い始めてきた。

兎神伝〜紅兎二部〜(7)

2022-02-02 00:07:00 | 兎神伝〜紅兎〜追想編
兎神伝

紅兎〜追想編〜

(7)恋慕

「なーーーるほど!!!!それで、親社(おやしろ)様が爺じと言う訳ですかい!!!」
これまでの経緯を事細かに話し終え、政樹がポーンと一つ手を打った途端、厨房は大爆笑の渦に包まれた。
私は、やっぱり話さない方が良かったかなと、思わず下に目を伏せる。
「爺じ?」
漸く機嫌をなおして、いつものようにニコニコ笑ってる希美が、小首を傾げて不思議そうに、俯く私と笑いこける皆の顔を、交互に見比べた。
そして…
皆が笑いこける中、一人、唇を噛んで俯く由香里に目を留めた。
見れば、さっきまでの威勢良さと打って変わって、隅でしおらしく立ち尽くし、時折、里一の方を見ては、また恥ずかしそうに俯いていた。
「はい、どーじょ。」
希美は、狸を象る大福を取ると、ニコッと笑って、由香里に差し出した。
「あらあら、お姉ちゃんにもくれるの?優しい子ね、ありがとう。」
由香里は、受け取る大福を一口齧り…
「うん、美味しい。」
漸く笑顔になって、希美の頭を撫でた。
「どだ、旨いポニョ。」
茜は、すかさず横からひょこっと首を出して言うと、鼻の下を擦りながら、ニマッと笑った。
「なーに、アケちゃんの真似してるのよ!」
由香里が、また口をへの字にして振り向くと…
「ほぇー、よりによって狸大福とは…まるで、共食いじゃねえか。」
政樹が言い…
「何ですってーーーー!!!」
むくれる由香里に…
「うわー!本当、まさに狸そのものだーーーー!」
竜也が声をあげるなり、またもや、厨房は笑いの渦に包まれた。
次の刹那…
「うわっ!」
「痛いポニョッ!」
「痛ってぇーーー!!!」
続け様、由香里に打たれた頭を抑え、政樹と茜と竜也が声を上げた。
「もうっ!」
茜はムッとして、剥れた顔を由香里に突き出すと…
「何で、私まで、ぶつんだポニョー!」
腕組みしながら、目の前の由香里を真似て、眉に皺寄せ、口のへの字にして見せた。
由香里も負けずに、益々、眉に皺寄せ口をへの字に曲げて、茜を睨み返す。
その時…
「相変わらずでござんすねー、由香里さんは。」
いつの間にか、和幸と肩を並べて魚を捌いていた里一が言いながら、ニィッと笑って見せた。
由香里は、「ハッ!」と雷にでも撃たれたような顔すると、忽ち頬を真っ赤に俯いた。
「ポヤー?」
茜は、急に大人しくなってしまった由香里の顔を除き込むと、両目を三日月にして、頬に大きな笑くぼをこしらえた。
「ユカ姉ちゃーん、ホッペが真っ赤っかだポニョ~。」
言いながら、面白そうに、由香里の両頬を人差し指でツンツンすると…
「バカっ!」
思わず拳を上げる由香里に…
「ポヤポヤ~?ぶっちゃうポニョー?里一さんの前でー?」
茜は悪戯っぽく言いながら、ジーッと里一の方に目線を移して見せた。
「乱暴な女の子は、嫌われちゃうポニョ~。」
振り上げかけた拳のやり場に困る由香里は、すぐ側でクックック…と笑い声を嚙み殺している政樹と竜也をキッと睨みつけ、歯をむき出して見せた。
「さあさあ、みんないつまで、僕達だけに料理させる気だー。」
和幸が、また一匹さばき終えた魚を、菜穂に渡しながら言うと、漸くみんな、オカズがまだ何も出来てない事を思い出した。
「まあ、希美ちゃん、上手、上手。」
「お手伝い、お母さん、お手伝い。じょーずねー。」
見れば、菜穂と一緒に、捌かれた魚に衣をつけて、希美がご機嫌に笑っていた。
本当は…
「お父さん、お手伝い、お父さん、お手伝い…」
そう言って、希美は包丁を持ちたがっていた。
「よし、やってみるか。」
「良いでござんすねー。このくらいから教えると、料理が上手くなるでござんす。」
和幸と里一は乗り気で、希美に包丁を持たせようとしたのだが…
「わあっ!ダメダメ!希美ちゃん、危ないわよ!」
菜穂が飛んできて希美を抑えると…
「お父さん、手伝う、手伝う。」
と、希美はべそをかき出した。
「希美ちゃん、包丁は危ないのよ。お手手切ったら、痛い痛いになっちゃうのよ。」
菜穂が必死にたしなめれば…
「お父さん、手伝う。」
希美は、益々べそべそし始めた。
すると…
「そうだよ!何で止めるんだよ!」
これまで、何を教えるのも菜穂に独り占めにされ、漸く出番が訪れたと思っていた和幸が、口を尖らせ文句を言い…
「まあ!お父さん!包丁何か持たせて、希美ちゃんのお手手、怪我したらどうする気なの!」
せっかく、仲直りしたはずの菜穂は、またしても和幸を睨みつけて食ってかかった。
そこへ…
「さあ、お母さんと一緒に、衣つけよっか。」
私が、捌かれた魚に衣をつけながら言うと、忽ち興味深そうに、私の手を見つめた。
「どうだ?面白いんだぞー。」
私が、わざとゆっくり丹念に衣をつけて見せると、希美はすっかり包丁を忘れて、衣付けに釘付けになった。
「ナッちゃん。」
希美が、すっかり衣付けに魅入った頃合いを見て声をかけると、菜穂はニコッと笑って頷き…
「さあさあ、お母さんを手伝ってくれる?」
と、希美の頭を撫でた。
「うん。お母さん、手伝う、手伝う。」
言われるまでもなく、早く捌かれた魚を弄りたくてたまらず、手を伸ばしていた希美は、満面の笑みで頷いた。
「見ろ、こんなおチビちゃんも手伝ってるんだぞ。さあ、みんなもお手伝いだ。」
私が言うと…
「へーいっ!」
「合点、承知だポニョ~!」
雪絵と茜が威勢良く返事をし…
「さあ、リュウ君。」
「やるポニョ、マサ兄ちゃん。」
それぞれ、ホの字な女の子に促されるままに、竜也と政樹も、和幸と里一を手伝い始めた。
由香里は、まだ、魚を捌く里一を見つめながら、モジモジと立ち尽くしていた。
「カズ君。」
私が声をかけ目線で促すと、和幸は由香里に目を留めて…
「ユカ姉さん、此処、代わって貰える?」
「えっ?」
「僕は、ナッちゃんと希美ちゃんを手伝ってやらないと…」
戸惑う由香里に大きく頷いた。
「うん!」
由香里は、漸く和幸の意図を察すると、いつもの形相からは想像もつかぬような笑みを満面に浮かべ、頭に手拭いを撒いて、里一の隣に向かって行った。