兎神伝
紅兎〜革命編其乃一〜
(16)紅王
『一二三四五六七八つ(ひふみしごろくななやっつ)…』
駿介は、滾る怒りを鎮め呼吸を整えながら、心の中で数え始めた。
『死ね!革命の生贄となれ!』
奥平は、撃鉄を引き、手甲銃の薬莢を入れ替えると、駿介に銃口を向けた。
『九つまでは静寂に構え…
十を数えて、風の狭間を切る!』
駿介は、閉じた目を見開くや、八相に構えていた剣を逆袈裟懸けに薙ぎ、鈍い金属音が響く。
奥平が引く寸前であった、手甲下部の引き金が切り裂かれた。
駿介は、返す太刀で手甲上部に振り下ろし、手甲銃そのものを切り裂いた。
更に、風を走る速さでつき入れる…
鈍い金属音…
間一髪、奥平は左腕に装着した細長い盾で躱すと、そのまま駿介を弾き飛ばして不敵に笑い…
『グフッ、グフッ、グフグフグフ…
風間疾風剣…おまえに飛び道具は効かなかったんだな。』
そう言うと、両手の拳を握りながら腰に引いた。
『スーッ…
ハァーーーーー!』
大きく深呼吸をしながら、握った拳をゆっくり開きながら、前に押し出し広げ…
また、拳を握り…
片足立ちをしながら、右拳を力強く腰に引いた…
駿介は、再び腰を低くして、八相に構えた。
次の刹那…
『アチョーーーーッ!!!!』
奥平は、凄まじい奇声をあげながら蹴りを連打…
駿介が、身を翻して躱すと…
『アタタタターーーーッ!!!!』
更に奇声を発して、猛烈な拳を連打してきた。
躱し切れずに吹き飛ばされながらも、駿介は辛うじて体制を整える。
すると、奥平はクルクル回りながら、手刀、拳、蹴りを続け様に放ち…
『アチョーーーーッ!!!!』
気合の声と共に飛び蹴りを浴びせてきた。
金属音…
分厚い脛当てに護られた蹴り足を、駿介は太刀で躱して弾き返しながら思い出した。
楽土拳術と皇国拳術を融合して編み出された鬼道拳術(きどうけんじゅつ)の一派…
鬼北派鬼道拳術(おきたはきどうけんじゅつ)、北神竜王拳…
瞬時に体制を立て直した奥平は、再び休む間もなく、拳と手刀を放ってきた。
駿介もまた、横一文字、逆袈裟懸け、袈裟懸け…
風を切る疾風の如き太刀を、薙ぎ放ち続けた。
駿介の太刀が、上空より振り翳された時…
鈍い金属音…
奥平は、左腕の長盾で駿介の太刀を受け止めた。
刹那…
『ハァーーーーッ!』
奥平は、気合の声とと共に突き出し広げた掌で、駿介を弾き飛ばした。
『ウゥゥッ…』
激しく地面に叩きつけられ、全身に走る激痛と呼吸困難に呻きをあげつつ、駿介は何とか起き上がろうとする。
奥平は、すかさず飛び蹴りを浴びせ、更に飛び蹴り…
転がる駿介に回し蹴り…
奥平がとどめの一撃に、高く飛び上がったその足で、駿介の腹部を狙った。
間一髪、辛うじて躱した駿介は、蹌踉めきながらも立ち上がり、再び八相の構えに入ろうとした。
すると…
『ウッ…』
駿介は、呻きをあげつつ、何が起きたのか理解できなかった。
激痛の走る腹部に手を当てると、べっとりとどす黒い血に塗られた。
『グフッ、グフッ、グフグフグフ…』
奥平は、左腕の長盾の仕込みを抜きざま、横薙ぎに駿介を切った血塗られた長太刀を下げ、不気味な笑い声をあげた。
駿介は、激痛と共に止まらぬ出血にふらつきながら、片膝をついて八相に構えた。
『グフグフグフ…』
奥平は、尚も不気味な笑い声をあげながら、下げた長太刀を構えようともせず、近づいてくる。
不意に…
左腕を逆袈裟懸けに薙いだかと思うや、弾かれたような凄まじい音を立て、駿介は数間後ろに跳ね飛ばされた。奥平は、左手甲下部より飛び出した鞭を、更に激しく連打し、駿介を叩きのめしにかかった。
奥平の右手甲に仕込まれた五連装の銃弾をもろに受けた飯伍は、血に塗れ、激痛と呼吸困難に陥りながらも、未だ何が起きたか分からずにいた。
悪夢…
まさに、悪夢の中にいるとしか思えなかった。
あり得ぬ神漏兵(みもろのつわもの)達の襲撃も、あり得ぬ奥平の裏切りも…
しかし…
ザクッ、ザクッ、ザクッ…
緑の立無し丸兜、緑の帷子の上に深緑の胸甲に手脚当て…
右肩に盾、左肩に棘付肩当…
江頭組神漏兵(えとうぐみみもろのつわもの)達が迫るにつれて、我に返ってきた。
『大助…』
最早、完全に意識を遠のかせている大助を小脇に抱えながら、本差しの太刀を構えた。
左手が塞がっている。
仮に塞がっていなくても、脇差も握り、二刀に構える力はもう残されてないだろう。
鈍い金属音…
飯伍は、何とか残りの力を振り絞って、江頭組神漏兵(えとうぐみみもろのうわもの)を一人切った。
再び金属音…
またも、辛うじて神漏兵(みもろのつわもの)の湾曲刀を弾き返した。
最早、こちらから切り込む力は残されていない。
もし、自分一人であったなら、潔く目を瞑り、死を受け入れたところであろう。
しかし、腕の中には大助がいる。
彼らに無い夢を与えてしまったのは自分であった。希望を持たせてしまったのは、自分であった。
その代償に、どれ程人の血で手を汚させてしまったであろう。
例え、もう終わる命であったとしても…
束の間であっても、一瞬であったとしても、自分が息をしている限り、失わせるわけに行かない命であった。
飯伍は、大助を抱える腕の力を強め、最後の力を振り絞って、正眼に構えた。
しかし、抜刀隊が後ろに引いたかと思うと、無情にも小銃隊が、一斉に銃口を向けてきた。
名も知らぬ小頭が、指揮棒代わりに湾曲刀を振り上げた。それが下される時、飯伍の命も大助の命も終わる時であろう。
『大助、すまなかった…』
飯伍は一言呟くと、大助をせめて最期の一瞬まで守り抜こうと庇うように、懐に抱きしめた。
江頭組の小頭は、冷徹に湾曲刀をふりおろそうとする。
その時…
『ウッ…』
江頭三番組小頭は、突然白目を向いて崩折れていった。
続けて、何が起きたか理解できず、振り向く二人の江頭組神漏兵(えとうぐみみもろのつわもの)も、何かを眉間に貫かれ、崩折れた。
『義隆…』
静かに振り向く飯伍は、思わず目を見開いて呟いた。
既に神漏兵(みもろのつわもの)達は倒れ、代わって、長煙管の仕込みを引っさげた義隆が、中村組朧衆五人と共に立っていた。
『おまえ、どうして此処へ…』
信じられぬものでも見つめるような飯伍に何も答えず、ただ、この地で起きた惨状を、悲しげに見つめると…
『行くぞ。』
一言言って、朧一人に大助を託し、飯伍を担ぎ連れて行こうとした。
『俺は良い、大助を頼む。俺は…』
飯伍が言いかけると…
『この事、和幸達に知らせろ。』
義隆は、ぼそっと言った。
『義隆…』
『子供達を巻き込んだのは、おまえ達だろう。その責任があるはずだ。』
飯伍は、最早何一つ言葉を返さず、サブとイチが銃弾に倒れた方をジッと見つめながら、義隆に担がれて行った。
駿介は、更なる鞭の一撃を食らい、弾き飛ばされた。
あれから、何発鞭を喰らい、長太刀で斬りつけられたか知れなかった。
最早、仰向けに倒れたまま、立ち上がる力も失せていた。
『グフッ、グフ、グフッ…』
奥平は、不気味な笑い声をたてながら、ゆっくりと駿介に近づくと…
『安心しろ。じきに、平次や和幸…名無しとか言う不能の宮司(みやつさ)も側に送ってやる。』
駿介の胸元めがけて、逆手に持つ長太刀を、思い切り突きつけようとした。
その時、鈍い金属音…
不意に横入りした太刀が、奥平の長太刀を抑えた。
『火盗組組頭平蔵だ!神妙に縛につけ!』
『火盗組…平蔵だと?』
奥平が胡乱そうに声の方を見上げると、黒漆の陣笠を被った男が、鋭い眼差しで見据えていた。
『同盟紅軍には、鬼道拳士(きどうけんし)の中でも、青い巨星と呼ばれる屈指の使い手が三人いると聞いた。おめえはその一人だな。』
『そう言うおまえは、長谷川の畔に居を構える鬼の平蔵…
隠密御史のお前達が動き出すとは…
名無しの不能宮司が、未だ暗面長(あめんおさ)だと言う噂は本当だったようだな。』
『最も…若君様に命じられたのは、おめえらの探索じゃねえ。叩けば何かしら埃の出る、諸社領(もろつやしろのかなめ)の神職(みしき)共だ。弱え者虐めする奴等を徹底的に洗い出し、何らかの罪状で始末する為にな。』
『我らが、網に掛かったのは、偶然と言うわけか…』
『革命を嫌悪されてはおられたが…罪なき者に手出ししない限り、目を瞑るつもりでおられた。どうせ、失敗に終わると見越しておられてな。
童衆は既に同盟紅軍の動きを察知し、天領(あめのかなめ)の根拠地、深間山荘は密かに制圧され、同盟紅軍は壊滅している。
おめえ達は、良いように泳がされていると見ておられたのだ。』
平蔵が言うと…
『グフ、グフ、グフ…』
奥平は、また不気味な笑い声をあげた。
『泳がされていた?馬鹿な…同盟紅軍を童に売り渡したのは我ら…藤子連合紅軍派だよ。闇の紅王(こうおう)様の御指示でな。』
『闇の紅王…周恩来(チョーエンライ)、それとも毛沢東(マオツートン)とか言う異国の王か?』
『グフッ!腰抜け周恩来(チョーエンライ)に、欲惚け毛沢東(マオツートン)が紅王様とは笑わせてくれる。
紅王様は、お前達の想像もつかぬお方だ。
周恩来(チョーエンライ)に毛沢東(マオツートン)など、所詮は俄か主義者の烏合の衆…用が済めば、遠からず内輪揉めして自滅するであろう役立たずだ。』
『その理屈で、弐十手と紅兎も裏切ったのか?』
『裏切る?奴等など最初から仲間だなどと思ってないわ。』
『汚ねえぞ!散々、甘い夢を与えておいて、利用して、挙句に皆殺しを図るとは許せねえ!』
叫ぶなり、平蔵は袈裟懸けに太刀を斬りおろした。
鈍い金属音…
奥平は、左腕の長盾で太刀を交わして弾き様、鞭を連打してきた。
数打掠められ、各所から血を滴らせながらも、平蔵は右に左に素早く躱しながら、太刀を脇に構えて踏み込みの機会を計り続けた。
『お頭!』
火盗組の若い忍が一人、助太刀に駆けつけた。
『忠吾!来るな!おまえのかなう相手ではない!』
更に連打してくる鞭を躱しながら、平蔵が叫んだ。
躊躇する忠吾にも、鞭が襲いかかり、数間先に跳ね飛ばした。
呻きをあげながら立ち上がろうとする忠吾に、更なる一撃…
『忠吾行け!おまえは、黒兎達の救出に迎え!』
間一髪、忠吾の額を叩き割ろうとしていた鞭を横薙ぎに切り裂きながら、平蔵は叫んだ。
忠吾は、尚も後ろ髪引かれつつ、平蔵の断固たる眼差しに押され、抱き合うように倒れているサブとイチの側に駆け寄った。
平蔵が、束の間安堵の吐息を漏らした時…
『アチョーーーー!!!!』
奥平は、後ろ回転回し蹴りを浴びせてきた。
辛うじて躱す平蔵に、更に蹴り…
弾ける金属音…
平蔵の太刀が、奥平の脛当てに真っ二つに折られた。
上段より振りかぶる奥平の長太刀…
平蔵は、すかさず両脇より抜きはなった、二刀の小太刀で受け止めた。
下方より、奥平の蹴り…
平蔵は、受け止めた長太刀を弾きながら、腹部を狙う蹴りを交わした。
『アタタタターーーッ!!!!』
クルクルと孤を描き、飛び跳ね踊るような動きで、切ると言うより、叩きつけるように連打して、奥平は長太刀を斬りつけ突きつけてきた。
当初…
無駄に動かず、直線的に切り結ぶ闘いに慣らした平蔵は、絶え間なく機敏に飛び跳ね、曲線を描いて踊るような攻撃を仕掛けてくる奥平の動きについて行けなかった。
しかし、次第に目が慣れ、奥平の動きが見えてくると、腰を屈めて二刀中段に構えた。
やはり、無駄に動かず、クルクル動き回る奥平の目をジッと見据える。
振りかぶる長太刀…
横に受け流す…
逆袈裟に斬り上げてくる長太刀…
後方に下がり、前に受け流す…
正面から叩きつけてくる長盾を、腰を屈めて上に躱すや、二刀同時に斬り上げる…
奥平は、クルクルと弧を描いて機敏に後退して躱すと、再び蹴り…
平蔵は、今度はまともに太刀で受ける真似はせず、身を引き下げて躱し様、左手の太刀を斬り上げ、躱されると左の太刀を斬り下げた。
鈍い金属音…
奥平の長太刀が受け止めた。
続けて、平蔵が内側横薙ぎに斬りつけようとする小太刀を、奥平の左腕の長盾が抑える。
しばし、互いに押し合う形で静止して、睨み合った。
その時…
『リック!リック!ドームッ!リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!リック!リック!ドームッ!』
突如、独特の喚声が響めき渡ったかと思うや…
ドムッ!ドムッ!ドムッ!
鈍い砲声が各地で発せられると同時に、凄まじい爆音が炸裂してきた。
満身創痍で、里一と息吹に抱えられていた右門は、蒼白になった。
目の前で、傷だらけの弐十手や目明達を担ぐ火盗組が、次々と爆裂音と共に吹き飛ばされて行った。
周囲の木々の狭間から、新手の軍勢…
十字型の黒い兜、紫の帷子の上に、黒い鎧と腕脚当てに身を固めた、昴田組神漏兵(すばるたくみみもろのつわもの)達が、再び砲銃を向けていた。
狙う先は、やはり、負傷者を担ぐ火盗組であった。
内数人は、伝六、千代、春を担ぐ火盗組に狙いを定めていた。
『離せっ!』
右門は叫ぶと、傷だらけの身体で、昴田組砲銃隊に向かって行こうとした。
里一と息吹は、がっしりと押さえつけた。
『離すんだ!伝六が!千代ちゃんと春ちゃんが!』
絲史郎と睨み合う主水は、顔色一つ変えず、太刀を握る手を挙げると、静かに振り下ろした。
刹那…
今、まさに砲銃を撃たんとした神漏兵(みもろのつわもの)達が、一斉に凄まじい断末魔の声と共に倒れた。
上空より舞い降りる無数の中村組が首筋を、いつの間に草叢に隠れ潜んでいた中村組も踊り出てきて腹部を突き刺し、神漏兵(みもろのつわもの)達を仕留めたのである。
絲史郎の背後に控えていた神漏兵(みもろのつわもの)達が、小銃を構えた。
主水は、振り下ろした太刀を、横一文字に振り薙いだ。
忽ち、地中に潜んでいた中村組達が飛び出すや、小銃隊の昴田組を刺し殺していった。
小銃隊の神漏兵(みもろのつわもの)達は、虚しく上空を撃ち上げながら、呻きを漏らして倒れていった。
主水は、太刀を頭上で大振りに回した。
すると、砲銃隊と小銃隊を始末した中村組達は、順に、上段、右脇、中段、左脇、下段、に構えて絲史郎を取り囲んだ。
砲銃隊の生き残りの一人が、指揮をとる主水に狙いを定めた。
いち早く気付いた息吹が走った。
ドムッ!
鈍い砲声…
息吹が、主水との間に立ち、鉄傘を広げると同時に、耳を劈く爆裂音が響き渡った。
灰色の煙が緩やかに引いて行く。
火盗組達と抱えられた負傷者達が息を呑んで立ち尽くす中…
『息吹!』
聾唖の息吹に聞こえぬと知りつつ、里一が叫んだ。
息吹は、広げた鉄傘を脇構えの格好で握りしめたまま、微動だにせず立っていた。
耳が聞こえぬ為、凄まじい爆裂音に動じてる様子もみられなかった。
昴田組の砲兵は、額に汗を垂らしつつ、続け様に二発撃ち放った。
息吹は、鉄傘をクルクル回しながら砲撃を跳ね返すと、先端から飛び出した矛先を向けて、砲兵にぶつかっていった。
砲兵は、砲銃を捨てて太刀を抜く間も無く、鉄傘の矛先を貫かれて絶命した。
別の砲兵と小銃兵が、一斉に息吹に銃口を向けた。
息吹は、鉄傘を回し、踊るような動きで砲弾や銃弾を躱して近づくと、鉄傘の矛先を貫き、柄から抜きはなった仕込みで斬りつけ、砲兵五人を斬り殺した。
周囲では、息吹に続いて、聾唖の燕組謐隊(つばくろぐみしずけたい)が、同じく踊るような動きで、鉄傘の開閉を繰り返しながら、残りの砲兵・小銃隊を屠っていった。
『何してる!火盗組、行けえっ!』
勇介は、叫びながら背中の琵琶を構えて弦を弾いた。
先端から、五連装の仕込み連弩の矢が放たれた。
神漏兵(みもろのつわもの)の抜刀隊が、纏めて五人倒れた。
勇介は、一度琵琶を振り上げると、また身構えて弦を鳴らして矢を放つ。
火盗組は、素早く救出隊と分かれた攻撃隊が反撃を開始、盲目の燕組昏隊(つばくろぐみくらきたい)は、救出隊を援護するべく仕込み杖を抜き放った。
里一は、右門を抱えながら仕込みを逆手に抜き放ち、続け様に五人の湾曲刀を振り翳す神漏兵(みろのつわもの)を切り倒した。
中村組の忍達は、主水の振り翳す太刀の動きに合わせ、絲史郎を囲む輪を狭め或いは広げながら、グルグルと旋回し続けていた。
絲史郎は、先程までのニヤケ顔は消え、鋭利に細めた目で辺りを見回しながら、正面左右交互に風車の如く湾曲刀を回し続ける手を一層早めていった。
突如、中村組の一人が上段より切り下げる。
弾くような金属音…
最初の切り込みが軽く交わされると、別の一人が下段から切り上げる。
一段と高らかに響く金属音…
絲史郎は、数人の太刀を軽く弾き返すと、突如、不意を突くように、切り込む忍とは全く別の忍数人に向けて突き入れ、斬り込んだ。
忍達は、間一髪のところで後退して躱すと、それまで綺麗に弧を描いて回っていた布陣を変え、蛇の如く蛇行しながら、やはり周囲を回り続けた。
絲史郎はまた、湾曲刀を風車の如く回し始めた。
再び激しい金属音…
やはり、中村組忍の一撃は、回転する湾曲刀に受け止められた。
しかし…
今度は、あっさり弾かれる事なく、太刀を重ねたまま、中村組忍も推し止まった。
一瞬…
絲史郎と中村組忍は、力押しに押しあった。
後方より別の忍が斬りつける。
絲史郎は、最初の忍を突き飛ばして、後方に切り返す。
金属音…
後方の忍は軽く交わされたが、これを機に、次々と中村組の忍達は、斬りかかっていった。
激しく打ち合う金属音が連打する。
中村組の忍達の攻撃は、悉く交わされたものの、先程までの風車の如き回転はなくなった。
主水は眼光鋭く煌めかせるや、振り下げたままの太刀先を裏返した。
周囲を取り巻く木々の梢の狭間を照らす陽光に、太刀先が眩しく反射する。
刹那…
それまで激しく攻勢を仕掛けていた中村組忍達は、素早く後退…
同時に、鈍い音を立てて、四方八方の梢の狭間より、絲史郎に向けて鎖が放たれた。
続けて、周囲を取り巻く忍達も鎖を投げ放った。
絲史郎は、再び正面左右…更に上空に向けて、湾曲刀を風車の如く旋回させると、鎖を悉く断ち切った。
梢の狭間に隠れていた忍達が一斉に舞い降り、逆手に握る忍刀を突き立てる。
周囲を取り囲む忍達も、前後二段に分かれて駆けてくる。
後方の忍達は、直前で前方の忍達を踏み台にして舞い上がり、太刀を上段より斬り降ろしながら…
前方は、一人ずつ交互に、右脇逆袈裟、左八相袈裟懸け、左脇逆袈裟、右八相袈裟懸けに斬りつけた。
張り詰めた時が止まった。
次の瞬間…
続け様に鳴り響く、耳をつんざくような金属音…
同時に、折れると言うより真っ二つに斬られた忍刀の破片が飛び散った。
静寂…
血塗られた湾曲刀を引っ提げる絲史郎の周囲で、二十人の中村組忍達は、悉く声もあげずに倒れた。
『チッ!』
中村組組頭の主水は、口元を痙攣らせて舌打ちすると、静かに抜刀して、腰を低く正眼に構えた。
また一人、棍棒の如く振り下ろした鉄傘で神漏兵(みもろのつわもの)を倒すと、息吹は中村組の急変を目に止めて、傘を開閉させながら、派手な踊りを踊り始めた。
聾唖の燕組謐隊(つばくろぐみしずけたい)の間で交わされる合図である。
『息吹!来るな!引けっ!』
相手が耳が聞こえないのも忘れ、主水が血相を変えて叫ぶ中…
謐隊達は、息吹の傘踊りを見届けると、一斉に主水の元へ駆けつけ、前後二段に分かれて絲史郎を囲んだ。
前段は、交互に立つ者と片膝つく者に分かれるや、一斉に広げた鉄傘を、竹蜻蛉の如く投げ放った。
凄まじい勢いで旋回する鉄傘が、四方上下より絲史郎を狙う。
絲史郎は、再び湾曲刀を風車の如く旋回させるや、十本の鉄傘を悉く真っ二つに切って落とした。
同時に、息吹をはじめとする、後方に下がっていた謐隊燕組達が駆け出すや、前方の仲間達を踏み台に飛び上がり、閉じた鉄傘を棍棒の如く振り翳した。
絲史郎は、また、湾曲刀を旋回させて、鉄傘を交わした。
またしても…
雷の如き砲弾と雨の如き銃弾を、あっさり跳ね返した鉄傘が、悉く真っ二つに斬られた。
息吹が指先で合図を送る。
後方組は袖の中から鎖を出して、上空、左、前方、右の順で旋回…
今や後方に回った前方組は、後ろ腰に差す二振りの小太刀を逆手に抜いて、前方組の後方をグルグル回り出した。
『息吹!引けっ!引かんかーっ!』
主水は叫びながら駆け出すと、目の前の謐隊燕組の背中を踏み台に一回転して飛びこして、絲史郎に斬りかかった。
忽ち、太刀を打ち合わせる鈍い金属音が連打した。
『息吹、引けっ!引けっ!引くんだーっ!』
絲史郎と激しく切り結びながら、必死に叫ぶ主水の声も、無論、聾唖の息吹達には聞こえない。
仮に、聞こえたとしても、引こうとはしないであろう。
息吹率いる謐隊燕組は、一層戦意を高めながらジリジリと間合いを詰め、主水を助太刀する隙を伺っていた。
『勇介!息吹達を引かせろ!』
既に連弩の矢が尽き、鋼鉄の琵琶と鞭の如き鉄製の撥を二刀に振り翳して戦う勇介は、主水の声に振り向いた。
『息吹!』
勇介は、また一人、神漏兵(みもろのつわもの)に琵琶を叩きつけて倒すと、新たに迫る神漏兵(みもろのつわもの)達を蹴散らしながら、駆け出した。
『里一!』
仕込みを折られた里一に神漏兵(みもろのつわもの)達が殺到するや、右門は叫び声をあげて、胸に抱く様に庇った。
『右門様!』
『伝六を…千代ちゃんを…春ちゃんを…頼む…』
『しっかりしておくんなせえ!右門様!右門様!』
『俺のせいだ…俺のせいで…伝六…すまなかった…』
そう呟くと、次第に霞む眼差しで空を見上げながら、里一の胸ぐらを掴む右門の血塗れの手の力が次第に弱まっていった。
『息吹!』
勇介は、漸く息吹の側に近づくと、今にも頭上で旋回させる鎖を投げ放とうと構える腕に、琵琶の弦糸を投げ放った。
息吹は、腕に弦糸が巻き付くと、横目に勇介の姿を捉えた。
絲史郎は、この些細な変事に気づきつつも、主水の猛攻に身動きがとれずにいた。
勇介は、決して長くは続かぬこの隙を見て、糸を離した左手の指先を動かし、合図を送る。
息吹は、合図に促されるままに、別の方角に目を留め蒼白になった。
仕込みを折られ、血塗れの右門を背負って離さぬ里一に、神漏兵(みもろのつわもの)達が殺到していた。
『ここは俺に任せろ!息吹、行けーっ!』
勇介は、聞こえないのを百も承知で叫びながら、声を枯らして叫ぶと、琵琶を握る右手を大振りに回し、真っ直ぐ里一のいる方角に向けて振り下ろした。
息吹は大きく頷くと、頭上に旋回させていた鎖を、奇妙な形に振り回し始めた。
謐隊燕組達は、一斉に息吹の示す方角を見て、里一の窮地を知る。
息吹が、次の合図を送ると、一斉に里一の方を目指して駆け出した。
漸く主水を突き飛ばした絲史郎は、謐隊燕組の一人に斬りつけようとする。
鈍い金属音…
『何て野郎だ…』
勇介は、湾曲刀を受け止めた鋼鉄の琵琶が真っ二つになるのを見て、思わず声を漏らした。
絲史郎は、続け様に一振り、勇介の頭上に湾曲刀を振り翳した。
すかさず、勇介は真剣白刃取りに受け止めた。
絲史郎は構わず、力任せに湾曲刀を押し付けて行く。
凄まじいはかりの怪力である。
『グググッ…』
声を漏らしながら、辛うじて両掌に捉える湾曲刀の刃は、ジリジリと勇介の眉間を狙っていた。
『勇介!』
主水は、立ち上がって体制を立て直すや、右脇に太刀を構え、駆けつけ様に斬りつけた。
絲史郎は、斬り殺すのを諦め、勇介を横薙ぎに吹き飛ばすと、返す湾曲刀で主水の太刀を斬り返す。
弾くような金属音音…
続けて肉を切り裂く鈍い音…
『不覚…』
真っ二つにされた太刀諸共斬られた主水は、片膝を地につけた。
胸元が、ドス黒く地に染まっている。
『主水!』
声をあげて駆け寄ろうとする勇介に…
『来るな!』
主水は、最後の力を振り絞って叫んだ。
『行けっ!俺に構わず、おまえの役目を遂行しろ!』
勇介は、倒れる主水に大きく頷くと、その場を逆方向に駆け出した。
『黒い三連星…噂には聞いていたが…』
下段、中段、上段…
縦一列に並び、常に三位一体で斬りつけてくる、昴田組神漏兵(すばるたぐみみもろのつわもの)達の猛攻に、義隆は額に汗を流して声を漏らした。
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
また一人、下段から斬り上げる湾曲刀を躱し、中段に薙ぐ神漏兵(みもろのつわもの)の首を長煙管で叩き折ると、返す手で煙管の仕込みを突き入れ、義隆は上段に構える三人目の神漏兵(みもろのつわもの)の眉間を貫いた。
『義隆…大助を連れて逃げてくれ…』
再び湾曲刀を振り翳す最初の神漏兵(みもろのつわもの)を斬りながら、背後に守られていた飯伍が、肩で息をしながら言った。
見渡せば…
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
新手の三位一体が、湧き出るように、次々と義隆達に迫っていた。
『平蔵!行ってくれ!』
最後の力を振り絞って立ち上がった駿介は、平蔵を後ろに庇い、奥平の振り翳す長太刀を諸に受けながら叫んだ。
『駿介!』
平蔵は、取り囲まれる義隆と駿介を交互に見比べながら、声を上げた。
『頼む…行ってくれ…全ては、それがしの責任にござる…』
駿介は、再び太刀を八相に構えると、奥平を鋭く睨みつけた。
『駿介…』
平蔵が躊躇する合間に、義隆は長煙管を真っ二つに斬られていた。
『頼む…平蔵、頼む…』
全身血塗れの駿介の何処に残っているのかと思われる力を振り絞り、奥平にジリジリとにじり寄って行きながら言った。
『奥平…此奴だけは、それがしが倒す…それがしが倒さねばならぬのだ…』
それだけ言うと…
『一二三四五六七八つ(ひふみしごろくななやっつ)…』
最早、何か覚悟を決めたように目を瞑り、数を数え始めた。
奥平は、その気迫に押されるように後退りし始めた。
平蔵は、大きく頷くと、その場を駆け出した。
義隆は、斬られた長煙管を捨てると、懐から短刀を抜いて身構えた。
新たな神漏兵(みもろのつわもの)三人が、あの黒い三連星と呼ばれる三位一体の攻撃を仕掛けてきた。
一人目躱し、二人目斬り、三人目刺し殺して、最初の一人を斬る…
すると、また、新手の三人…
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
『リック!リック!ドームッ!』
倒しても倒しても、際限なく現れる神漏兵(みもろのつわもの)達に、義隆が疲れるより早く、短刀が刃毀れし始めた。
『リック!リック!ドームッ!』
奇声と同時に振り翳される湾曲刀を躱すと、遂に短刀も真っ二つに折れた。
最早、これまで…
義隆が覚悟を決めた時…
突然、一陣の閃光が空を切るのを見た刹那、バタバタとまとめて三人の神漏兵(みもろのつわもの)達が倒れた。
『平蔵!駿介は?』
平蔵は、義隆の問いにムッツリ答えぬまま、更に三人の神漏兵(みもろのつわもの)達を斬り、次の三人と切り結んだ。
『駿介は!駿介はどうした!』
尚も叫ぶ義隆に…
『行くぞ!』
とだけ言い、平蔵は二刀に構えていたうちの一振りの小太刀を義隆に渡した。
義隆は、小太刀を逆手に持ち替え、一人の神漏兵(みもろのつわもの)の首筋を突き刺しながら、全てを悟り、それ以上何も言わなかった。
その時…
金属のぶつかり合う凄まじい音が鳴り響いてきた。
振り向くと、勇介が、両手に握る鉄扇で絲史郎の猛攻を必死に防いでいた。
『平蔵!義隆!逃げろ!こいつは化け物だ!』
かつて、和幸に教えた朧流神楽乱舞殺で、絲史郎に応戦し続けながら、勇介は叫んだ。
『義隆、行けっ!』
『平蔵!』
『良いから、行くんだ!行って、此処で見た事を、若君様にお伝えしろ!』
平蔵は断固として言い放つと、絲史郎に斬りかかって行った。
『平蔵!何してる!逃げろ!おまえでも、こいつは無理だ!あの主水がやられやがった!』
勇介が、両手の鉄扇を広げ、神楽舞を舞う如き動きで絲史郎に斬りつけながら声を上げると…
『わかっておるわ!』
鉄扇を真っ二つに斬り、返す刃で勇介の眉間を狙う絲史郎の湾曲刀を小太刀に受けながら、平蔵が言った。
『だから、おまえはもう行け!』
『何だと!』
『勇介!おまえの役目は、若君様をお守りする事!若君様のなさろうとされてる事を支える事!行って、役目を全うせよ!』
『平蔵!』
叫ぶ勇介の前で、絲史郎の突きつける湾曲刀が、平蔵の腹部を貫いた。
『勇介、行けえー!行かんかーーーー!!!!』
平蔵は叫びながら、湾曲刀を引き抜こうとする絲史郎の腕をグイッと掴んだ。
『勇介!早く行け!行くんだーーーー!!!!』
勇介は、漸く意を決したように大きく頷くと、その場を駆け去って行った。
『九つまでは静寂に構え…
十を数えて、風の狭間を斬る!』
駿介の渾身の一撃は、逆袈裟懸けに奥平の濃紺の胸甲を見事に切り裂いた。
しかし、それまでであった。
同時に、クルクルと反転しながら、真一文字に横薙ぎした奥平の長太刀に腹部を斬られ、駿介はそのまま正面に音を立てて倒れ込んだ。
『終わったようだな。』
血塗られた湾曲刀を引っさげ、やってきた絲史郎は、地に伏す駿介を胡乱そうに見つめて言った。
『いや、まだだ…最後の総仕上げが待っている。その前に…』
奥平が、勇介と義隆が去って行った方角を見つめながら言いかけると…
『ご安心召されよ。敢えて、残りの者達は逃すよう命じてある。鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)へな…』
絲史郎は、面白くもなさそうに答えて言った。
『グフッ、グフッ、グフグフグフグフ…』
奥平は、また、不気味に声を上げて笑い出した。
『これで、あの名無しの役立たずな宮司(みやつかさ)…暗面長(あめおさ)もやって来るだろう。
事を成し遂げる前に、奴だけは始末しろ…闇の紅王(こうおう)様の厳命だからな。』
と…
『闇の…紅王…』
足元から、呻くような声…
『闇の…紅王とは何者だ…』
薄れ行く意識の中、駿介は奥平の足元を掴み、霞む眼差しで見上げながら言った。
『フッ…おまえには関係のない話だ。』
奥平は、駿介を軽く蹴飛ばして離すと、最早興味も失せたように、とどめも刺さず、絲史郎を連れ立って去って行った。