風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

3716)大震災から5000日

2024年11月17日 | 東日本大震災
 日本人だけなのか世界的なのか分かりませんが、物事が起こってからの日が区切りを迎えると話題になりますね。100日・1000日・10年・50年といった下一桁が0になった節目がその例でしょう。その考えで行くと、本日2023年11月17日は、東日本大震災から5000日(発生日を0日目として)となります。「13年と8か月」と表現されるより5000日と表現する方が、時間の経過を強く感じる気がするのですが、いかがでしょうか?

 5000日の間に復旧復興は進み、その後に大きな災害が続いていることもあり、「話題」としては次第に小さくなっているとは思います。それこそ、節目(3月11日や半年後の9月11日)には取り上げられることもありますが、まだまだ復旧途中の能登半島、風水害に見舞われた地域が多々あり、ニュースとは文字通り「New」sですから、節目以外は話題になりにくくなるのは必然的なのでしょう。かくいう私お5000日だからと目新しいことを記すことはできません。

 次の5000日後は、2038年7月27日・・・もし何事もなければ私は70歳ぐらいのはずです。世の中どうなっているのでしょうね?


(大槌町大槌 ー2024/10/28ー)

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3685)千葉県道1号線(大震災から144ヶ月)

2023年03月11日 | 東日本大震災
 昨年からともに忙しくなり、営業もままならぬ状態が続いています。「商売繁盛」と言えばそれまでですが、毎月11日に暖簾を上げることもままならぬまま、東日本大震災から12年を迎えました。

 本日は12年前の1枚です。写っているのは千葉県道1号線です。画像ナンバーは7885、撮影日は2011年4月3日です。この1枚前(№7884)の撮影日は同年3月7日でしたので、約1ヶ月空いています。当時千葉に住んでいた私は暦通りの仕事でしたので、週末の度あちこちに出かけていました。都度デジカメのシャッターを切っていましたので、画像と画像の間で1ヶ月近く空いているのはそうそうありません。当然に東日本大震災発生後の様々な空気が外出を控えさせていました。

 とはいえ落ち着きのないここの店主は、約1ヶ月後に市川市まで出向いていました。どういう経緯で市川市まで行ったのかは覚えていませんが、時節柄桜も影響していたのかもしれません。その道中で最初に撮ったのが、この1枚です。


(市川市市川 ー2011/4/3-)

 まだ1ヶ月で世の中には重い空気も残っている中、厚い雲の下だったこともあり、気分が晴れることもなかったことは覚えています。それだけ東日本大震災の影響が大きかったということでしょう。

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2022/03/11の一品・・・3639)宮古駅前にて(大震災から132ヶ月)
2021/03/11の一品・・・3515)オンライン写真展(東日本大震災から120ヶ月)
2020/03/11の一品・・・3242)もうすぐ・つながる(大震災から108ヶ月)
2019/03/11の一品・・・2938) 釜石道全通-前編-(大震災から96ヶ月)
2018/03/11の一品・・・2737)ガソリンスタンドの看板(大震災から84ヶ月)
2017/03/11の一品・・・2505)ラジオからこんにちは(大震災から72ヶ月)
2016/03/11の一品・・・2250)あの日からの風景(大震災から60ヶ月-宮古市宮古湾-)
2015/03/11の一品・・・2038)もうひとつの救出 (大震災から48ヶ月)
2014/03/11の一品・・・1805)大日如来像(大震災から36ヶ月)
2013/03/11の一品・・・1594)それぞれの2周年(大震災から24ヶ月)
2012/03/11の一品・・・1256)14時46分+α(大震災から12ヶ月)
2011/03/11の一品・・・904)私的岩手通史の旅 第76回(前九年合戦 第21幕)
2010/03/11の一品・・・669)岩手散歩 県道1号冬景色(西和賀町 雪あかり)
2009/03/11の一品・・・お休みでした
2008/03/11の一品・・・204)栃木散歩 日光市(金精峠と金精道路)
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3662)野蒜駅(大震災から138ヶ月)

2022年09月11日 | 東日本大震災
 本日9月11日は東日本大震災発生から11年半です。ローカルニュースで沿岸の様子を報じていましたが、全国ニュースではウクライナやコロナ、台風12号といった話題が主で、震災関連は最後にちょっと触れていました。かくいう私、大震災発生以降毎月11日は欠かさず震災に関する話をしたためてきましたが、7・8月は筆を執ることができませんでしたので、報道に対してとやかく言う資格はありません。

 3ヶ月ぶりの11日ご覧いただくのは、JR仙石線の野蒜(のびる)駅です。ひょんなことから訪れる機会を得ました。震災を機に「野蒜」を読めるようになった方も多いのではないでしょうか?私も震災報道で頻繁に耳にするようになってから、野蒜駅や地区の存在を知った次第です。

 震災時の仙石線のこの区間は海沿いを走っており、津波の被害を受けました。復旧に際しては内陸に線路を敷き直し2015(平成27)年5月に営業を再開し、旧駅舎は「震災復興伝承館」となりました。その旧駅舎には津波浸水深が掲げられ、3.7メートルの高さまで津波が押し寄せたことを示しています。


(東松島市野蒜 ー2022/09/11ー)

 旧駅舎の山側には1面2線のホームが残されています。当然に津波に襲われたホームですが、震災遺構として整備・保存されています。


(同上)

 その旧野蒜駅から内陸に500メートル、海抜22メートルの高台に移転したのが現、野蒜駅です。震災後に山を切り開いて造成した場所に建っており、駅周辺には真新しい家ばかりです。そんな現、野蒜駅からは遠くに野蒜海岸が見えます。


(野蒜駅から見た野蒜海岸 ー東松島市野蒜ヶ丘1丁目 2022/09/11ー)

 震災遺構として残された野蒜駅ホーム、伝承館となった旧駅舎、10年度も震災を伝える場となっているのか、「役目を終えた」となっているのか・・・。世の中全体がどうなっているのか・・ですね。それ以前に。

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2021/09/11の一品・・・3577)未知の大津波痕跡(大震災から126ヶ月)
2020/09/11の一品・・・3426)陸前矢作駅(東日本大震災から114ヶ月)
2019/09/11の一品・・・3060)立丸第一トンネル(大震災から102ヶ月)
2018/09/11の一品・・・2832)山田線はどこへ行く-9-(大震災から90ヶ月)
2017/09/11の一品・・・2617)災害公営住宅(大震災から78ヶ月)
2016/09/11の一品・・・2387)分かっていても(大震災から66ヶ月)
2015/09/11の一品・・・2139)RADIOは今も(大震災から54ヶ月)
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2013/09/11の一品・・・1692)JR山田線の今(大震災から30か月)
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3652)大槌川の水門(大震災から135ヶ月)

2022年06月11日 | 東日本大震災
 公務で盛岡→宮古→釜石→盛岡(あるいはその逆)と回る際、最近は列車利用が増えてきました。眠くなったら居眠りできることや、社内で仕事が多少は進めることができるから、というのがその理由ですが、それでも沿岸に出ると車窓に目が向いてしまいます。仕事でこんな風景を眺められるなんて、バチが当たりそうです。

 私の目が向いてしまう宮古~釜石間は旧JR山田線、東日本大震災による大津波で大きな被害を受け、2019(平成31)年3月に三陸鉄道に移管されました。

 移管された宮古~釜石間は山あり海ありの車窓ですが、海が近づくと防潮堤が視界に現われます。海が見えないことには賛否両論ありますが、事実としては東日本大震災以降防潮堤は増えたと思います。

 東日本大震災では川を遡上した津波でも大きな被害が発生しましたから、水門も増えたのではないかと思います。津波で大きな被害を受けた大槌町を流れる大槌川にも、がっしりとした水門が造られました。


(大槌町大槌 ー2022/05/24ー)

 こちらは12年前の大槌川です。大震災の約3ヶ月、冬の日差しを浴びたのどかな車窓だったのを覚えています。


(同上 ー2010/12/17ー)
 
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2021/06/11の一品・・・3542)時刻表2011年6月号(大震災から123ヶ月)
2020/06/11の一品・・・3334)ジョバンニの夢時計(大震災から111ヶ月)
2019/06/11の一品・・・2992)SL銀河、6年目の夏(大震災から99ヶ月)
2018/06/11の一品・・・2783)あの日からは10年(大震災から87ヶ月)
2017/06/11の一品・・・2554)太陽光、宴の後(大震災から75ヶ月)
2016/06/11の一品・・・2328)災害名考(大震災から63ヶ月)
2015/06/11の一品・・・2083)大船渡線はどこへ行く(大震災から51ヶ月)
2014/06/11の一品・・・1876)山田線不通の余波(大震災から39ヶ月)
2013/06/11の一品・・・1647)あの日からは約5年(大震災から27ヶ月)
2012/06/11の一品・・・1348)春の越喜来漁港(大震災から15ヶ月)
2011/06/11の一品・・・983)東北復興支援写真展(大震災後3ヶ月)
2010/06/11の一品・・・お休みでした
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2008/06/11の一品・・・お休みでした



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3649)津軽石駅の貸付財産票(大震災から134ヶ月)

2022年05月11日 | 東日本大震災
 東日本大震災で三陸沿岸は津波により大きな被害を受けましたが、それを教訓として後世に伝えるため、様々な石碑などと合わせて、津波の高さを示す「津波浸水深」があちこちに示されています。三陸鉄道に移管された津軽石駅もその一つで、駅舎正面に「津波浸水深」の看板が書か掲げられています。震災で不通になり閉ざされた駅舎につけられ、三陸鉄道に移管されてもそのまま掲げられています。



 ところでこの看板の下に「貸付財産票」が錆びた画鋲でピン止めされていました。貸主はJR東日本、借主は宮古市。津波浸水深を示す標識部分をJRが宮古市に貸していたのでしょう。後世に伝えるという公的な目的であっても、そこはしっかりと・・ということなのでしょう。契約期間は2020(平成32)年3月までとなっていますが、山田線が三鉄に移管したのはその前年ですから、現在三鉄が宮古市に貸付しているのかはわかりません。

 

 標識ひとつ付けるにも、こういうこともあるのですね。

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2021/05/11の一品・・・3533)東北デスティネーションキャンペーン(大震災から122ヶ月)
2020/05/11の一品・・・3303)続・続・災害公営住宅(大震災から110ヶ月)
2019/05/11の一品・・・2976)鵜住居駅かいわい(大震災から98ヶ月)
2018/05/11の一品・・・2767)山田線はどこへ行く-8-(大震災から86ヶ月)
2017/05/11の一品・・・2537)続・住田町の後方支援(大震災から74ヶ月)
2016/05/11の一品・・・2303)南阿蘇鉄道復興祈念切符(大震災から62ヶ月)
2015/05/11の一品・・・2055)復興道路と復興支援道路(大震災から50ヶ月)
2014/05/11の一品・・・1854)復興祈念植樹(東日本大震災から38ヶ月)
2013/05/11の一品・・・1629)陸前高田市災害ボランティアセンター(大震災から26ヶ月)
2012/05/11の一品・・・1317)缶詰(大震災から14ヶ月)
2011/05/11の一品・・・953)幾年経るとも要心あれ(大震災から2ヶ月)
2010/05/11の一品・・・お休みでした
2009/05/11の一品・・・お休みでした
2008/05/11の一品・・・257)岩手散歩 一関市(県最南端の地)




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