風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

3405)千葉彷徨 外周の車窓(20景目 潮来~鹿島神宮)

2020年08月21日 | 千葉彷徨
 7月4日の前菜で、船橋在住時に貯めたスーパーのポイントで高級レトルトカレーを買ったと申しました(コチラ)が、先日それをようやく口にしました。前菜では「味の違いが判るべか?」と結んでいましたが、実際に食してみると普段口にしている1つ100円台のレトルトカレーとは違う!と思いました。次に口にする機会があるか分かりませんが、世の中私のような人間ばかりではないので、リピーターは居るのでしょう。値段的には外食でカレーを食するより安いですし。



 千葉外周の車窓と銘打って御覧いただいてきましたが、最後は茨城県の車窓となってしまいました。

 鹿島線の車窓の続きは潮来からです。その東日本大震災の3ヶ月後のあやめまつりの最中に、潮来駅からの「ワンデイハイク」を実践し、十二橋駅まで歩きました(コチラ)。あやめをしみじみ見るのは初めてでしたが、まだ道路が復旧途上で陥没したままだったことの方が記憶に残っています(コチラ)。


(9年前のあやめまつりから -潮来市 2011/05/29-)

 次の延方駅を発車すると、鹿島線のハイライトである「北浦橋梁」を渡ります。窓外を夢中で眺めているのは私ぐらいです。JRでは千葉のローカル線のワンマン運転を計画しており、この鹿島線も来春には2両編成のワンマン列車に代わるようです。水を満々と蓄えた北浦の上を短い列車が渡るさまは、どのように見えるのでしょう?


(静かな北浦 -延方駅~鹿島神宮駅 2020/06/18-)

 佐原駅から約20分のミニトリップは終点の鹿島神宮駅へ到着しました。鹿島神宮駅前には東京五輪2020のサッカー競技会場を示す看板が掲げられていました。サッカーは全国各地で開催されるのですね。


(現在の鹿島神宮駅 -鹿嶋市宮下 2020/06/18-)

 ここまで乗ってきた区間(香取駅~鹿島神宮駅)が開業したのは1970(昭和45)年8月ですから、今年は開業50周年です。初めて乗ったのは開業間もない頃でしたが、当時の鹿島神宮駅は北側は山だか林でした。さすがにその時の写真は残っていませんでしたが、27年前の鹿島神宮駅の画像が出てきました。

 構図は違いますが、駅の向こう側に木々が茂っているのが見えます。現在の駅の向こう側に見えるのはマンションですね、。


(27年前の鹿島神宮駅 -鹿島町宮下 1993/10/31-)

 「外周の車窓」はこれにて。乗り甲斐、したため甲斐がありました。

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3404)千葉彷徨 外周の車窓(19景目 佐原~潮来)

2020年08月20日 | 千葉彷徨
 過日の新聞文芸欄に「純パの会」の役員の方が寄稿していました。純粋にプロ野球パ・リーグを応援する皆さんの集まりなのですが、文章の後段に「ある会員の息子(中学生)はホークスファンだが強いホークスしか知らない」という一文が目に留まりました。ホークスが26年ぶりにパを制したのは1999(平成11)年、それ以降はほぼ上位に定着していますから、中学生ぐらいが弱かったホークスを知らないのは当然なのでしょう。



 「外周の車窓」の本編は昨日で目的地の千葉に到着したのですが、本日ははみ出しでJR鹿島線の車窓です。元北総の住民としては外周の車窓に鹿島線と「鹿島詣で」は外せませんでしたが、行程に組み込めませんでした。一旦は諦めたのですが、「外周の車窓」の3日後に時間を作ることができたので、出向いてみました。

 数日前に見た景色を再び見ながら(天候まで似たようなものでした)佐原駅に到着。朝の鹿島神宮駅行に乗り換えです。通勤通学時間帯の列車ですので、乗っているのはそういう人ばかり、私のように私服の人間は僅かです。


(発車を待つ鹿島神宮駅行 -佐原駅 2020/06/18-)

 隣りの香取駅から分岐し鹿島線へ。坂東太郎こと利根川を渡ります。今回は下流側にカメラを向けてみました。彼方に鹿島臨海工業の煙突が針のように見えます。


(トラス橋の隙間から -十二橋駅~香取駅間 2020/06/18-)

 十二橋駅を過ぎると、列車は常陸利根川を渡ります。こちらも利根川に負けず広い川幅です。


(常陸利根川を渡る -潮来駅~十二橋駅間 2020/06/18-)

 長くなりそうなので、常陸利根川を渡ってからは次回に・・・。

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3403)千葉彷徨 外周の車窓(18景目 浜金谷~千葉)

2020年08月19日 | 千葉彷徨
 昨朝の新聞はおしなべて4~6月期のGDP(国内総生産)が年率換算で27.8%減を一面トップで報じていました。新型コロナウイルス感染拡大で個人消費が激減したことが大きな影響のようですが、どこも「戦後最悪」という表現を用いていました。時節柄ということでもなく、様々な事柄は戦後というくくりの中で比較される(戦後初とか戦後最高など)ことしばしです。明治維新以降初とか明治以降最高とは聞かないですね。



 「外周の車窓」の続きです・・だいぶん日が傾いてきましたが、この先しばらくは東京湾が車窓に続きます。この区間は晴れていて欲しい区間ですので、願いがかなった次第です。


(視界一杯に東京湾 -浜金谷駅~竹岡駅間 2020/06/15-)

 竹岡駅を過ぎると上総湊駅へ到着する手前で湊川を渡ります。ここからの眺めは内房線の車窓の中でも良いところだと思っており、過去の品々を見るとタイトルは違えど幾度もご覧いただいていました。それぞれ違う表情でしたね。

 2017/02/16・・・2487)千葉彷徨 富津市(上総湊漁港と湊川河口)
 2017/12/02・・・2670)千葉彷徨 富津市(朝霧の東京湾)
 2017/12/08・・・2673)千葉彷徨 富津市(東京湾波高し)
 2019/03/22・・・2944)千葉彷徨 富津市(東京湾2019)

 そして今回の湊川を渡りながら見る東京湾です。過去4回とまた違った顔です。


(遠き海に日は落ちて・・・-富津市湊 2020/06/15-)

 車窓の東京湾は上総湊までで、以北は内陸を走ります。上総湊駅を発つと大坪山が遠望され、更にその頂上には立っている東京湾観音も針のように見えます。


(シルエットの東京湾観音 -上総湊~佐貫町間 2020/06/15-)

 東京湾観音は1961(昭和36)年に平和祈念と戦没者慰霊のために建てられた、高さ56メートルの観音様です。建てられて半世紀近いですが、東京湾の強風に耐えて日々、東京湾を見つめています。


 (9年前訪れた時の1枚 -富津市小久保 2011/01/23-)

 約20分走ると君津駅。ここからは千葉・東京方面への退勤客で駅ごとに混雑していきました。予想外のエンディングとなりました。

 安房鴨川駅から乗ってきた列車は約2時間40分かけて、帰宅客で賑わう千葉駅に到着しました。5年以上の歳月をかけて線路上に新しい駅ビルと駅が設けられた新しい千葉駅に慣れるまでは少々時間がかかりました。(旧千葉駅最後の日はコチラ)。


(開業日の千葉駅中央改札付近 -2016/11/20-)

 「外周の車窓」は千葉駅が終点です、列車は内房線でもうひと働きするようで、到着と同時に多くの帰宅客が乗り込んできました。


(折り返しは君津駅行 -千葉駅 2020/06/15-)

 乗っていた時は思いませんでしたが、こうして筆を進めると、京葉線の車窓を眺めてから結んでも良かったかな?と思ってしまいました。道中で振り返った「房総ワンデイハイク」のほとんどは2010年から2013年の千葉時代のものでしたね。当店2度目の千葉在住時も歩いたつもりでしたが、そうでもなかったのですね。

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3402)千葉彷徨 外周の車窓(17景目 館山~浜金谷)

2020年08月18日 | 千葉彷徨
 春の「センバツ」に代わる「交流試合」が昨日幕を閉じました。岩手県勢が出場していなかったこともあり関心はいま一つでしたが、熱心に観ていた人もいたようで「歓声が少ないと物足りないなぁ」とおっしゃっていました。私なんぞ応援の音楽が無いと球音が聞こえていいなと思っていましたが、その方曰く「応援があった方が観ている気分も盛り上がるよなぁ」と。そういう見方もあるのですね。



 「外周の車窓」の続きです。14分の小休止をした千葉駅行、館山からの退勤客や下校生を少々乗せて発車しました。内陸を進む高速道路に対し、歴史のある内房線は海岸線に沿うように北上していきます。カーブも多い線形が観光路線から衰退した要因のひとつなのでしょう。

 その結果、輸送力が減ったからなのでしょう。隣りの那古船形駅では列車の交換設備が撤去されていました。


(昨年3月に撤去された線路跡 -那古船形駅 2019/06/14-)

 那古船形駅から10分で岩井駅に到着。8年前にはこの駅を起点に歩きました(コチラ)。その昔は海水浴客で駅も賑わい始める時期だったでしょうが、静かでした。


(館山行と交換 -岩井駅 2020/06/15-)

 この時の「ワンデイハイク」で立ち寄ったのが、この先で海側に見える大国山です。標高75メートルの山頂にある汗をかきながら登りましたが、曇天でしたので眺望はいま一つでした。

 それから8年後の車窓に、夕焼けを受ける勝山城が海側に現われ、山頂に勝山城がポチっと飛び出してシルエットになっていました。慌ててシャッターを切りましたが、「技術のある人ならうまく撮るんだべなぁ」と思いました。


(夕日の大国山 -岩井駅~安房勝山駅間 2020/06/15-)

 安房勝山駅を過ぎると線路は東京湾沿いに出、車窓からは次第に海へ落ちていく様が見えました。手前は国道128号線ですが、高速道路の開通以降は通行量が減ったことでしょう。


(東京湾に日は落ちて・・・ -安房勝山駅~保田駅間 2020/06/15-)

 保田駅を発車すると、列車は鋸山の下をくぐります。ふもとからは、採石の結果山肌が鋸の歯状になってた姿が見えますし、山頂からの眺めや日本寺の大仏など、小学4年生で初めて訪れた時の印象が強く、その後も幾度も訪れています。


(30年前に訪れた時の日本寺の大仏 -鋸南町元名 1989/12/01-)

 トンネルを抜けて浜金谷側から振り返ると、鋸の歯状の山容が眺められます。


(夕日を浴びる鋸山 -保田駅~浜金谷駅間 2020/06/15-)

「幾度も・・」と言いつつ、当店の暖簾を上げてからは訪れていなかったですね。ということは10年以上ご無沙汰でした。



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3401)千葉彷徨 外周の車窓(16景目 安房鴨川~館山)

2020年08月17日 | 千葉彷徨
 一昨日となってしまいましたが、8月15日は終戦記念日でした。終戦から75年経ち、戦争体験者の高齢化と共に後世にどのように伝えるかが課題となっています。確かに体験していないことを伝え続けていくというのは難しいことだと思います。論文で識者が「(戦争の悲惨さは)すでに歴史の領域に入っている」と述べていましたが、それはいわば「昔話」を子や孫に伝えるようなものでしょうか。恩恵を受けている中で、ちょっと考えてしまいました。



 「外周の車窓」の続きです。3分で安房鴨川駅の跨線橋を渡って内房線経由千葉行に乗り換えです。6両つないでいましたが、ガラガラです。高校生も乗っていますが、1本前が下校列車なのでしょう。


(発車前なのに閑散としたホーム -安房鴨川駅 2020/06/15-)

 路線名は内房線と変わりましたが、列車はしばらく外房海岸に沿って進みます。安房鴨川駅から2つ目の江見駅では、駅前に10数階建てのマンションが建っていました。帰宅して調べてみたら、1989(平成元)年に竣工したとありましたから、リゾートマンションが売れていた時代の物件なのでしょう。


(江見駅ホームとマンション -江見駅 2020/06/15-)

 各駅で少しずつ乗降がある中、彼氏が彼女に膝枕したりとイチャイチャしている高校生カップルを乗せたまま、海岸から離れ館山駅に到着。ここで14分の小休止です。外房では曇っていましたが、内房に入ると夕日が車内を照らし始めました。

 館山市へはこの4年間公務でしばしば訪れており、4年間で6回ご覧戴いていました。その玄関口が館山駅ですが、かつて東京との間に特急が1時間ごとに走っていた時代を知る身としては、普通列車ばかりが発着していく様は寂しい限りです。観光客を意識したであろう駅舎もかえって侘しく感じてしまいます。


(夕日を浴びる館山駅 -2020/06/15-)

 そんな館山駅が賑わう日のひとつが、館山湾花火大会です。2017年2018年の2回見物にやってきました。見物とはいえ、往復4時間近くかかりますから花火見物の時間より道中の時間の方が長かったです(笑)。


(2018年の花火 -館山市北条 2018/08/10-)

 晴れた日の夕方、北条海岸から眺めた東京湾もきれいでしたね。


(北条海岸から見る夕焼け -館山市北条 2017/08/24-)

 さて、内房に沿って北上します。期待している夕日が見られるでしょうか?

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