朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

それが出来るのですね。あの方

2015-01-01 23:35:14 | 聖書から
我々の神、主よ。

 それをなしうるのはあなただけではありませんか。

  我々はあなたを待ち望みます。エレミヤ書14:22





キリストのお蔭で、

 今の恵みに信仰によって導き入れられ、

  神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。ロマ書5:2



        (ローズンゲン日々の聖句1/2;金)





 日照りが続き、水がなくなったとき、大雨を、夕立を降らせることが出来る方。

また、「私たちは私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います」と思いながらも、

実際の生活では、この方をないがしろにし、無視して、自分の理性による判断を先立てていくばかりの、

「善悪を知るようになっている」私たちを、

ご自身との正しい関係に立ち帰らせて下さるのはこの方だけなのだそうです。





 御子である神と呼ばれる方が、その栄光の座を捨てて人間イエスとして生まれて下さり、私たちの背きの罪の刑罰のすべてをご自身に負って下さって十字架刑で処刑されて下さったことによって、私たちは刑罰のすべてを受け終わったものとみなされ、聖である霊と呼ばれる方をお迎えできる者にしていただいているのだそうです。



 そして、この方によって父である神と呼ばれる方の御思いを心に思う者にしていただき、父である神が私たち一人一人を通してしようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうです。



 そして、思いを一つにした者、行動を一つにした者としての栄光にあずかり、イエス・キリストに続く神の家族として御国を相続させていただけるのだそうです。



 このことを私の希望とし、喜び、誇りとしながら、その事実の中に進むのですね。

聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、御思いを心に書き付け、置いていただいて(エレミヤ31:33~34、エゼキエル36:26~27)、その御思いに導かれて、進んで行く者に(ガラテヤ5:24~25)していただけるのだそうです。今日。



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新年 おめでとうございます。

2015-01-01 19:03:45 | 聖書から
目を上げて、あたりを見よ。
彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。
あなたの息子たちは遠くから来、
娘たちはわきに抱かれて来る。
そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、
心は震えて、喜ぶ。   イザヤ書六〇・四~五節





初春のお慶びを申し上げます。
「友あり遠方より来る、また楽しからずや」との言葉のように、仲間の人たち、息子、娘たち、一つ家族のような人たちが集まってくれるのは楽しいものです。晴れやかになり、心は震えて喜ぶほどに交りを広げ、深めて下さるとのおことば、嬉しく思います。
今年もよろしくお願い致します。
二〇一五年新春


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私たちと一緒にいて、一緒に歩いて下さるのだそうです。あの方

2015-01-01 01:08:54 | 聖書から

あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。ロマ書15:7(2015年の聖句)



地の続く限り、
 種蒔きも刈り入れも、暑さも寒さも、夏も冬も、昼も夜も、
  やむことはない。創世記8:22(1月の聖句)
...



すべてを主イエスの名によって行い、
 イエスによって父である神に感謝しなさい。コロサイ書3:17
    (今週の聖句)



あなたの神、主はあなたと共におられたので、
 あなたは何一つ不足しなかった。申命記2:7





いつも感謝していなさい。コロサイ書3:15



    (ローズンゲン日々の聖句1/1;木)





 父である方、御子である方、聖である霊と呼ばれる方、それぞれが全知、全能、永遠である方なのに、お互い、自分の方が相手より少しでも優秀であろうとか、相手を自分の思ったとおりにしようとか思わないで、相手のことを立て、相手を自分よりも優れた者であるとし、相手が思っていることが成ることを願って、相手の思いが実現することをご自分の喜びとしておられるのだそうですね。そのように相手のことを大切にしている関係を、「神は愛である」と言うのでしょうね。



 イエスは、その同じ愛をもって、私たちに接して下さっているのだそうです。それで、「キリストが私たちを受け入れて下さったように」、聖である霊と呼ばれる方によって、そのキリストの思いと一つ思いにしていただいて、私たちも、お互いに相手を受け入れなさいとおっしゃられるのですね。天の神、主である方は。

 私たち、天の神、主との愛し合い、思いを一つにしてく関係を捨て、「善悪を知る」ようになった者(創世記3:22)は、神の一人のようになろうとし、人間、お互いはもちろん、神よりも自分が優れた者になろうとし、他を蹴落としていくのですね。そして、全知でも、全能でも、永遠でもない自分を見て、満足できず、自分自身を受け入れられない者になっているのだそうです。



 天の神、主は、善悪を知る者になってしまった人間、自分の理性を絶対化し、自分の理性で、自分一人で善悪を決めていく者になった人間の心に、思い計ることは、はじめから悪であるから、ノアの時のように地を呪い、全ての生き物を打ち滅ばすことはすまいと心に決められ、地の続く限り、季節が、昼と夜が正確にめぐっていくようにされたのだそうです(創世記8:21)。



 人間が、創造の目的のとおりに、天の神、主との一つに復帰するために、旧約聖書で予告されて来たとおりに、永遠の昔から御父と共におられた御子である方が、女の子孫として(創世記3:15)人となるために処女マリヤから生まれ、およそ33歳の頃、人間の罪を背負って、人間の身代わりになって殺される小羊(出エジプト記12:3~13、イザヤ53章)として、十字架刑で処刑されて下さり、死亡していることを確認するため、ローマ兵によってわき腹から心臓に槍で突き刺され、ヨセフの墓に葬られ、3日目、日曜日の早朝、復活され、40日に渡って弟子たちに何度も現れて、事実、復活し生きていることを証明されたうえで、聖霊と呼ばれる方を待つようにと言い残して、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で天の御父のもとに帰って行かれ(使徒1:3~9)たのだそうです。そして、五旬節の日、約束の聖である霊と呼ばれる方が弟子たちのうちに来られたのですね(使徒2:1~13)。



 この聖である霊と呼ばれる方が、いつも、いつまでも、私たちと一緒にいて下さり(ヨハネ14:16)、私たちの心の内に父である神の御思いを書き付けて下さるので(エレミヤ31:33~34、エゼキエル36:25~28)、私たちは御父が私たち一人一人を通してしようと思っておられる、その同じ思いを思う者にされ、御父が私たち一人一人を通してしようと思っておられることをする者にしていただけるのだそうです(ヨハネ14:10~12)。



 出エジプトの時、イスラエルの民は40年の荒野の旅でも、主が共におられたので、必要な物は全部備えられ、何一つ不足するものはなかったのだそうですが、この新しい年においても、その時と同じように、聖である霊と呼ばれる方が私たちと共にいて下さるのだそうですね。



 そして、イエスが感謝にあふれて地上を歩まれたように、私たちも、イエスと同じ感謝の思いを心に満たしていただきながら歩むのだそうです。この新しい年も。



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