朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

好意とめぐみによる救いをいただいて

2015-01-11 22:59:48 | 聖書から
ノアは

 主の好意を得た。創世記6:8





私たちは、
 主イエスの恵みによって救われると

  信じています。使徒15:11
...

      (ローズンゲン日々の聖句1/12;月・祝)





 恵み、それは、求める資格のない、受けるに値する正当な働きや功績のない者に、

与える側の好意、憐れみで、一方的に差し出して下さる良いものなのでしょうね。



 自分を磨き、建て上げ、立派にし、自分の働きを積み上げて、天の神、主の前に出て行く道があります。

これを目指している人にとっては、主である方の好意とか憐れみ、恵みは不要な、

あるいは、自分の努力をくじく害のあるものですら、あるのでしょうか。



 しかし、自分の努力に疲れ果て、

あるいは、努力しても、努力しても、一向に自分を良く出来ない現実の前に行き詰っている人にとっては、

天の神、主が、好意によって、恵み、憐れみによって救いを用意し、差し出していて下さるとの知らせは、

暗闇で見た光のように輝かしい、うれしいものなのでしょうね。



 律法を守るために一生懸命努力して来たユダヤ人。イエスをキリストと信じて救われたとはいえ、

律法の外にいる異邦人が割礼も受けず、モーセの律法を守りもしないで、

ただ、イエスを信じるだけで救われるということは受け入れがたいことだったようです。


 けれども、ペテロから、天の神、主が、ペテロを用いて、異邦人コルネリオとペテロの話しを聞くために、その家に集まっていた人全員に聖である霊と呼ばれる方を派遣された事実を順序正しく説明を受け、「自分達、ユダヤ人も、律法を行うことが出来たからではなく、主イエスの恵みによって救われたことを信じているが、異邦人であるあの人たちも同じなのです」とのペテロの説明に納得したのだそうですね。



 私たち、選民ユダヤ人ではなく、異邦人として、日本に生を受けた者ですが、天の神、主の好意、恵みと憐れみによって用意して下さった、イエスによる救いをいただき、約束の聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、天の神、主が思っていらっしゃる、私たち一人一人に関わる、今日の御思いを心の思いに置いていただいて、その思いに導かれて進むように招いていて下さるのだそうですね。



 今日、成人式を迎える人も、これから成人式を迎える人も、先に成人になっている私たちも、この方の好意と恵みによる新しい生き方を体験して、花丸人生を送っていきたいですね。今日も。



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神の霊によって導いていただけるのだそうです。私たちも

2015-01-11 00:25:32 | 聖書から
神の霊によって導かれる者は
 皆、神の子なのです。ロマ8:14(今週の聖句)


主よ、お救い下さい。
 主の慈しみに生きる人は絶え、
  人の子らの中から、信仰のある人は消え去りました。詩編12:2



イエスは12人に、
 「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。
シモン・ペテロが答えた。
 「主よ、私たちはだれとところへ行きましょうか。
   あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」ヨハネ6:67~68

         (ローズンゲン日々の聖句1/11;日)


 信仰のある人とは、
どんなことがあっても動かない、強い信念を持っている人のことではなく、
主の慈しみに信頼して生きる人のことのようですね。

 多くの人がイエスのもとに集まって来、多くの人が去って行きました。
けれども、永遠の命の言葉を持っている方、それを私たちに語ってくれる方は、
このイエスお一人なのだそうです。
 

 イエスは、単なる人ではなく、天地の造られる前、永遠の昔から、御父と共におられ、造り主として天地創造に関わられた方、今もこの宇宙を保持しておられる方なのだそうです。

 その方が、私たちを救うために、御父のご計画に従って、私たちと同じ人間になられ、
私たち人類の罪の全てをご自身の上に置いて、十字架刑で処刑されて下さったのだそうです。

 そして、ユダヤ人にとっては一番大事な過越しの祭りの安息日が間もなく始まろうとしていたので、急いで、近くにあった、隠れた弟子のアリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られたのだそうですが、三日目、日曜日の朝、よみがえられたのだそうです。

 そして、40日に渡って何度も弟子たちに御自身を現し、確かに生きていることを見せた上で、
弟子たちの見ている前で、オリーブ山から天に帰って行かれたのだそうです。

 天の、父なる神の右の座に着かれたイエスは、私たちが求めさえすれば、御自分に代わって、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を私たち人間の一人一人に派遣して下さって、この方によって、私たち一人一人のそれぞれに関わる御父の御思いを心に書き付けて下さるのですね。
その御思いに導かれて行動する者に「神の子」の身分を与えて下さり、共同相続人として下さるのだそうです(ロマ8:17)。

 誰でも、聖書の、この約束の言葉に信頼して求めるなら、この言葉のとおりに聖である霊と呼ばれる方を派遣して、私たちを神の子として下さり、この地上の生涯を神の子の立場で歩ませて下さり、永遠の命で生きさせて下さるのだそうです。
今日も。







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