朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

命の水の欲しい者は、それをただで受けなさい

2016-08-16 20:52:32 | 聖書から
苦しむ人、貧しい人は水を求めても得ず、
  渇きによって舌は干上がる。
 主である私が彼らに答えよう。イザヤ書41:17

 渇いている者は来るがよい。
命の水がほしい者は、値なしに飲むがよい。黙示録22:17

 使徒9:31~35
 マルコ9:14~29
      (ローズンゲン日々の聖句8/17;水)

 苦しんでいる人、貧しい人、渇きによって舌が干上がっている人に、わたしが答えると、天の神、主、「わたしはある。わたしはあるというものだ」と名乗られる方は言われるのですね。

 イエスは言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、
その人の心の奥底(はらわた)から、
生ける水の川が流れ出るようになる」と。

 そして、使徒ヨハネは、
「これは、イエスを信じる者が後になってから(イエスの十字架刑での処刑が完了し、新しい霊のからだに復活され、天の父である神の右の座に帰られたとき)受ける御霊のことを言われたのである。
イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである」と解説しています(ヨハネ7:37~39)。

 十字架上で、「完了した」とおっしゃられ、霊を父である神にお渡しになったイエス。
ローマ兵がイエスのわき腹を槍で突き刺し、イエスの死亡が確認され、
すでに夕方になっており、日没とともに安息日が始まるので、急遽、近くにあった、アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ、
三日目の日曜日の早朝、女の弟子たちが墓に行った時には、すでに復活されており、
その後、40日に渡って、何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを弟子たちに示されたイエス(ヨハネ19:28~21:25、使徒1:3)。

 そして、イエスは、「エルサレムから離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマ(洗礼)を受けるからです」と言い置いて、弟子たちのみている前で、オリーブ山から、天の父である神の右の座に帰って行かれたのだそうです(使徒1:9)。

 それから10日後の、ペンテコステ(5旬節)の祭りの日、集まっていた120人ばかりの弟子たちに、約束の「御霊」、「聖である霊」と呼ばれる方が来られ、
弟子たちは、「聖である霊」と呼ばれる方が話させてくださる通りに、他の言葉で話しだしたのだそうです(使徒2:1~4)。

 ペンテコステ(五旬節)、
モーセを介して、律法(神の御思いを成文化したもの)が示され、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方と、エジプトを出て来たイスラエルの民との間に、契約が結ばれた、その記念日に、
新しい契約、受け入れる者に「聖である霊」と呼ばれる方が来られて、父である神の、私たちひとりひとりに思ってくださっている御思いを、受け入れる者の心に書き付けてくださり、受け入れる者が父である神と呼ばれる方と思いを一つにし、心を一つにして生きるようになる、との新しい契約(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~31)が発効したのだそうです。

 そして、弟子たちは、イエスがそうされていたように(マルコ9:14~29)、「聖である霊」が心に置いてくださる「父である神」の御思いのとおりに、病で苦しんでいる人を癒し、死人を生き返らせて人々に返し(使徒9:31~35)、イエスがしようと思われるわざをしていくようになったのだそうです(ヨハネ14:12)

 この「命の水」、「聖である霊」と呼ばれる方の御業は、2000年前の弟子たちだけに起こったことではなく、今、求める者に与えていただけるのだそうですね。
天の神、主は、「渇く者は来なさい。命の水がほしい者は、それをただで受けなさい」と呼び掛けておられるのだそうですから。
今日も。
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声を聞き分け、ついていく者にしてくださり

2016-08-16 08:58:57 | 聖書から
このわたしが
 群れの残った羊を追いやった国々から集め
   元の牧場に帰らせる。
  群れは子を産み、数を増やす。エレミヤ23:3

  イエスの言葉:
 わたしには、この囲いに入っていない他の羊もいる。
その羊をも導かなければならない。
その羊も私の声を聞き分ける。
こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、
一つの群れになる。ヨハネ10:16

 マルコ3:1~12
 マルコ9:2~13
      (ローズンゲン日々の聖句8/16;火)

 天の神、主、「私はあるという者」と名乗られる方は、
預言者イザヤとを通して言われます。

 「ああ。わたしの牧場の群れを滅ぼし散らす牧者たち。――主の御告げ――」
 それゆえ、イスラエルの神、主は、この民を牧する牧者たちについて、こう仰せられる。
「あなたがたは、わたしの群れを散らし、これを追い散らして顧みなかった。
見よ。わたしは、あなたがたの悪い行いを罰する。――主の御告げ――
しかし、わたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての国から集め、元の牧場に帰らせる。彼らは多くの子を産んでふえよう。

 わたしは彼らの上に牧者たちを立て、彼らを牧させる。
彼らは二度と恐れることなく、おののくことなく、失われることもない。――主の御告げ――

 見よ。その日が来る。
――主の御告げ――
その日、わたしは、
ダビデに一つの正しい若枝を起こす。
彼は王となって治め、栄えて、
この国に公義と正義を行う。
その日、ユダは救われ、
イスラエルは安らかに住む。
その王の名は、
『主は私たちの正義』と呼ばれよう。
それゆえ、見よ、このような日が来る。
――主の御告げ――

 その日には、彼らは、
『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる』とはもう言わないで、
『イスラエルの家のすえを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる』と言って、自分たちの土地に住むようになる」(イザヤ23:1~8新改訳)と。


  イエスは言われます。
 「わたしは良い牧者です。
わたしはわたしのものを知っています。
また、わたしのものは、わたしを知っています。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。
また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。

 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。
わたしはそれをも導かなければなりません。
彼らはわたしの声に聞き従い、
一つの群れ、ひとりの牧者となるのです」ヨハネ10:14~16)と。

 そして、イエスは、当時の民の指導者たちから「葬り去ろう」と思われながらも、病気の人を癒し、大勢の人がイエスの話を聞こうとして、みもとにやって来たのだそうです(マルコ3:1~12)。


 「父である神」も、「これ(イエス)は、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい」とペテロ、ヤコブ、ヨハネに、声をかけられたのだそうです(マルコ9:2~13)。


 私たち、血統としてはアブラハムの子孫ではない者、
「この囲いに属さないほかの羊」ですが、
イエスの十字架の死を通して来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方は、私たちをも、
「羊は、牧者の、その声を聞き分けます。
彼(イエス)は、自分の羊をその名を呼んで連れ出します。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。
すると羊は彼の声を知っているので、彼について行きます」(ヨハネ10:1~4)という者にしてくださり、
きれいな水、豊かな牧草地に導いてくださり(詩篇23)、
子を産み、数を増やすようにしてくださるのだそうです。
今日も。
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