神よ、
私のうちに清い心を創造し、
新しく確かな霊を授けてください。詩編51:12
たとえ話の中で、息子は言った。
「ここをたち、父のところに行こう。」ルカ15:18
Ⅰテサロニケ1:2~10
ルカ11:5~13(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句2/23;木)
民がアモン人(現在のヨルダン)との戦いに出ているとき、ダビデはエルサレムの王宮に留まっていたのだそうです。
そして、ある夕方、王宮の屋上を散歩しているとき、ひとりの女がからだを洗っているのが見え、ダビデは、その女、自分の忠実な部下、ウリヤの妻バテ・シェバを召しいれ、関係を持ったのだそうです。
バテ・シェバからみごもったとの連絡を受けたダビデは、夫のウリヤを戦場から呼び戻し、家に帰らせようとしますが、ウリヤは、「神の箱も、イスラエルも、ユダの仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか」と、家には帰りませんでした。
それで、ダビデは、ウリヤに、将軍ヨアブに宛てた手紙を持たせて戦場に送り返しました。
「ウリヤを激戦の真正面に出して、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ」との。
こうして、ウリヤは死に、ダビデはバテ・シェバを妻としたのだそうです。
そのとき、天の神、主は、預言者ナタンをダビデのもとに遣わして告げられました。
「わたしはあなたを王とし、あなたの主人の家をあなたに与え、主人の妻たちをあなたのふところに渡した。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。
それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行ったのか」と。
その時のダビデの詩なのだそうです。
神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、
あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪を拭い去ってください。
どうか私の咎(とが)を、私から全く洗い去り、
私の罪から、私をきよめてください。
まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。
私の罪は、いつも私の目の前にあります。
私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、
あなたの目の前に悪であることを行いました。
御顔を私の罪から隠し、私の咎(とが)をことごとく、拭い去ってください。
神よ。私に清い心を造り、
揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。
私をあなたの御前から投げ捨てず、
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
あなたの救いの喜びを、私に返し、
喜んで仕える霊が、私をささえますように」(詩篇51:1~4、9~12新改訳)。
イエスが話されたたとえ話の一つですが、
父親にせがみ、財産を生前贈与してもらった弟息子が、財産をお金に換え、遠くの町に行き、放蕩三昧をして金を使い果たし、飢え死にしそうになったときに言った言葉なのだそうです。
家に帰って来て、
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません」と言う弟息子に、
父親は、しもべたちに言いつけたのだそうです。
「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。
手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」(ルカ15:11~24)。
さらにイエスは言われます。
「求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
(門を)たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求めるものは受け、
捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:9~13)と。
私たちも、ダビデのように、〔生まれたときからの私〕という霊は、神に背き、御思いから〔的はずれ〕になっていることを認めるのであれば、それをイエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、処刑されたもの、死んだものとしていただき、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣していただいて霊を新しくし、
この方から来る御思いが心に満ちるようにしていただいて、心を新しくしていただけるのだそうです。
この方は、イエスのたとえ話の弟息子に与えられた〔息子のしるし〕である指輪のように、神の子の身分を与える霊なのだそうですから、この方によって〔神の子〕の身分をいただき、〔父である神〕を「お父さん」と呼ぶ者にもしていただけるのだそうです。
そして、〔父である神〕が私を通してしようと思っておられる御思いの中に、「力と聖霊と強い確信」をもって(Ⅰテサロニケ1:5)出て行くのだそうです。
今、置かれている場に。
今日も。
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私のうちに清い心を創造し、
新しく確かな霊を授けてください。詩編51:12
たとえ話の中で、息子は言った。
「ここをたち、父のところに行こう。」ルカ15:18
Ⅰテサロニケ1:2~10
ルカ11:5~13(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句2/23;木)
民がアモン人(現在のヨルダン)との戦いに出ているとき、ダビデはエルサレムの王宮に留まっていたのだそうです。
そして、ある夕方、王宮の屋上を散歩しているとき、ひとりの女がからだを洗っているのが見え、ダビデは、その女、自分の忠実な部下、ウリヤの妻バテ・シェバを召しいれ、関係を持ったのだそうです。
バテ・シェバからみごもったとの連絡を受けたダビデは、夫のウリヤを戦場から呼び戻し、家に帰らせようとしますが、ウリヤは、「神の箱も、イスラエルも、ユダの仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか」と、家には帰りませんでした。
それで、ダビデは、ウリヤに、将軍ヨアブに宛てた手紙を持たせて戦場に送り返しました。
「ウリヤを激戦の真正面に出して、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ」との。
こうして、ウリヤは死に、ダビデはバテ・シェバを妻としたのだそうです。
そのとき、天の神、主は、預言者ナタンをダビデのもとに遣わして告げられました。
「わたしはあなたを王とし、あなたの主人の家をあなたに与え、主人の妻たちをあなたのふところに渡した。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。
それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行ったのか」と。
その時のダビデの詩なのだそうです。
神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、
あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪を拭い去ってください。
どうか私の咎(とが)を、私から全く洗い去り、
私の罪から、私をきよめてください。
まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。
私の罪は、いつも私の目の前にあります。
私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、
あなたの目の前に悪であることを行いました。
御顔を私の罪から隠し、私の咎(とが)をことごとく、拭い去ってください。
神よ。私に清い心を造り、
揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。
私をあなたの御前から投げ捨てず、
あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
あなたの救いの喜びを、私に返し、
喜んで仕える霊が、私をささえますように」(詩篇51:1~4、9~12新改訳)。
イエスが話されたたとえ話の一つですが、
父親にせがみ、財産を生前贈与してもらった弟息子が、財産をお金に換え、遠くの町に行き、放蕩三昧をして金を使い果たし、飢え死にしそうになったときに言った言葉なのだそうです。
家に帰って来て、
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません」と言う弟息子に、
父親は、しもべたちに言いつけたのだそうです。
「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。
手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」(ルカ15:11~24)。
さらにイエスは言われます。
「求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
(門を)たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求めるものは受け、
捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:9~13)と。
私たちも、ダビデのように、〔生まれたときからの私〕という霊は、神に背き、御思いから〔的はずれ〕になっていることを認めるのであれば、それをイエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、処刑されたもの、死んだものとしていただき、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣していただいて霊を新しくし、
この方から来る御思いが心に満ちるようにしていただいて、心を新しくしていただけるのだそうです。
この方は、イエスのたとえ話の弟息子に与えられた〔息子のしるし〕である指輪のように、神の子の身分を与える霊なのだそうですから、この方によって〔神の子〕の身分をいただき、〔父である神〕を「お父さん」と呼ぶ者にもしていただけるのだそうです。
そして、〔父である神〕が私を通してしようと思っておられる御思いの中に、「力と聖霊と強い確信」をもって(Ⅰテサロニケ1:5)出て行くのだそうです。
今、置かれている場に。
今日も。
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