ソロモンの祈り:
あなたは、私の父ダビデになさった約束を守り、
御口をもって約束なさったことを
今日このとおり
御手をもって成し遂げてくださいました。列王記上8:24
あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。Ⅰペテロ2:3
ロマ7:14~25a
ルカ12:22~34(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句3/3:金)
イスラエルの第2代目の王ダビデは、天の神、主の神殿を建てることを強く願っていたのだそうです。
しかし、天の神、主は、預言者奈タンを通してダビデに言われました。
「あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。
わたしはあなたの敵を屈服させる。
『主があなたのために一つの家を建てる。』
あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王座を確立させる。
彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまで堅く立てる。
わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。
わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ」(Ⅰ歴代誌17:4~14新改訳)と。
それで、ソロモンは、天の神、主の預言の言葉のとおりに、父ダビデのあとを継いでイスラエル第3代目の王となり、神殿を建て終わったとき、このように祈ったのだそうです。
天の神、主は、約束を守り、御口をもって約束なさったことを、そのことばのとおりに、ご自身の御手をもって成し遂げてくださる方。
恵み深い、慈しみ深い方なのですね。
私たちは、パウロが言っているように、「善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがなく、自分でしたいと思う善は行わないで、かえって、したくない悪を行ってしまう者」のようです。
恵み深い方、〔父である神〕は、そのような罪の律法のとりこになっている私たちを救うために、〔御子〕である方を、人間イエスとして、罪のために、罪深い肉と同じような形で人の世にお遣わしになり、イエスの肉において私たちの罪を処罰されたのだそうです。
そして、これを受け入れる者を処罰済みのものとしてくださったうえで、もう一人の方、〔聖である霊〕とか〔神の御霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださり、
この方によって受け入れる者の心にご自身の御思いを置いてくださって、
受け入れる者がご自身と一つ心になるようにしてくださるのだそうです。
私自身である〔生まれたときからの私〕という霊から心に来る思いを死んだものから来た思いであるとして、イエスの中に投げ捨て、
〔御霊〕が心に置いてくださる〔御父〕の御思いに従って歩む者に、律法の要求が全うされるようにしてくださり、
私たちをご自分の〔子〕、ご自分の家族にふさわしい者にしていってくださるのですね(ロマ7:14~8:4)。
そして、私たちがいのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりしないでいいように、生きていくのに必要なものは用意していてくださっていて、神の国に加えて与えてくださるのだそうです(ルカ12:22~31)。
だから、何を食べようか、何を着ようかと気をもむことをやめて、天の神、主が私を通してしようと思っておられる、御手をもって成し遂げてくださる御業の中に出て行けばいいのだそうです。
今日も。
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あなたは、私の父ダビデになさった約束を守り、
御口をもって約束なさったことを
今日このとおり
御手をもって成し遂げてくださいました。列王記上8:24
あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。Ⅰペテロ2:3
ロマ7:14~25a
ルカ12:22~34(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句3/3:金)
イスラエルの第2代目の王ダビデは、天の神、主の神殿を建てることを強く願っていたのだそうです。
しかし、天の神、主は、預言者奈タンを通してダビデに言われました。
「あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。
わたしはあなたの敵を屈服させる。
『主があなたのために一つの家を建てる。』
あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王座を確立させる。
彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまで堅く立てる。
わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。
わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ」(Ⅰ歴代誌17:4~14新改訳)と。
それで、ソロモンは、天の神、主の預言の言葉のとおりに、父ダビデのあとを継いでイスラエル第3代目の王となり、神殿を建て終わったとき、このように祈ったのだそうです。
天の神、主は、約束を守り、御口をもって約束なさったことを、そのことばのとおりに、ご自身の御手をもって成し遂げてくださる方。
恵み深い、慈しみ深い方なのですね。
私たちは、パウロが言っているように、「善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがなく、自分でしたいと思う善は行わないで、かえって、したくない悪を行ってしまう者」のようです。
恵み深い方、〔父である神〕は、そのような罪の律法のとりこになっている私たちを救うために、〔御子〕である方を、人間イエスとして、罪のために、罪深い肉と同じような形で人の世にお遣わしになり、イエスの肉において私たちの罪を処罰されたのだそうです。
そして、これを受け入れる者を処罰済みのものとしてくださったうえで、もう一人の方、〔聖である霊〕とか〔神の御霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださり、
この方によって受け入れる者の心にご自身の御思いを置いてくださって、
受け入れる者がご自身と一つ心になるようにしてくださるのだそうです。
私自身である〔生まれたときからの私〕という霊から心に来る思いを死んだものから来た思いであるとして、イエスの中に投げ捨て、
〔御霊〕が心に置いてくださる〔御父〕の御思いに従って歩む者に、律法の要求が全うされるようにしてくださり、
私たちをご自分の〔子〕、ご自分の家族にふさわしい者にしていってくださるのですね(ロマ7:14~8:4)。
そして、私たちがいのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりしないでいいように、生きていくのに必要なものは用意していてくださっていて、神の国に加えて与えてくださるのだそうです(ルカ12:22~31)。
だから、何を食べようか、何を着ようかと気をもむことをやめて、天の神、主が私を通してしようと思っておられる、御手をもって成し遂げてくださる御業の中に出て行けばいいのだそうです。
今日も。
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