神は大いなる喜びをお与えになり、
女も子供も共に喜び祝った。
エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた。ネヘミヤ記12:43
パウロの手紙:
主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい。フィリピ書4:4
Ⅰヨハネ3:19~24
黙示録9:13~21(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句11/2;金 )
70年に渡るバビロンの捕囚からエルサレムに帰ったイスラエルの民。
周辺の民の妨害を乗り越え
壊されたままだった城壁を再建。
その奉献式での喜びの声は
はるか遠くまで響いたのだそうです。
イエスが受けてくださった十字架刑で処刑によって、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
「生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、
死んだものとしていただいた私たち。
墓に葬られ、
三日目に、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。
そのイエスによって派遣された〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方をお迎えし、
この方によって
〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、
〔父である神〕の御思いの中に居る者としていただいた私たち(ヨハネ17:21~22)。
その私たちも、
〔父である神〕、〔御子である神〕イエスの
御思いの中に居る者としていただいて、
喜び、喜ぶのですね。
イエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方が私たちの心に置いてくださる
〔父である神〕の御思い。
私たちは、その御思いについて行って、
口先だけで愛するのではなく、
行いと真実をもって愛するようにしていただき、
自分が真理に属するものであることを体験し、
神の御前に心を安らかにしていただけるのだそうです。
大胆に神の御前に出て、
何もかも神に知っていただき、見ていただきながら、
御思いが成るためのものは何でも求め、
与えていただけるのだそうです。
愛し合うために必要なものも。
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちを、神の御思いの中に居る者、
神の御思いが私たちの中にある者としてくださるのだそうですから
(Ⅰヨハネ3:19~24)。
やがて、ユーフラテス川のほとりから、
その数2億と言われる軍勢が起こり、
人類の三分の一が殺されるような災害が起こるようですが、
神は、これらのことを通しても、
人々がその手のわざ、
悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、
見ることも聞くことも歩くこともできない神々を拝み、
殺人や、魔術や、不品行や盗みをする、
自分の理性を神とする生き方から方向転換して、
ご自身に向き返るよう願っておられるのだそうですから(黙示録9:13~21)。
いよいよ、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いの中へ。
喜び、喜ぶ者へと。
今日も。
(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)
イメージ 1
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女も子供も共に喜び祝った。
エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた。ネヘミヤ記12:43
パウロの手紙:
主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい。フィリピ書4:4
Ⅰヨハネ3:19~24
黙示録9:13~21(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句11/2;金 )
70年に渡るバビロンの捕囚からエルサレムに帰ったイスラエルの民。
周辺の民の妨害を乗り越え
壊されたままだった城壁を再建。
その奉献式での喜びの声は
はるか遠くまで響いたのだそうです。
イエスが受けてくださった十字架刑で処刑によって、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
「生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、
死んだものとしていただいた私たち。
墓に葬られ、
三日目に、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。
そのイエスによって派遣された〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方をお迎えし、
この方によって
〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、
〔父である神〕の御思いの中に居る者としていただいた私たち(ヨハネ17:21~22)。
その私たちも、
〔父である神〕、〔御子である神〕イエスの
御思いの中に居る者としていただいて、
喜び、喜ぶのですね。
イエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方が私たちの心に置いてくださる
〔父である神〕の御思い。
私たちは、その御思いについて行って、
口先だけで愛するのではなく、
行いと真実をもって愛するようにしていただき、
自分が真理に属するものであることを体験し、
神の御前に心を安らかにしていただけるのだそうです。
大胆に神の御前に出て、
何もかも神に知っていただき、見ていただきながら、
御思いが成るためのものは何でも求め、
与えていただけるのだそうです。
愛し合うために必要なものも。
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちを、神の御思いの中に居る者、
神の御思いが私たちの中にある者としてくださるのだそうですから
(Ⅰヨハネ3:19~24)。
やがて、ユーフラテス川のほとりから、
その数2億と言われる軍勢が起こり、
人類の三分の一が殺されるような災害が起こるようですが、
神は、これらのことを通しても、
人々がその手のわざ、
悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、
見ることも聞くことも歩くこともできない神々を拝み、
殺人や、魔術や、不品行や盗みをする、
自分の理性を神とする生き方から方向転換して、
ご自身に向き返るよう願っておられるのだそうですから(黙示録9:13~21)。
いよいよ、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いの中へ。
喜び、喜ぶ者へと。
今日も。
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