朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

私たちを、見放すことも、見捨てることもせず

2018-11-18 23:29:59 | 聖書から
わたしはあなたを見放すことも、
見捨てることもない。ヨシュア記1:5



 イエスの言葉:

あなたがたは悲しむが、
その悲しみは喜びに変わる。ヨハネ16:20



 マタイ7:21~27(28~29)

 イザヤ書1:1~9(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/19;月)



 モーセの後を継いだヨシュアに、

天の神、主、
「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方は、

このように言われたのだそうです。

 私たちにも言っていてくださるのでしょうね。
「あなたを見放すことも、見捨てることもない」と。

 イエスは予告されました。
ご自身の死に直面して、弟子たちは悲しむ。
しかし、その悲しみは喜びに変わる、と。

 それは、イエスは、
死人の中から新しい霊のからだに復活されて、
弟子たちは、その、復活されたイエスに会うことになるから、
なのだそうです。

 イエスは、さらに言われます。
「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、
天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです」と。

 私たち、
〔父である神〕の御心を示され、
それを自分の努力で行いなさいと言われても、行い得ない者、
「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。
善を行う人はいない。ひとりもいない」(ロマ3:10~12)ので、
「律法を行なうことによっては、
だれひとり神の前に義と認められない」(ロマ3:20)ということを前提にして、
「〔父である神〕のみこころを行なう」とはどういうことなのか、を考えるとき、
律法とは別に、律法と預言者によって証しされている道とは、
〔新しい霊〕、〔わたしの霊〕と言われる方によって、
「受け入れる者に新しい心を与え、
わたしの律法を彼らの中に置き、
彼らの心にこれを書きしるし、
わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる」(エレミヤ31:33、エゼキエル36:25~28)ことなのでしょうね。

〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いによって生きるのではなく、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置き、
書き付けてくださる〔父である神〕の御思いを土台として、生きていく、
岩の上に人生を建て上げていく(マタイ7:21~27)、
新しい生き方が始まるのだそうです。

 悲しみが喜びに変わって。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]



感謝のいけにえをささげながら

2018-11-18 09:50:52 | 聖書から

私たちは皆、
キリストの裁きの座の前に立たなければなりません。Ⅱコリント5:10



 告白(感謝)をいけにえとしてささげる人は、
わたし(神)を栄光に輝かすであろう。
道を正す人に、
わたしは神の救いを示そう。詩50:23



 どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、
キリスト・イエスにおいて、
神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5:18



 マタイ25:31~46

 詩50(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/18;Ⅲ日曜)



 私たち、人間は、

イエス・キリストの御前に立って、

どのような生き方をしてきたか、

創造の目的にあった生き方をしてきたかどうかの、

人生の清算をする時が来るのだそうですね。

イエスが、その栄光を帯びて、

すべての御使いたちを伴って来るとき、

すべての国々の民が、その御前に集められ、

イエスは、羊飼いが羊とやぎとを分けるように、

人々をより分けるのだそうですから。



 空腹の人に食べ物を与え、

渇いている人に飲ませ、

旅人の世話をし、

裸の人に着る物を与え、

病気の人を見舞い、

牢にいる人をたずねたかを。



 〔聖である霊〕と呼ばれる方が私たちの心に置いてくださる

〔父である神〕の御思いは、そのような思いなのだそうです。

 それで、その御思いによって生きて来たか、
それとも、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、
〔生まれたときからの私〕という霊の思いのままに生きて来たかどうかを。

 イエスの十字架刑での処刑によって、
この、私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしていただき、
イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって生きるようにと、
〔父である神〕は願っておられるのだそうですから。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
〔父である神〕と思いを一つにし、
感謝のいけにえをささげながら。
この新しい週も。


(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]