腰に帯を締め、
ともし火を灯していなさい。ルカ12:35(11/25の週の聖句)
新しい歌を主に向かって歌え。
全地よ、主に向かって歌え。詩96:1
あらゆる国民、種族、民族、
言葉のちがう民の中から集まった、
だれにも数えきれないほどの大群衆が、
白い衣を身に着け、
手になつめやしの枝を持ち、
玉座の前と小羊の前に立って、
大声でこう叫んだ。
「救いは、
玉座に座っておられる私たちの神と、
小羊とのものである。」黙示録7:9~10
マタイ25:1~13
詩90(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句11/25;Ⅳ日曜)
神の〔御子〕である方が、
人間イエスとなって人の世に来られ、
私たち、すべての人間の、
神の創造の目的から「的外れ」になっている責任をとって、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
そのイエスは、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死者の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。
〔父である神〕は、
その、〔御子〕イエスの十字架刑での処刑を、
私たち一人一人の処刑と見なしてくださって、
私たち一人一人の〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わったもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。
そのうえで、これを受け取った者に、
このイエスを通して、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって私たちの心に、
ご自身が、私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、書きしるしてくださって、
私たちの中に御自身の御思いがあるようにしてくださり、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
天では、
イエスによって与えられたこの生き方を受け取り、
神と思いを一つにして生き、
天に帰った数えきれないほどの多くの人たちが、
〔父である神〕と〔御子である神〕イエスの前で
賛美をささげているのだそうですが、
イエスは、その人たちを引き連れて、
二度目に来てくださり、
〔父である神〕と思いを一つにして生きている者たちのからだを、
一瞬にして、「霊のからだ」、「復活のからだ」に変えてくださって、
天に引き上げ、
神の御前で賛美をささげている多くの人たちの中に
加えてくださるのだそうです(Ⅰテサロニケ4:15~17)。
その、イエスが二度目に来られる時がいつであるか、
私たちは知らないのですね。
その日は、盗人が思いがけない時に来るように、
思いがけない時に、突然に来るのだそうです。
だから、主人がいつ帰って来ても
出迎えられるようにしているしもべのように、
腰に帯を締め、ともし火を灯して待っていなさい、
と言われているのですね。
真夜中に帰って来ても、明け方に帰って来てもいいように(ルカ12:35~48)。
花婿を出迎える賢い娘のように、
ともし火の油を用意して(マタイ25:1~13)。
「ともし火の油」、
〔聖である霊〕と呼ばれる方との関係がぼやけてしまわないように。
イエスの十字架刑での処刑によって処刑されたもの、
死んだものと手続きしていただいた、
この、私自身である〔生まれたときからの霊〕から出て来る思いを、
処刑されたもの、死んだものから出て来た思いであると認め、収支計算して、
これをイエスの御前に差し出し、
見ていただき、受け取っていただきながら、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る、
〔父である神〕の御思いによって生きていく生き方に
立ち返り、立ち返りしながら。
新しい歌を、
「主の栄光を国々の中で語り告げよ。
そのくすしいわざを、すべての国々の中で。
まことに主は大いなる方、
大いに賛美されるべき方。
天は喜び、地は、こおどりし、
海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。
確かに、主は来られる。
確かに、地をさばくために来られる」(詩篇96)と、
地にあっても、天に呼応し、
天の神、主に歌いながら。
この新しい週も。
(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)
ともし火を灯していなさい。ルカ12:35(11/25の週の聖句)
新しい歌を主に向かって歌え。
全地よ、主に向かって歌え。詩96:1
あらゆる国民、種族、民族、
言葉のちがう民の中から集まった、
だれにも数えきれないほどの大群衆が、
白い衣を身に着け、
手になつめやしの枝を持ち、
玉座の前と小羊の前に立って、
大声でこう叫んだ。
「救いは、
玉座に座っておられる私たちの神と、
小羊とのものである。」黙示録7:9~10
マタイ25:1~13
詩90(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句11/25;Ⅳ日曜)
神の〔御子〕である方が、
人間イエスとなって人の世に来られ、
私たち、すべての人間の、
神の創造の目的から「的外れ」になっている責任をとって、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
そのイエスは、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死者の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。
〔父である神〕は、
その、〔御子〕イエスの十字架刑での処刑を、
私たち一人一人の処刑と見なしてくださって、
私たち一人一人の〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わったもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。
そのうえで、これを受け取った者に、
このイエスを通して、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって私たちの心に、
ご自身が、私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、書きしるしてくださって、
私たちの中に御自身の御思いがあるようにしてくださり、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
天では、
イエスによって与えられたこの生き方を受け取り、
神と思いを一つにして生き、
天に帰った数えきれないほどの多くの人たちが、
〔父である神〕と〔御子である神〕イエスの前で
賛美をささげているのだそうですが、
イエスは、その人たちを引き連れて、
二度目に来てくださり、
〔父である神〕と思いを一つにして生きている者たちのからだを、
一瞬にして、「霊のからだ」、「復活のからだ」に変えてくださって、
天に引き上げ、
神の御前で賛美をささげている多くの人たちの中に
加えてくださるのだそうです(Ⅰテサロニケ4:15~17)。
その、イエスが二度目に来られる時がいつであるか、
私たちは知らないのですね。
その日は、盗人が思いがけない時に来るように、
思いがけない時に、突然に来るのだそうです。
だから、主人がいつ帰って来ても
出迎えられるようにしているしもべのように、
腰に帯を締め、ともし火を灯して待っていなさい、
と言われているのですね。
真夜中に帰って来ても、明け方に帰って来てもいいように(ルカ12:35~48)。
花婿を出迎える賢い娘のように、
ともし火の油を用意して(マタイ25:1~13)。
「ともし火の油」、
〔聖である霊〕と呼ばれる方との関係がぼやけてしまわないように。
イエスの十字架刑での処刑によって処刑されたもの、
死んだものと手続きしていただいた、
この、私自身である〔生まれたときからの霊〕から出て来る思いを、
処刑されたもの、死んだものから出て来た思いであると認め、収支計算して、
これをイエスの御前に差し出し、
見ていただき、受け取っていただきながら、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る、
〔父である神〕の御思いによって生きていく生き方に
立ち返り、立ち返りしながら。
新しい歌を、
「主の栄光を国々の中で語り告げよ。
そのくすしいわざを、すべての国々の中で。
まことに主は大いなる方、
大いに賛美されるべき方。
天は喜び、地は、こおどりし、
海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。
確かに、主は来られる。
確かに、地をさばくために来られる」(詩篇96)と、
地にあっても、天に呼応し、
天の神、主に歌いながら。
この新しい週も。
(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)