朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

殺すのではなく、人を活かす戦いを戦うのだそうですね。あの方の戦いを

2014-01-07 00:08:00 | 聖書から
地を踏み鳴らした兵士の靴、

血にまみれた軍服は



ことごとく、

火に投げ込まれ、

焼き尽くされた。

イザヤ書9:4
 





立って、



真理を

帯として

腰に締め、



正義を

胸当てとして

着け、



平和の福音を告げる準備を

履物と

しなさい。

エフェソ書6:14〜15
 



(ローズンゲン日々の聖句1/7;火)







人の命を取る戦争から、

人を活かす戦いに

変わっているのだそうですね。



人間を敵とする戦いから、

悪魔の策略に立ち向かう、

この暗闇の世界の支配者たちと

天にいるもろもろの悪霊に対する戦い

なのだそうです。





だから、

その戦いのための武具は、

以前の

人間相手の戦争の武具とは

異なってくるのだそうです。



真理、正義、平和の福音、

信仰の大盾、

御霊の与える剣である神のことば、



これらは、

私たち自身の中にあるのでは

なく、



あの方の中に

あるのだそうですから、



あの方の御思い、

働きに

ついて行くとき、



これらの武具を

身に付けていることになるのでしょうね。



人を

滅びから

命に勝ち取り、



真の意味で

目的のある

生き生きした一日一日に

連れ戻す戦いを

戦うのだそうですね。



今日も。










"にほんブログ村哲学・思想ブログ キリスト教へ"





[269RANKのランキングサイト]





哲学・思想 ブログランキングへ


喜び迎えて下さるのだそうです。このままの私を 今日

2014-01-05 22:46:42 | 聖書から
私たちは

その栄光を

見た。



それは

父の独り子としての

栄光であり、



恵みと真理に

満ちていた。

ヨハネ1:14b

(今週の聖句)






主よ、

あなたが

民を喜び迎えられるとき、

私に

御心を留めてください。



御救いによって

私に

報いてください。

詩篇106:4
 





主よ、

今こそ

あなたは、

お言葉どおり、

この僕を安らかに

去らせてくださいます。



私は

この目で

あなたの救いを

見たからです。

ルカ2:29~30
 



 (ローズンゲン日々の聖句1/6;月)






私たちを

御心に留め、



私たちを

喜び迎えられるようにと、



御救いの手続きが

この歴史の中で

具体的に

始まったのだそうです。




エルサレム神殿で、

シメオンは、

貧しい若い夫婦に抱かれて来た、

まだ生後40日ほどの赤ん坊を

見て、



「私は

この目であなたの救いを見たからです」



あの方をほめたたえたのだそうです。




この宇宙が創られる前から、

独り子として、

あの方と共におり、



「神のことば」という位置に

おられ、



天地万物、

全てのものが

この方によって出来たと

言われる方が、



今、

貧しい、

か弱い

赤ん坊として

抱かれている。





シメオンは、

この赤ん坊を見て、

「救いを見た」と

言ったのだそうですね



この赤ん坊が、

やがて、

私たち人間の

「的はずれ」の責任を

一身に背負って

十字架刑で処刑されて下さり、



本来、

自分の的外れのゆえに

滅びるしかなかった私たちが、

処刑済みの者として

あの方の前に出ることが出来るようにし、



あの方が、

私たちを

喜び迎えられるようにして下さるという、



その救いを。




この御救いの中に

置いていただき、



あの方を

「父」と呼ぶ

身分を与えていただいている者として、



心をよぎる思いの一つ一つを

「父」の前に

広げ、

見ていただき、

知っていただいて、



全部を

光に照らされた

明るい出来事にしていただき、



「父」との関係を

深めていきたいですね。



もっともっと。



今日も。



(お詫び;

昨日は2ページを一緒にめくったため、来週(1/12;日)の分を載せてしまいました。

お詫びいたします。)




イメージ 1





[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"


ずっと約束され続けてきた、あの方が来られるのですね。いよいよ

2014-01-04 22:51:39 | 聖書から
神の霊によって導かれる者は

皆、

神の子

なのです。

ロマ書8:14

(今週の聖句)






「わたしは

二度と

わが顔を

彼らに隠すことなく、



わが霊を

イスラエルの家に

注ぐ」



主なる神は

言われる。

エゼキエル書39:29
 





割礼を受けている信者で、

ペトロと一緒に来た人々は

皆、



聖霊の賜物が

異邦人の上にも注がれるのを

見て、



大いに

驚いた

使徒10:45
  



(ローズンゲン日々の聖句1/5;日)






「聖である霊」と呼ばれる方

が来られるのですね。



イスラエルの家にだけではなく、

イスラエルの国籍がなく、

いろいろな契約とも関係のなかった

私たちひとりひとりにも。



しかも、

そばで見ている人たちにも

はっきり、

それと

分かる形で。



あの時から

2000年を経た

今も。




そして、

始まるのですね。

「さあ人を造ろう。

われわれのかたちとして、

われわれに似せて」

(創世1:26)

と仰られ、



人となられた御子である方、

イエスが

御父と心を一つにし、

行動を一つにしておられた、

あのかたちが。





「聖である霊」と呼ばれる方が

来て下さり、

私たちの心に、

御父の思いを、

まるで

私の思いでもあるかのように

思わせて、



思いを一つにし、

行動を一つにしていく、

あの

あの方との

 一つが。




であるなら、

思いっきり

明け渡していきたいですね。

私たちの心を。



存分に

お働き下さい

と。



今日も。



イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"


栄光に輝く御顔なのだそうです 今は

2014-01-03 23:17:03 | 聖書から
彼は

軽蔑され、



彼は

私たちに

顔を隠し、



私たちは

彼を

軽蔑し、

無視していた。

イザヤ書53:3






 「闇から

光が輝き出でよ」

と命じられた神は、



私たちの心の内に

輝いて、

イエス・キリストの御顔に輝く

神の栄光を

悟る光を

与えてくださいました。

Ⅱコリント4:6
  

(ローズンゲン日々の聖句1/4土)






最初に来られた時は、

貧しい姿を取り、



私たちが見とれるような姿も

なく、



輝きもなく、

私たちが慕うような

見栄えも

なかったのだそうですね。



さげすまれ、

人々からのけ者にされ、

悲しみの人で

病を知っていた。



人が顔をそむけるほど

さげずまれ

(イザヤ53:2~3)、



最期は、

十字架刑で

天と地との間に

上げられ、



呪われた者として

さらしものにされたのだそうですね。





けれども、

今は、

神の独り子としての栄光、



御父の御心に

最後まで従いとうされて、



私たち人間の

はずれの罰を

一身に負われ、

私たちが御父に帰る道となって下さった、



その

栄光に輝く御顔なのだそうです。



その栄光を悟る光が、

私たちの内に輝いて下るのだそうですね。



今日も。





イメージ 1







[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"


ますます豊かに受けていって欲しいのですって あの方は

2014-01-02 23:33:26 | 聖書から
勇気を出せ。

国の民は皆、

勇気を出せ。



働け、

わたしは

お前たちと

共にいる

と、

万軍の主は

言われる。

ハガイ書2:4






 あなたがたの場合も

同じで、



霊的な賜物を

熱心に求めているのですから、

教会を造り上げるために、

それを

ますます豊かに

受けるように

求めなさい。

Ⅰコリント14:12


  (ローズンゲン日々の聖句1/3;金)






これは、

バビロン捕囚からエルサレムに帰った

ユダヤの民に、

神殿再建に取り掛かれとの

励ましのことばなのだそうです。





その再建された神殿も、

紀元70年のユダヤ戦争で、

ローマ軍によって

徹底的に、

イエスが言われたように、

一つの石の上に他の石が乗っていることもないほどに

破壊され、

現在に至っているのだそうですが、



今の私たちは、



目に見える

その

エルサレムの神殿再建ではなく、



キリストのからだとしての

神殿を

建てているのだそうですね。



私たちひとりひとりが、

生きている石として

組み込まれていくのだそうです。



そのために、

あの方が

私たちひとりひとりを通して

しようと思っていらっしゃることの、

私の分が、

その御思いのとおりに成るために、

「聖である霊」と呼ばれている方の働きの

現れを、

もっともっと

いただいていくように、

ということのようですね。



この新しい年。



イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"