朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

今がその時。自分に必要なものか、良く見極めて欲しいのだそうです。あの方

2014-09-14 23:00:48 | 聖書から
今日こそ

主の御業の日。



今日を

喜び祝い、

喜び躍ろう。

詩編118:24

 





今や、

恵みの時、



今こそ、

救いの日。

Ⅱコリント6:2

   



 (ローズンゲン日々の聖句9/15;月)

...

 



家を建てる者たちの捨てた石。

それが

礎の石となった

不思議な出来事。





そのように、

祭司長や律法学者たち、

宗教の専門家たちから

「除くべきだ」と

判断され、



十字架刑で

処刑された

イエス。




しかし、

それこそが

あの方からの恵み、

救いの御業。



私たちの救い手続きが

完了した日。



この日こそ、

私たちが

喜び祝い、

喜び躍る日

なのですね。

 



このことが伝えられ

、聞き及んだ

この日こそ、

救いの日なのだそうです。



この

あの方からのプレゼントが

無駄にならないように、

受け取って、



あの方と和解し、

あの方と

思いを一つにしてして行って

ほしいのだそうです。



今日。





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隣にいる人を自分自身のように大切にして欲しいのだそうです。あの方が

2014-09-13 23:47:33 | 聖書から

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。マタイ25:40(今週の聖句)



 主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉により頼んではならない。お前たちの道と行いを正しなさい。エレミヤ書7:4~5





 律法は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされます。ガラテヤ書5:14
...

    (ローズンゲン日々の聖句9/14;日)

 宗教的儀式やささげものを熱心にすることはできます。いかにも信仰深そうに神殿に行き、熱心にささげものをささげ、主の神殿があるから敵に打ち破られることはないと信仰深く行動していた人々に、あの方は言われたのだそうです。それではなく、あなたがたの行いとわざとを改め、公義を行い、在留異国人、みなしご、やもめをしいたげず、罪のない者の血をこの所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くことをしないようにと。
そして、隣にいる人を自分自身のように愛して欲しいと。

 これを自分の力でやっていこうとする試み。モーセ以来、イスラエル800年ほどの歩みを通して、外側はいかにも信仰深そうに振舞えても、心は、あの方の心から遠く離れていて、今、まさに、バビロン軍を用いて、その頼りにしている神殿を破壊し、民は捕囚として連れ去るしかないところにまで至っているのですね。

 この大いなる実験の結果を見ながら、私たち、なお、自分の力で立とうとするのか。イスラエルの人々にもできなかった、また、律法については落ち度のない者と自分で言い得たあのパウロでさえ、私ははずれた者の最たる者と言うしかなかった道を、私たちは行こうとするのか。

 だから、パウロは言うのですね。「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」と。
 御霊と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、心に父である方の御思いが心に来るようにしていただき、その思いについて行くところに現れて来るものは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制などなのだそうですね。

 自分は、イエスの十字架刑で処刑された者と受け取って、御霊と呼ばれる方に導いていただき、進んでい行きたいですね。今日も。



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御自身の目の瞳のように思っていて下さるのですね。あの方。

2014-09-12 23:45:58 | 聖書から
万軍の主は

言われる。

「あなたたちに

触れる者は、

私の目の瞳に

触れる者だ。」

ゼカリヤ書2:12







 もし

神が

私たちの味方であるならば、



だれが

私たちに

敵対できますか。

ロマ書8:31

    (ローズンゲン日々の聖句9/13;土)

...

 目の瞳のように

大切に思っていて下さるのですね。

あの方は

私たちのことを。



瞳に触れようとするものを

振り払うように、



あの方は

御自分の民に触れようとするものを



振り払らわれるのですね。
 

たとい、

民のそむきを

いさめるために

打つことがあっても、



周辺のものは

調子に乗って、

自分もこ

ぶしを振り上げたりは

しないように、

心しなければならないのですね。





あの方は、

憎くくって

打っているわけではないので、



自分の身に

あの方の怒りを

積むことになると大変ですから。





 私たち

かつては

あの方の国の

国籍がなく、



いろいろな約束とも

関わりのない者でしたが、



今は、

十字架に架かって下さった

イエスよって

近いものとされ、

あの方の家族と

していただいた者ですから、



目の瞳のように

思って下さっているのですね。



その

愛の中を。

今日も。




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輝かしい、圧倒的な勝利をいただけるのだそうですね。私たち

2014-09-11 23:28:44 | 聖書から
私の神によって、

私は

城壁を越える。

詩編18:30





 私たちは、

私たちを愛してくださる方によって

輝かしい勝利を

収めています。

ロマ書8:37

    (ローズンゲン日々の聖句9/12;金)





 わが力、わが巌、わが砦、わが救い主、

身を避けるわが岩、わが盾、

ほめたたえられる方、



その道は完全、

その御言葉は純粋。

 私たちのために、

ご自分の御子をさえ惜しまずに

死に渡された方ですから、



御子を与えて下さったと当時に、

すべてのものを

恵んで下さるのですね。



必要なものは

みな。
...


 サタン、

告訴する者が、

あの方の前で、

私たちを訴え、



私たちの失敗や罪を

暴きます。

 

それよりも激しく、

私自身が

私を非難し、

私を責めるのですね。


あの方々の一人のようになろうとし、

善悪を知る者となった

私たち。


あの方のように

全知でなく、

全能でもなく、

永遠の存在でもない、



密雲の頂に自分の座を設け、

他に号令をかける者でもない、



そういうことには

遠く及ばない

今の自分の実体を見る時、



その

今の自分が

受け入れられない、

許せないのですね。



 さらには、

あの方と

思いを一つにし、

行動を一つにする、

新しい生き方をするようになったゆえに

受ける、

患難があり、

苦しみ、迫害、飢え、裸、危険があります。

 けれども、

十字架刑で処刑されて下さった方、

三日目に墓よりよみがえられた方が、



天で、

あの方の右の座に着き、

弁護して下さるので、



これら、

すべてのことの中にあっても、



その

立ちふさがる壁を飛び越え、

圧倒的な勝利者として、

輝かしい勝利を

いただけるのだそうです。




私たちの労苦が

無駄になることはないのだそうですから。



今日も。




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光が来て、光りにして下さるのだそうですね。私たちも

2014-09-10 22:55:24 | 聖書から
主が

御顔を向けて



あなたを

照らし、



あなたに

恵みを

与えられるように。

民数記6:25

 





まことの光は、

世に来て

すべての人を

照らすのである。

ヨハネ1:9

   



 (ローズンゲン日々の聖句9/11;木)

...

 



あの方が

私たちを御覧になって、



御思いを

現し、



恵みを

注いで下さるのだそうです。




御思いを表す

ことばが

来て、



私たちの心にも

御思いと同じ思いが

来るのだそうですね。
 



石の板に書かれた、

あるいは、

紙に書かれ、

印刷された

文字によっては

為し得なかったことを、



“新しい霊”とか

“聖である霊”とか

呼ばれる方が

来て、



私たちの内側から、

心の思いが

あの方の思いと

一つになることによって、



自発的に、

自然に

あの方と同じ行動を

とる者になっていくのだそうです。
(エレミヤ31:33、エゼキエル36:26~28)





イエスが持っていらっしゃった

あの方との関係のように、



私たちも

あの方が思っていらっしゃることを

思い、



あの方がしようと思っていらっしゃることを

する者に

していただけるのだそうですね。




イエスのように、

私たちも

人の心の闇を照らすために

用いていただけるのだそうです。



今日も。



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