朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

恐れなくていいのだそうです。あの方を。贖い代を払って下さっているのだそうですから

2014-09-09 23:55:58 | 聖書から
 恐れるな、

わたしは

あなたを

贖う。



あなたは

わたしのもの。



わたしは

あなたの

名を呼ぶ。

イザヤ書43:1

 





あなたがたの名が

天に

書き記されていることを

喜びなさい。

ルカ10:20



(ローズンゲン日々の聖句9/10;水)

...





正しさに目を留められたら

立ちようのない

私たち。


けれども、

あの方は、

恐れなくていいと、

充分な代価を払って買い戻したからと、

わたしのものとして、

あなたの名を呼んで呼び出すと

おっしゃられるのですね。


わたしの家族として、

あなたの名前は

天に

書き記されているからと。

 





家族で、

一緒に生活していて、

父親のいうことを

よく聞いて、

戒めを破ったことも一度もなくて、

よく仕えていながら、



とってもいい子でいながら、



心は

通じていないことだって

あるのですね。



あの

兄息子のように。

(ルカ15:25~30)。

 



あの方は、

私たちと、

心が通じる関係に、



思いを一つにしあう関係に

なりたいのだそうです。




ちょうど、

イエスが

御父と思いを一つにし、

御父が話そうとしていることだけを話し、

御父がしようと思われることだけをし、



それゆえに、

「父とわたしは一つです。」

「私を見たものは父を見たのです。」

(ヨハネ10:30、12:49~50、14:9)

と言い得たように。

 



私たちも、

イエスと同じように、

父である方がしようと思われることを

していく者に

なれるのだそうですね。



イエスが

十字架刑で処刑されて下さり、

復活して

御父のもとに帰られ、



もう一人の方、

聖である霊と呼ばれる方が

私たちのうちに来て、

私たちの心に

御父の思いを

書き付けて下さるのだそうですから。


今日も。










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負い、担って運んでいて下さるのだそうです。あの方

2014-09-08 23:08:47 | 聖書から
主は

愛と憐みをもって

彼らを贖(あがな)い、



昔から

常に、

彼らを

負い、



彼らを

担ってくださった。

イザヤ書63:9

 





あなたがたは、

恵みにより、

信仰によって

救われました。



このことは、

自らの力によるのではなく、



神の

賜物です。

エフェソ書2:8





(ローズンゲン日々の聖句9/9;火)

...

 



あの方は、

ともに愛し合い、

心を一つにしあうものをと

望んで



私たち人間を

造られたのだそうですが、



私たちは、

あの方と心を一つにするよりも、

むしろ、

自分の心を

あの方から隠し、

見せないようにし、



そして、

あの方に

相談することなく、

意見を聞くこともしないで、



自分の判断だけで

善悪を決める生き方を

選んで、

今日に至っているのだそうです。

 



あの方は、

そのような私たちを、

なお、

愛して、



預言者を遣わし、

また、

あの本によって、

私たち人間に

和解を呼びかけ続けておられるのですが、



私たち人間は、

それを聞こうとせず、

うなじを強くして、

自分の道を進み続けているのだそうです。



その行き着く先は

滅びなのだそうですが。







 けれども、

あの方は、

なお、

私たちを愛し、

憐んで下さって、



ご自分の側で

一方的に、

買い戻しの代価を払って下さって

私たちを自由にし、



帰って来て、

家族に加わり、

なんでも見せ合い、

相談し合って、

心を一つにするものになって欲しいと

呼びかけ続けていて下さるのだそうです。

 





あの方は、

私たちと一つになることを

望み続けながら、



私たち一人一人を

生まれさせ、



必要なもののすべてを

用意できるようにし、



守り育て、

にない、

運んで下さっているのだそうです。





どんな困難の中も、

白髪となり、年老いても、



背負って運び、

救い出して下さるのだそうです。



今日も。










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来て、見て下さい。こんなことまでして下さっているのですね!

2014-09-07 22:31:29 | 聖書から
来て、

神の御業を

仰げ、



人の子らになされた

恐るべき

御業を。

詩篇66:5





 私たちの

主イエス・キリストの

父である神は、

ほめたたえられますように。



神は、

私たちを

キリストにおいて、

天の

あらゆる祝福で

満たして下さいました。

エフェソ書1:3

    (ローズンゲン日々の聖句9/8;月)





あらゆる霊的な祝福で

満たし、



ご自分の相続者と

定めていて下さるのだそうです。





自己実現を求めて、

自分勝手な方向に向かうばかりの

善悪を知る者となっている

(創世記3:22)

私たちを。

 

それは、

父である方と

御子である方、

聖である霊と呼ばれる方が、

愛のゆえに、

自発的に

思いを一つにし、

行動を一つにしていらっしゃっる、



その一つに加わる者が欲しいと願われ、

人間を造ろうと協議され、



その人間の住まいとして、

天と地を造ろうと決められた

その時から、

定めておられたことなのだそうです

(エペソ1:4~5)。
...
 

予想のとおり、

人は、

その与えていただいた自由意思によって、

あの方との一つを嫌い、



自分を

あの方々の一人のように、

全知、全能、永遠不変の者とし、



自分一人が

すべてのもののトップになり、



自分の善悪の判断に

他のすべてを

従わせようとする者に

なったのだそうですね。



これが

的外れになってしまった私たち人間の

本性であり、

今の社会情勢の

原因なのですね。

 

そして、

ご計画の時が

満ちて、



あの方は、

暴虐が満ちたこの世界に、

御子である方を

人として生まれさせ、

およそ33歳の頃、



この方を

十字架刑で処刑し、

天と地の間にかかげて

さらしものにし、



私たち人間の

反逆罪のすべてを

この方の上に置いて、



私たちを、

処刑済みのものと

して下さったのだそうです。



 そして、

約束のとおりに

(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨエル2:28)、



聖である霊と呼ばれる方を

私たちのうちに

派遣し、



この方によって

父である方の思いが

私たちの心の思いに

来るように

して下さったのですね。

 

イエスがそうであったように、

父である方と

思いを一つにし、



父である方が

しようと思われることを

していくようになっている者は、



イエスと共に

御国を相続し、

栄光を共にするのだそうです。



 暗いニュースが多いこの世にあって、

私たち、



父である方が

しようと思われることを

夢に見、

幻に見、

宣言していく者に

なるのだそうです。



今日も。



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折れかかっている葦を折ってしまうことも、消えかかっているランプの灯を消してしまうこともなさらない方

2014-09-06 22:54:47 | 聖書から
彼は

傷ついた葦を

折ることなく、



暗くなっていく灯心を

消すこともない。

イザヤ書42:3

 (今週の聖句)







主は

私の光、



私の救い、



私は

誰を恐れよう。

詩篇27:1

 





イエスの言葉:

心を

騒がせるな。



神を

信じなさい。



そして、

私を

信じなさい。

ヨハネ14:1

...

    (ローズンゲン日々の聖句9/7;日)







 恐れに包まれ、

心騒ぐ中にあって

あの方を

呼び求め、



あの方に

叫ぶとき、



あの方の御手の中で、

いつしか

その場を

通り過ぎさせていただけるのですね。
 



あの方は、

不安に駆られ、

恐れまどい、

心騒ぐ

私たちを、



信仰のないダメなやつ、

などという

冷たい目で

批判的に見たり、



顔をしかめたりする方では

ないのだそうですから。






 捕縛され、

裁判にかけられているイエスを、

繰り返し三度も、

あんな人は知らないと

否定したペテロを振り返り見られた

イエスの眼差しは、

どんなにか

温かく、優しかったことでしょう。



それで、

ペテロは、

大地に身を投げ出して

思いっきり

泣くことが出来たのでしょうね。





 だから、

恐れることなく

(恐れながらでいいのでしょうが)、



光りの中に、

あの方の御前に、

ありのままの自分を投げ出し、

広げて、

見ていただいて、

知っていただいて、



私の全部を知っていただいている

大安心の中で

くつろぐのですね。





二心をやめて、

一つ思いになり切って、

私はこういう者ですと

認めきって、



はばかることなく、

あの方の御前に

出て行っていいのだそうです。





 私が受けるはずの罰は、

叱られるはずの叱責、批判は、



すでに、全部、

イエスが受けていて下さり、



今は、

聖である霊と呼ばれる方が

私に

来て下さって、



その方によって

御父の御思いを我が思いとして

進むのだそうですから。

私たち。



今日も。



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子として、行動を共にさせていただけるのだそうです。あの方と

2014-09-05 22:46:14 | 聖書から
主は

わたしに

油を注ぎ、



主なる神の霊が

わたしを

とらえた。

イザヤ書61:1

 





神の霊によって

導かれる者は、

神の子

なのです。

ロマ書8:14

   



 (ローズンゲン日々の聖句9/6;土)

...





 御子である方が、

私たちの罪を

ご自分の身に全部引き受けて下さったので、



聖である霊と呼ばれる方が、

私たちのうちに

来られることになったのだそうです。





その方が、

父である方の御思いを

私たちの心に置いて下さるので、



その思いに導かれて進む者は、

神の子と呼ばれるのだそうです。



子が

父と

思いを一つにし、

一つ家族として一つ屋根の下で、

一つ食卓を囲んで

生活するように。



子の、相続人の、

身分を受け、



栄光をともに受ける者

として。





 貧しい者に

良い知らせを伝え、



心の傷ついた者を

いやし、



捕らわれ人に解放を、

囚人には

釈放を告げ、



すべて

悲しむ者をなぐさめ、



悲しみの代わりに

喜びの油を、



憂いの心の代わりに

賛美の外套を

つけさせよう

(イザヤ61:1~3)

と、

あの方が思われる、



その同じ思いが

私たちの心にも来て、



私たちが、

あの方の

口として、耳として、手として、足として

用いていただけるのですね。



心に来た

その思いに

ついて行くとき。



今日も。



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