朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

できない者であることを認めて、イエスについて行く

2023-03-14 22:30:11 | 聖書から
主の慈しみは私たちに力強く、
主のまことは
とこしえに絶えることがない。
ハレルヤ。詩篇117:2



私たちの
主イエス・キリストの父なる神、
慈しみ深い父、慰めに満ちた神が
ほめたたえられますように。Ⅱコリント1:3



 マタイ19:16~26
 ロマ書9:6~13(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/15;水)


      ~~~~~~~~~~~~~~



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)。
この方は、慈しみ深く、まことなる方、
慰めに満ちた方なのですね。
それで私たちはこの方をほめたたえます。





 イエスのところに一人の青年が来て言いました。

「先生。永遠のいのちを得るためには、
どんな良いことをすればよいのでしょうか。」



イエスは彼に言われた。
「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。
良い方はお一人です。
いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」



彼は「どの戒めですか。」と言った。
そこでイエスは答えられた。
「殺してはならない。姦淫してはならない。
盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。
父と母を敬え。
あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」


その青年はイエスに言った。
「私はそれらのすべてを守ってきました。
何がまだ欠けているのでしょうか。」

イエスは彼に言われた。
「完全になりたいのなら、
帰って、あなたの財産を売り払って、
貧しい人たちに与えなさい。
そうすれば、あなたは天に宝をもつことになります。
そのうえで、わたしに従って来なさい。」



青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。
多くの財産を持っていたからである。



そこで、イエスは弟子たちに言われた。
「まことに、なたががたに言います。
金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。
もう一度あなたがたに言います。
金持ちが神の国に入るよりは、
らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」


弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。
「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
イエスは彼らをじっと見つめて言われた。
「それは人にはできないことですが、
神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:16~26)





 この青年に欠けていたもの。
それは、自分には、神が思われているようには
できない者だと認めることだったのでしょうね。
イエスは、それを分からせるために青年の弱点を突かれ、
財産を売り払って、貧しい人たちに与えなさい」
と言われた。

だから、悲しみながら去って行くのではなく、
悲しみながらイエスについて行けばよかったのでしょうね。

天の神、【主】は、慈しみ深く、慰めに満ちた方なのですから。





私たちも、心から神を愛することも、
隣人を愛することもできない者であることを認めて、
イエスによる身代わりの死をいただき、
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって心に
【父である神】の御思いを置いていただき、う
ちに【父である神】の御思いがあるようにしていただいて、
【父である神】と思いを一つにしながら生きるのですね。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~


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ローズンゲン『日々の聖句』3/12;Ⅱ日曜日

2023-03-11 21:55:12 | 聖書から
鋤に手をかけてから、
うしろを振り向く者は、
神の国にふさわしくない。

ルカ9:62(3/12の週の聖句)



あなたの神、主は
あなたの手の業すべてに
豊かな恵みを与えてくださる。申命記30:9



神はみこころのままに、
あなたがたのうちに働いて
志を立てさせ、
事を行わせてくださる方です。フィリピ書2:13



 ルカ9:57~62
 エフェソ書5:1~2(3~7)8~9
 列王記上19:1~8(9~13a)
 詩篇10(通読箇所)

 

      ~~~~~~~~~~~~~~

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イエスの愛の中にいる証拠は

2023-03-11 15:22:10 | 聖書から
(モーセの言葉)
見よ、
私は今日、あなたがたの前に
祝福と呪いを置く。
もし、今日私が命じる、
あなたがたの神、主の戒めに
聞き従うならば祝福を、
もし、あなたがたの神、主の戒めに
聞き従わなければ、
呪いを置く。申命記11:26~28



 (イエスの言葉)
あなたがたも、
わたしの戒めを守るなら、
わたしの愛に
とどまっていることになる。ヨハネ15:10



 ガラテヤ書2:16~21
 ロマ書8:26~30(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/11;土)



   ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「われわれの方として、われわれの似姿」の者が欲しいと
願われたのだそうです。



「われわれ」、
【父である神】、【御子(みこ)である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛し合ってておられるゆえに、
自分の思いを主張するのでなく、
自由意思で、自発的に、自分から進んで、
相手の思いが成るようにと願って、
思いを一つにしておられる、
その思いを一つにする関係に加わる者が、もっと欲しいと。


その計画を実行しようとするとき、
一つの問題が予想されました。



それは、その造られた者が、
与えられた自由意思のゆえに、
神と思いを一つにするよりも
自分の思いを主張する者になり、
この創造の目的から「的外れ」な者になるだろうと。



そのとき、
【聖である霊】と呼ばれる神が言われたのでしょうね。



「そのときは、わたしが行って、
彼らの心に【父である神】の御思いを置き、書き記して、
心に【父である神】の御思いがあるようにし、
われわれと思いを一つにして生きることができるようにし、
われわれと一つになる関係を回復しましょう」と。



そして、【御子である神】が言われたのでしょうね。
「では、わたしが人間となって人の世に降(くだ)り、
すべての人間の「的外れ」の責任をわたしが負って
処罰を受け、
【聖霊なる神】が、人のところに行かれても、
人間が滅びてしまわないようにしましょう」と。





それで、神である【主】は、
人間が住むためのこの宇宙、地球の自然環境を整え、
人間が
何一つ不自由をしないで生きられるようにされたうえで、
いよいよ、「さあ、人を造ろう」ということになったようです。
      (創世記1:1~31)



そのようにして、
神の御思いのとおりに創造されたアダムとエバでしたが、
予想されたように、
神と思いを一つにしていく生き方よりも、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神のうちのひとりのようになり、善悪を知る者」になる道を
選んでしまったのだそうです。



神である主の「向こうを張り」、
神に反逆、敵対、対抗して、
神の上に立とうとする、サタンと同じ性質をもつ者に。
     (創世記3:1~24、イザヤ14:12~14)



それで、
【御子である神】が、人となって人の世に来られ、
すべての人間の身代わりとなって
人間の「的外れ」の責任を負われること、
その完了を待って、
【聖である霊】と呼ばれる神が人間のうちに来られて、
【父である神】の御思いを人のうち置き、書き記して、
【父である神】の御思いが人のうちにあるようにされる
その計画を進められるにあたって、
一つの問題がありました。



それは、人間が、
「私たちにだって、その気になれば、
あなたの言われるとおりにちゃんとやっていけますよ。
だから、【御子である神】が、
私たちのために身代わりになって死ぬなんてことは
必要ありません。
そんな無駄なことはやめなさい」
と言うだろうということでした。



それで、神である【主】は、そのようにさせて、
人間がその気になれば、そうできるかどうか、
実証しようとされたようです。



神である【主】は、一人の人、アブラハムを選び、
その4代目の子孫たち70人を、
カナンの地の飢饉によってエジプトにくださせて、
この一人の人、アブラハムから一つの民族、
イスラエル民族を造られました。



そして、出エジプトさせ、
モーセを通して、
彼らにご自分の思いを律法という形で知らせ、
祝福と呪いの道を示し、祝福に歩むように言われました。



しかし、イスラエル1500年の歴史を通して実証されたのは、

いくら人間がその気になっても、
自分の努力で神の前に良しとされる者はひとりもいない
ということでした。



そのことがはっきりしたところで、

ご計画の時が満ちて、
預言されていたとおりに、
【御子である神】が
ダビデ王の子孫である一人の貧しい処女の胎を通して
人間イエスとして人となられ、
およそ33歳の頃、
ユダヤ人の指導者たちのねたみを用いて
十字架刑での処刑を受けられました。





【父である神】は、このイエスが受けられた死刑を、
すべての人間の、
その人自身である〔生まれたときからの私〕という霊の
死刑と見なしてくださり、
死刑が終っているもの、死んだ者と
手続きしてくださったのだそうです。



そのうえで、死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自身が確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。





そして、いよいよ、約束の【聖である霊】と呼ばれる方が
わたしたち人間のうちに来られ、
【父である神】の御思いを
私たち人間の心の置き、書き記して、
私たち人間のうちに
【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって
生きるようにしてくださっているのだそうです。
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)





 だから、私たちが、
イエスが言われた戒め、
「神を愛し、互いに愛し合う」ようになっているとすれば、
それは、私たちが、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
私たち人間に対する愛によって実行された
この御業の中にとどまっていることの証明である、
ということなのですね。





 それで、パウロはガラテヤにいる
イエスによって
神の御思いによって生きるよういなった人たちに宛てた
手紙に書いています。



私たちは、生まれながらのユダヤ人(神の民)であって、
「異邦人のような罪人」ではありません。
しかし、人は律法を行うことによってではなく、
ただイエス・キリストを信じる(信頼する)ことによって
義と認められると知って、
私たちもキリスト(である)イエスを信じました。

律法を行うことによってではなく、
キリストを信じる(信頼する)ことによって
義と認められるためです。



というのは、肉なる者(生まれたときからの私)はだれも、
律法を行うことによっては義と認められない
(及第点に達することができない)からです。
  ~~~



私は、神に生きるために、律法によって(死刑を受け)
律法に死にました。
私はキリストとともに十字架につけられました
(死刑にされました)。


もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられる
(キリストの御思いで生きている)のです。



今私が肉(肉体)において生きているのは、
私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、
神の御子に対する信仰(信頼)によるのです。



私は神の恵みを無にはしません。
もし義が律法(を行うこと)によって得られるとしたら、
それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。

     (ガラテヤ2:15~21)





 また、ローマにいるイエスによって神の御思いで生きている人たちに宛てた手紙に書いています。



同じように御霊(みたま)も、
弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、何をどう祈ったら(神に伝えたら)よいか
分からないのですが、
御霊(みたま)ご自身が、
ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。


人間の心を探る方は、
御霊の思いが何であるかを知っておられます。
なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、
聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。



神を愛する人たち、
すなわち、
神のご計画にしたがって召された人たちのためには、
すべてのことがともに働いて益となることを、
私たちは知っています。


神は、あらかじめ知っている人たちを、
御子(みこ)のかたちと同じ姿に
あらかじめ定められたのです。



それは、多くの兄弟たちの中で
御子(みこ)が長子となるためです。

神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、
召した人たちをさらに義と認め、
義と認めた人たちには
さらに栄光をお与えになりました(ロマ8:26~30)と。





 私たちも、愛によって私たちの身代わりとなり
、死刑を受けてくださったイエス

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に着いておられる
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
この心に来た【父である神】の御思いで生きる、
神の子の生き方を生きる練習しながら、
イエスと同じ栄光に包んでいただく
その日を目指して生きるのですね。

イエスを長兄と仰ぎながら。
今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

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まどろみもせず、眠ることもなく、私たちのことを心にかけ、守っていていてくださるこの方の約束を待ち望んで

2023-03-09 23:08:28 | 聖書から
見よ、
イスラエルを守る方は、
まどろみもせず、
眠ることもない。詩篇121: 4



一切の思い煩いを
神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを
心にかけていてくださるからです。Ⅰペトロ5:7



 ヘブル書9:11~15

 ロマ書8:18~25(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』3/10;金)



   ―――― ☆ ――――

  

 私たちを守っていてくださる方、
聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
うとうとしたり、眠ってしまうことはない方、なのですね。



だから、自分一人で思い煩っていないで、
その思い煩いをこの方にお話しして、知っていただき、
この方がご存じのこととしていただいて、
お渡ししていくといいのだそうです。

私たちのことを心にかけていてくださるこの方に。





 ヘブル人への手紙の著者は書いています。

しかしキリストは、
すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、
人の手で造った物のでない、
すなわち、この被造世界の物でない、
もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、
また、雄やぎと子牛の血によってではなく、
ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、
永遠の贖(あがな)いを成し遂げられました。



雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を
汚れた人々に振りかけると、
それが聖なる者とする働きをして、
からだをきよいものにするのなら、
まして、キリストが傷のないご自分を、
とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、
どれだけ私たちの良心をきよめて
死んだ行いから離れさせ、
生ける神に仕える者にすることでしょうか。



キリストは新しい契約の仲介者です。
それは、初めの契約のときの違反から
贖(あがな)い出すための死が実現して、
召された者たちが、約束された永遠の資産を
受け継ぐためなのです。(ヘブル9:11~15)



 

 また、使徒パウロはローマにいる信徒に宛てた手紙に
書いています。

今の時の苦難は、
やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、
取るに足りないと私は考えます。
被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを
待ち望んでいます。



被造物全体が虚無に服したのは、
自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、
彼らには望みがあるのです。

被造物全体も、滅びの束縛から解放され、
神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。

私たちは知っています。
被造物のすべては、今に至るまで、
ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。

それだけでなく、
御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
子にしていただくこと、
すなわち、私たちのからだが贖(あがな)われることを
待ち望みながら、心の中でうめいています。

私たちは、この望みとともに救われたのです。


目に見える望みは望みではありません。
目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、
忍耐して待ち望みます。(ロマ8:18~25)





 私たちも、イエスが流してくださった血(いのち)によって
贖い出され(代価を払って買い戻され)、
生ける神に仕える者、
永遠の資産を受け継ぐ者、
新しい霊のからだをいただく、
その時を待ち望んでいます。



たとえ、すぐにそのことが成らなくても、
希望をもって待つのですね。
思い煩いをこの方にお渡ししながら。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

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私たちを見捨てたり、見離したりしないこの方に、心をまっすぐに向けて

2023-03-06 21:36:46 | 聖書から
私たちの神、主。
私たちを見捨てないでください。
私たちを見離さないでください。列王記上8:57

主があなたがたの心を、
神の愛とキリストの忍耐へとまっすぐに
向けてくださいますように。Ⅱテサロニケ3:5



 ヨブ記2:1~10
 ロマ書7:14~25(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/7;火)



   ―――― ☆ ――――



 ソロモン王は、
エルサレム神殿を完成し、契約の箱を運び入れたとき、
民を祝福し、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)方に向かって、
このように願ったのですね。



そのように、
イエスを通して私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は私たちの心に、
神の愛とキリストの忍耐に真っ直ぐに心を向ける思いを
起こしてくださるのですから。



サタンは、私たちに困難な出来事を起こして、
私たちが神に背を向けるようにさせようとするのですが。(ヨブ2:1~10)





 使徒パウロは書き送っています。
私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。
しかし、私は肉的なものであり、
売り渡されて罪(的外れ)の下にある者です。


私には、自分のしていることが分かりません。
自分がしたいと願うことはせずに、
むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。

自分のしたくないことを行っているなら、
私は律法に同意し、
それを良いものと認めていることになります。


ですから、今それを行っているのは、もはや私ではなく、
私のうちに住んでいる罪なのです。

私は、自分のうちに、
すなわち、自分の肉のうちに
善が住んでいないことを知っています。
私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、
実行できないからです。
私は、したいと願う善は行わないで、したくない悪を行っています。
私が自分でしたくないことをしているなら、
それを行っているのは、もはや私ではなく、
私のうちに住んでいる罪です。



そういうわけで、善を行いたいと願っているその私に
悪が存在するという原理を、私は見出します。


私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいますが、
私のからだには異なる律法があって、
それが私の心の律法に対して戦いを挑(いど)み、
私を、からだにある罪の律法のうちに
とりこにしていることが分かるのです。



私は本当にみじめな人間です。
だれがこの死のからだから、
私を救い出してくれるのでしょうか。



私たちの主イエス・キリストを通して、
神に感謝します。



こうして、この私は、心では神の律法に仕え、
肉(生まれたときからの私自身)では
罪の律法に仕えているのです。(ロマ7:14~25)





 パウロが、ここで、
悩みの中にありながら感謝しているように、
【父である神】は、
人間イエスとなられた【御子である神】が受けられた
十字架刑での死によって、
私たちの、この肉、〔生まれたときからの私〕という私自身を
死刑が終っているものとしてくださっているのですから。



そのうえで、【聖である霊】と呼ばれる方が、
私たちに来てくださって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちがこの、心に来た
【父である神】の御思いによって生きるように
してくださるのですから。



神に心をまっすぐに向ける者にと。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

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