長期入院や強制入院、それに伴う隔離や身体拘束…。問題山積の精神医療の現場だが、明るい話題も。東京都町田市で、妻が統合失調症になったことを機に、対話を通して回復を目指す「オープンダイアローグ」に出合い、その輪を地域に広げている夫婦がいる。回復していくとはどういうことか。記者も参加しながら考えた。(木原育子)
◆発言の感想を本人の前で語り合う
「自分の言葉を素直に吐き出せる場所は何よりの回復につながる」。岩渕一之さん(60)と貴子さん(59)がうなずいた。
10月上旬、東京・町田の公民館。緑の庭が見渡せる一室で、対話を重ねるオープンダイアローグ(OD)が始まった。記者も輪に加わり、話に耳を傾けた。視線の先には13年前に統合失調症を発症した女性(43)。精神科病院で拘束され深いトラウマを抱えている。「今でも苦しくて…」「でも母が亡くなってこのままじゃいけなくて…文章を書くのが好きで小説家になりたいんだけど…」
岩渕さん夫婦は一切を否定せず、「新しく何かをやってみようと思えたことはすごいことだよね」と聞き入った。その後、参加者同士が女性の話の感想を本人の目の前で語り合う。「言葉に力があって強い人だなと感じた」と記者も続く。
本人のことは本人のいないところで決めないのがODの鉄則。対話にさまざまな「差異」を導入させ、参加者全員が内的対話を活性化させるのが特徴だ。
フィンランド発祥の治療法で「開かれた対話」と訳される。同国の1990年代の調査では、通常の治療を受けた患者は全員が服薬を必要としたが、ODの参加者は35%にとどまった効果があった。再発率の低下なども報告されている。
◆精神疾患で社会とのつながりが断たれる
貴子さんは11年前、統合失調症になった。一之さんは長年勤めた会社を退職。福祉施設に再就職し、貴子さんを支えようとしたが地域資源も乏しく、病状はなかなか回復しなかった。
そんな時、知人にODを紹介され共感。「何でも話せることが何よりの改善の薬になる」と貴子さん。一之さんも専門の研修を受け、2人で活動団体「like minds」を立ち上げ、地域で取り組みを広げ始めた。公民館などに集まり、ODを実践している。
「対話は誰かを変えたり、病気を治したり、何かを決めるためにするわけじゃない。安心して語りたいだけなのに、精神疾患になると、本当に社会とのつながりがなくなる。たったこれだけ?と思うかもしれないけれど、ODはすごく安心できた」と2人は続ける。
精神科医の森川すいめい氏は「誰にでも対等に開かれているのがOD。対話がなくなると互いに疑心暗鬼になり、しゃべらないことが安全となり回路がたたれ、社会の偏見など負のエネルギーが全て弱い立場に向かう。対話で窓が開かれ、エネルギーが向かう矢印が180度変わる」と話す。
◆ひきこもり、自殺対策…企業にも広がる
ODは精神医療だけにとどまらない。ひきこもりや自殺対策の現場の他、企業にも広がる。
経営者や学者らでつくる「人を大切にする経営学会」(東京)が主催する「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」審査委員会特別賞に本年度選ばれた小規模保育事業を運営するスマイルリンク(静岡)。1年前に若手が先輩に相談できるメンター制度だけでなくODを加えた。
野村由希社長(44)は「社員の心理的安全性を大切にしたかった。相互理解し、それぞれが存在価値を持てるようになり、会社の雰囲気や環境がさらによくなった」と効果を語る。
ODの活躍の場は今後も広がるのか。ODに詳しい精神科医の斎藤環氏は「精神医療であれば、入院中心のあり方から対話という最も原始的なケアに立ち戻るチャンスになる。対話は誰でもできる。敷居の低さからも広がりをもってほしい」と期待する。