<運命>とは「定められた道を行くこと」を言う。 2015-09-30 10:53:54 | 明け方の箴言 <運命>とは「定められた道を行くこと」を言う。 <予定>とは「定められた道を行くこと」を言う。 <神の予定>の中で「自分の行ない」によって<運命>が決定される。 いつも<予定されたこと>の上に「自分の責任・努力・労苦の結果」であり、「決定」だ。 人は<体>も<心>も持って生まれる。その土台の上に自分が自分を開発し、直し、作るのだ。「先天的に持って生まれたもの + 自分の努力と開発」だ。
<現在>時間を浪費して楽にばかり生きる人たちは、 2015-09-30 10:52:10 | 明け方の箴言 <現在>時間を浪費して楽にばかり生きる人たちは、<未来>において「砂漠」に置かれて生きるようになり、「修羅場の生」に置かれて生きるようになる。 大変でも「自分を開発し、直し、作ること」だ。そうしてこそ自分を自分がよく治め、人生を易しく生きて、栄える。 <現在の生>で<未来の生>が左右され、<未来の生>で<永遠な運命>が決定され、「永遠な地獄」か「永遠な天国」かということまで決定される。 現実主義で生きて肉的に食べて楽しむ人たちを見たら、自分もそのように食べて楽しんで生きたい。しかし「今すぐ見えること」にばかり浮かれて生きたら、未来は「決まって予定された道」を行くようになる。
農夫は<現在>苦労しても、<未来>のために地面を掘り、 2015-09-30 10:50:21 | 明け方の箴言 農夫は<現在>苦労しても、<未来>のために地面を掘り、石を取り除き、種を蒔き、雑草を抜いて、春と夏中苦労しても、穀物を育て、手入れをしなければならない。そうすれば、秋、実を刈り入れて実を見物できない時に、食べて楽しむようになる。人生の生もそうだ。 <現在>「肉」だけのために生きたら、肉は楽だ。しかし一瞬にして歳月が流れ、<未来>がやって来て、「肉の未来、霊の未来」には、致命的な苦痛を味わって苦労するようになる。 <現在>「肉」のために生きながらも「霊」を中心にして<未来>のために生きたら、「引き上げ」だ。「喜びと希望と愛の世界」だ。
じっと座っていたり立っていたりしたら足がしびれる。 2015-09-29 13:48:25 | 1行メンタ じっと座っていたり立っていたりしたら足がしびれる。 そうしていて動いたり歩いたりすればしびれが消える。 これと同じく、<考え>もそのままにしておいたら雑念が生じ、 目的を持って考えて行なえば雑念が消える。
祈る時「雑念」はどうして生じるのか。目をつぶってじっとしているからだ。 2015-09-29 13:47:03 | 1行メンタ 祈る時「雑念」はどうして生じるのか。目をつぶってじっとしているからだ。 <人間の脳>は目をつぶってじっとしていても、自動的に「考え」が回っていく。 この時は「一つの目的」をもって集中しなければならない。 そうすれば雑念が消える。その状態で明確に口に出して願い求めなさい。