聖書納言の御言葉に恋して

聖書の御言葉から慰められ励まされたこと、教えられたこと。および聖書研究

メンデルスゾーンの苦悩

2025-01-09 18:19:46 | 音楽
大作曲家メンデルスゾーンの苦悩

私(聖書納言)は、クラシック音楽を聴くのが好きなのですが、特にロマン派の音楽が好きです。

子どもの死を契機にカトリックの聖職者になったF.リスト

長年オルガニストとして教会に仕え続けたブルックナー、フランク、フォーレ、サン=サーンス

死者のためではなく、後に遺された遺族に希望を与えるためにドイツ・レクイエムを作曲したプロテスタント信者のブラームス

オペラ王と呼ばれたヴェルディもクリスチャンでした。

しかし、今日ご紹介したいのは、ユダヤ教からキリスト教(プロテスタント)に改宗したメンデルスゾーンです。


メンデルスゾーンの苦悩

メンデルスゾーンというと裕福な銀行家に生まれ、生涯恵まれた生活を送ったと思われがちですが、そうとは言い切れません。

一番彼が悩んだのは、自分がユダヤ人であったということでした。

メンデルスゾーンはキリスト教(プロテスタント)に改宗しましたが、それでもユダヤ人差別を受けることがあったようです。


彼は1829年の秋に、翌1930年に控えていたアウグスブルク信仰告白300周年記念式典のために交響曲第5番「宗教改革」を作曲し始めました。

この曲は第4楽章にルターが作曲した「神はわがやぐら」のメロディが繰り返し奏でられます。

しかし、記念式典には、他の作曲家が作った曲が演奏され、彼が作曲した交響曲「宗教改革」は、演奏されませんでした。他の場所で行われた式典でも同じでした。

当時、作曲家として地位も名声もあったのに、なぜ採用されなかったのか。
それは彼がユダヤ人であったからです。 

ユダヤ人が作曲した曲を国家的な事業に使うわけにはいかないというのです。

クリスチャンであっても、人種がユダヤ人であるというだけでドイツでは差別されていたのです。


失望したメンデルスゾーンは、交響曲「宗教改革」をお蔵入りにし、ドイツを離れ、足かけ3年間にわたるヨーロッパ各地を回る演奏旅行に出かけました。

そして1832年になって、ジングアカデミーの指揮者を決めるための演奏会でようやく交響曲「宗教改革」は初演されましたが、メンデルスゾーンは大差で敗れてしまいました。

敗れた原因も彼がユダヤ人であることを嫌った人たちが反対側に投票したためだと言われています。

結局、交響曲「宗教改革」の楽譜が出版されたのは、彼の没後19年も経ってからでした。



メンデルスゾーンの宗教観

ユダヤ人であることと、キリスト教徒であることは、少なくともドイツ社会では相容れないこと、両立できないことだったのです。

メンデルスゾーンの名前は、フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディと言いますが、
フェリックスはファーストネーム、メンデルスゾーンはユダヤ人の姓、バルトルディは彼のお父さんが付けた新しい姓でした。

お父さんはフェリックスに、メンデルスゾーンというユダヤ名を隠して「フェリックス・M・バルトルディ」と名乗るように勧めましたが、
フェリックスはバルトルディという新しい姓を嫌い、メンデルスゾーンというユダヤ名を使いました。

また、彼のお父さんは「真実(神)はただ一つであり、宗教の違いは単なる形式の違いである。」と言いました。


それに対して、フェリックスは「ユダヤ人の名前であっても、キリスト教という形の中で真実を追求することは可能なはずではないか。」と考えました。


晩年の結実

交響曲「宗教改革」の悔しさを挽回すべく、メンデルスゾーンは宗教曲(オラトリオ)の作曲に着手しました。

それが彼と同じくユダヤ教からキリスト教に改宗したパウロを描いた「聖パウロ」、
信仰を守るために異教と戦った「エリヤ」、
そして未完に終わった「キリスト」のオラトリオ(演奏会形式の宗教劇)3部作でした。

これらの曲は、すぐにドイツ人たちにも受け入れられ、交響曲「宗教改革」の挫折を乗り越え、見事に結実したのです。

おそらく神様(イエス様)が陰で働かれ、彼を成功に導かれたのでしょう。
ハレルヤ!!


神の器――バッハとヘンデル

2025-01-06 17:02:50 | 音楽

神の器――バッハとヘンデル


※昨年6月にnoteに発表したものを、ここに転載いたしました。


教会べったりのバッハ

音楽の父と呼ばれる大作曲家のバッハは、毎日曜日の礼拝のために、毎週、礼拝音楽(カンタータなど)を作曲し続けなければなりませんでした。

バッハが作曲を始める時には、
楽譜の一番上に "JJ" (=Jesu Juva の略。「イエスよ、助けたまえ」)と記し、
作曲が完成した時には、
楽譜の一番最後に "SDG" (=Soli Deo Gloria の略。「ただ神にのみ栄光を!」)と記したそうです。

日曜日には教会に通っているクリスチャンも、平日はそれぞれの業があります。
仕事、家事、育児、老後の自由な生活、人それぞれ過ごし方は違いますが、今日も1日主の助けとお守りがあるように、必要な知恵と力が与えられるように、そして神の栄光を汚さないように過ごすことができるように祈って🙏1日を始め、そして1日の終わりにはただ神にのみ栄光を帰して、終えるように心がけたいものです。

***

ヘンデルの逸話 

バッハと同じ年に、同じドイツで生まれた大作曲家のヘンデルは、
一時は歌劇(オペラ)作曲者として成功し、名声を得、裕福になりましたが、
50代になってから、度重なる不幸が彼を襲います。

オペラの歌詞はイタリア語で書かれていましたが、
新たに台頭してきた富裕層(中産階級)はイタリア語は理解できなかったため、
オペラは斜陽化し、興行ができなくなり、借金まみれのジリ貧生活になります。

その上に脳卒中が彼を襲い、ほぼ右半身不随となってしまいます。


ヘンデルの転機

そんなある日、彼の友人が1冊の台本を持って来て「曲を作ってほしい」と依頼します。
それがあのあまりにも有名なオラトリオ「メサイヤ」の台本だったのです。

それはヘンデルにとって、大きな転機となりました。
彼は神様の恵みによって立ち直っただけでなく、
オペラから聖書を題材にしたオラトリオに軸足を変えたのです。


教会の中か外か

しかも、バッハの音楽が教会の中(主に礼拝)で演奏されたのに対して、
ヘンデルの音楽は教会の外(劇場など)で演奏されました。

それは、教会に来ない人たちにも聖書の素晴らしさを伝えるためであったのです。

バッハが神の器であったのと同様に、
ヘンデルも神の器であったのです。

神様がなさることの多様性と素晴らしさに、
ハレルヤ!!





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