聖書納言の御言葉に恋して

聖書の御言葉から慰められ励まされたこと、教えられたこと。および聖書研究

カルヴァンの予定説の問題点

2025-01-10 14:00:03 | 聖書研究
私(聖書納言)は、元々はウェスレー(メソジスト)系の教会で洗礼を受け、同じ教団の神学校に通い、同じ教団で30年間、牧師を続けてきました。
現在は現役を引退し、自宅の近くにある聖霊派の教会(ペンテコステ系ではない)に通っています。 


ウェスレー(メソジスト)系の教会は、予定説に関しては、カルヴァンの二重予定説ではなく、16世紀末のオランダの神学者アルミニウス(1560〜1609)の神学の影響を受けています。

カルヴァンは「神はある人を救いに、ある人を滅びに予定しておられる」と主張しました。
それに対して、アルミニウスは「神はすべての人を救おうとしておられるが、それを受け入れるかどうかは各個人の自由意志による。」と主張したのです。


今日は、ワインクープ博士の著書『ウェスレアン=アルミニアン神学の基礎』をテキストにして、カルヴァン以前からアルミニウスまでの流れをざっくり見ていきます。
 

カルヴァン主義の源泉

そもそもカルヴァンは、なぜ二重予定説を主張するに至ったのでしょうか?

大きな原因になるものとして、
ローマ=カトリック教会の問題があります。
ローマ=カトリック教会は「教会の中に救いがある。教会の外には救いはない。」と言って、
救われるかどうかは教会が決めるとしたのです。

そこから、贖宥券(免罪符)を買えば救われて天国に行けるということまで言い出しました。

それに対して、ルターは「信仰のみ」を打ち出し、
カルヴァンは「救われるかどうかは教会(人間=聖職者)ではなく、神が決定する。」と主張したのです。


また、カルヴァンは
「神が絶対的主権を持つ」
「すべての人が救われるわけではない。神は特定の人々を選ばれ、残りの者は罪の中に放置される。」
というアウグスティヌスの主張を依拠していたようです。


カルヴァン主義の問題点

16世紀はプロテスタントの教義を学ぶためのテキストがなかったので、直接、教師に学んでいましたが、やがてカルヴァンが『キリスト教綱要』を著しました。

しかし、聖書の釈義から教理を導き出したのではなく、初めに教理ありきで、教理を権威づけるために聖書が使われています

これに対して、アルミニウスは「予定の教理は聖書的であるべきであって、最初に論理的、哲学的であってはならない。」と言っています。

これについては、この後でも触れますが、
メソジストの創始者ウェスレーも、アルミニウスの見解に従っています。


カルヴァン主義のもう一つの問題点として、神の聖定――誰が救われるかは神がお決めになる――が強調されすぎて、キリスト(による救い)が2の次になってしまうことです。

あたかもキリストによる救いが必要でないかのようにさえ思えます。

しかし、それに対して、アルミニウスは、すべての人がキリストを必要としており、キリスト無しに救いはなく、すべての人はキリストによる救いを受け入れることによって救われると主張しました。


アルミニウスは、カルヴァン主義の護教から始まりましたが、
カルヴァン主義と違うところは、聖書を徹底的に学んだことです。
特にローマ書を徹底的に学び、その結果、「個人の救いはいつでも信仰によるのであって、神の聖定によるのではない。ここに神の正しさがある。」という結論に達しました。


また、カルヴァン主義は、カルヴァンの死後、ますます過激になり、
人間が制定した信仰告白(信条)やカテキズム(教理問答)が最後的・最高権威になっていってしまったのです。

それに対して、アルミニウスは、
神のことばに権威があるのであって、人間の意見に権威があるのではない。」
神のことばが言わんとしていることを発見するのが、人間の義務である。
と主張しました。



アルミニウス主義の要約

最後にアルミニウスの主張を要約して終わります。

「神はその御子イエス・キリストを任命することを定められた。それは御子の死によって罪が破壊されてしまうためです。」

神が救い主として聖定されたキリストを、そして十字架の死による救いを受け入れて信じるかどうか、それによって救いが決まるのです。




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