聖書納言の御言葉に恋して

聖書の御言葉から慰められ励まされたこと、教えられたこと。および聖書研究

バプテスマ(洗礼)にふさわしく生きる

2025-01-12 07:33:25 | デボーション
ルカ 3章1〜20節

バプテスマにふさわしく生きる


今日、与えられた聖書箇所は上記ですが、このデボーションでは、特に7節以降のバプテスマのヨハネの説教に耳を傾けて参りましょう。


A.D.29年頃の出来事です。
死海北部のヨルダン川流域に、洗礼者ヨハネという人が現れ、説教を始めました。
信じられないほど多くの人たちが集まって来て、悔い改めて神様に立ち帰り、ヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けました。
リバイバルが起こったのです。

しかし、ヨハネはやって来た人たちにも、現代では考えられないほど厳しく説教しました。3つに分けて学んで参りましょう。


1.
「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。」(8節)

ユダヤ人の中には「自分たちはアブラハムの子孫である」つまり神様に選ばれた民だから大丈夫だと言う人たちもいたようです。

しかし、そんな人たちに対して、ヨハネは、自分たちの心の中にある罪としっかりと向き合い、悔い改めることを要求しました。


現代の私たちはどうでしょうか。
今日は日曜日(聖日・主の日)ですが、礼拝前や特に聖餐に与る前には、自分の心の中を主に探っていただき、おごり高ぶったり、人を裁いたりしていることはないかということも含めて、しっかりと自分の罪と向き合い、悔い改めましょう。
そして礼拝に向かい、聖餐にあずかりましょう。


また、ここでヨハネは「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができる」と言っています。

私たちは、自分が、まるで道に落ちている石ころのような価値のない存在だと思うことがあります。

しかし、そんな石ころのような価値のない人間でも、神様は創り変えて、神様が用いてくだされば、神様の役に立つ人物にしてくださるのです。

ですから、私たちは自分は価値のない人間だと思わないようにいたしましょう。そして、神様の手に握りしめていただいて、少しずつでも創り変えていただきましょう。

また、ある教育者はいつもこの御言葉を座右の銘として教育を続けました。
自分だけでなく、他の人に対しても、神様が創り変えて、神様の役に立つ、また人の役に立つ人に変えてくださる、そう信じて教育を続けたそうです。




2.
ヨハネの説教を聞いた人たちは「自分たちはどうしたらいいですか」とヨハネに尋ねました。
ヨハネは一般の群衆たち、そして取税人と兵士たちにこう答えました。

"群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」
ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」(10〜11節)

取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。」
ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」(12〜13節)

兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」(14節)

ここでは悔い改めた人間としてふさわしく生きること、バプテスマ(洗礼)を受けた人間としてふさわしく生きることが要求されています。

特に隣人に対する愛が要求されています。

私たちは、どうでしょうか?
家族に対しても、愛を持って接しているでしょうか? 頭ごなしに怒鳴りつけたりはしていないでしょうか? 

また前述しましたが、人を裁いたり、人を比較したりしていないでしょうか?

洗礼を受けた人間としてふさわしい生き方をしているかどうか、時折、考え直してみましょう。



3.
ヨハネは、自分にではなく、イエス様に人々の心を向けさせています。

余談になりますが、牧師も自分にではなく、イエス様に信徒の心を向けさせるのです。もっと言えば、自分に従う信徒ではなく、キリストに従う信徒を育成していくのです。

「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。・・・その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。」(16節)

イエス様は聖霊と火でバプテスマを授けます。

「火」は、どちらかと言うと消極的で否定的な働きです。
火は古いものを焼き尽くしたり、不純物を取り除いて金属を精錬します。

私たちはイエス様の十字架を信じて新生しても、一朝一夕にすぐに不純物が消えてなくなり、すべてが新しくなるわけではありません。

ですから、新生してからも、私たちの心の中にある不純物を焼いていただいて、私たちの心を少しずつ精錬し、徐々に純粋な心(愛)に変えていただくのです。


それに対して「聖霊」は、積極的で、生産的な働きです。
聖霊は私たちを生まれ変わらせて、私たちを新しく生かすものです。
そこには生き生きとした信仰があり、希望があり、喜びがあります

古い人が死ぬだけでは意味がありません。大切なことは「新しい創造」です。(ガラテヤ 6:15)

聖霊が心の中で働かれ、新しい創造をしてくださるのです。
私たちは、新しい生き生きとした霊的な生命を与えでいただき、信仰と希望と愛に生かしていただきましょう。




少年イエス

2025-01-11 04:01:00 | デボーション
 
今日は、ルカ 2章40〜52節からデボーションをいたします。
 
聖書の引用は、新改訳2017(新日本聖書刊行会)によります。
 

 
少年イエス

イエスが12歳の時の出来事です。
ユダヤでは13歳で成人を迎えますから、成人を迎える前年のことです。
13歳になったら、自分で礼拝に参加しなければいけないので、両親は予行演習的にイエスを過越祭に連れて行ったようです。


「そして祭りの期間を過ごしてから帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかずに、イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを進んだ。」  (43〜44節)


過越祭の時には、地域単位でツアーを組んで団体でエルサレムまで往復しました。
 だいたいは婦人と幼児を先頭に、成人男子はしんがりについたようです。  
 また未成年の少年少女は、父親側、母親側どちらに付いて行っても良かったようです。

ですから、息子イエスの姿が見えなくても、マリアは息子がヨセフと一緒にいるものと思い,ヨセフはお母さんにくっ付いていると思って安心していたのでしょう。

しかし、夕方になって、息子イエスがどちらの側にもいないということが分かりました。

そこでヨセフもマリアも、息子イエスを神殿に置いてきぼりにしてしまったのではないかと思って、エルサレムに引き返しました。
 


イエスを見失って

「そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。」(46節)"

両親は3日間イエスを見失って、イエスを探し回りました。

私たちも、試練に遭ったりして、イエス様を見失い、イエス様を求めて探し回ることがあります。(聖書の中を探し回ることもあります。)
しかし、やがて復活のイエス様と出会い、イエス様と再会して安心することができます。

私たちは一時的にイエス様を見失ったり、イエス様が(そして神様の愛が)見えなくなっても、あわてふためくことなく、深呼吸をして、落ち着いて、心を静めて、神様に祈り求めましょう。



父の家〜神殿と教会

「わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」(49節)


イエスはヨセフの子どもであると同時に、天の父なる神の御子(独り子)でもあります。

12歳のイエスは、このときすでに自分は神の独り子であることを悟っていたのです。
 そして自分がやがて天の父なる神様の御用をすることになることも知っていたのではないかと思います。

――おそらくヨセフとマリアがイエスにそのことも教えていたのでしょう。


私たちはイエスのように神の独り子ではありません。
しかし、神様は私たちの天のお父様であり、私たちはイエス様の十字架を信じる信仰によって神の子とされています。

そして、イエス様が天の父なる神様の
家である神殿にいたように(神殿がイエス様にとって本当の自分の居場所であったように)、
私たちにとっては、神の宮であり、神様が臨在しておられる教会こそが私たちの本当の居場所なのです。

私たちは教会を大切にし、礼拝を大切にしましょう。


そして、文才豊かなルカは「(3章)以下の物語を,天の父の子の生涯として読んでください。」と私たちの注意を向けているのです。



今は分からなくても

「両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。・・・母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」(50〜51節)

私たちは、この時のマリアのように、神様のことばや神様がなさることが分からないこともたくさんあります。
 
しかし、私たちが、自分の考えだけでその状況を判断しようとすると、神様の御心を見失って、間違った判断をしてしまうこともあります。

わからない事は、今はまだ必要ではないのだから、わからないままにして心に留めておくという事も、時には大切な事なのです。

必要であれば、神様(聖霊様)が、必要な時に分かるようにしてくださいまふ。

「イエスは彼に答えられた。『わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります。』」
 ヨハネの福音書 13章 7節




カルヴァンの予定説の問題点

2025-01-10 14:00:03 | 聖書研究
私(聖書納言)は、元々はウェスレー(メソジスト)系の教会で洗礼を受け、同じ教団の神学校に通い、同じ教団で30年間、牧師を続けてきました。
現在は現役を引退し、自宅の近くにある聖霊派の教会(ペンテコステ系ではない)に通っています。 


ウェスレー(メソジスト)系の教会は、予定説に関しては、カルヴァンの二重予定説ではなく、16世紀末のオランダの神学者アルミニウス(1560〜1609)の神学の影響を受けています。

カルヴァンは「神はある人を救いに、ある人を滅びに予定しておられる」と主張しました。
それに対して、アルミニウスは「神はすべての人を救おうとしておられるが、それを受け入れるかどうかは各個人の自由意志による。」と主張したのです。


今日は、ワインクープ博士の著書『ウェスレアン=アルミニアン神学の基礎』をテキストにして、カルヴァン以前からアルミニウスまでの流れをざっくり見ていきます。
 

カルヴァン主義の源泉

そもそもカルヴァンは、なぜ二重予定説を主張するに至ったのでしょうか?

大きな原因になるものとして、
ローマ=カトリック教会の問題があります。
ローマ=カトリック教会は「教会の中に救いがある。教会の外には救いはない。」と言って、
救われるかどうかは教会が決めるとしたのです。

そこから、贖宥券(免罪符)を買えば救われて天国に行けるということまで言い出しました。

それに対して、ルターは「信仰のみ」を打ち出し、
カルヴァンは「救われるかどうかは教会(人間=聖職者)ではなく、神が決定する。」と主張したのです。


また、カルヴァンは
「神が絶対的主権を持つ」
「すべての人が救われるわけではない。神は特定の人々を選ばれ、残りの者は罪の中に放置される。」
というアウグスティヌスの主張を依拠していたようです。


カルヴァン主義の問題点

16世紀はプロテスタントの教義を学ぶためのテキストがなかったので、直接、教師に学んでいましたが、やがてカルヴァンが『キリスト教綱要』を著しました。

しかし、聖書の釈義から教理を導き出したのではなく、初めに教理ありきで、教理を権威づけるために聖書が使われています

これに対して、アルミニウスは「予定の教理は聖書的であるべきであって、最初に論理的、哲学的であってはならない。」と言っています。

これについては、この後でも触れますが、
メソジストの創始者ウェスレーも、アルミニウスの見解に従っています。


カルヴァン主義のもう一つの問題点として、神の聖定――誰が救われるかは神がお決めになる――が強調されすぎて、キリスト(による救い)が2の次になってしまうことです。

あたかもキリストによる救いが必要でないかのようにさえ思えます。

しかし、それに対して、アルミニウスは、すべての人がキリストを必要としており、キリスト無しに救いはなく、すべての人はキリストによる救いを受け入れることによって救われると主張しました。


アルミニウスは、カルヴァン主義の護教から始まりましたが、
カルヴァン主義と違うところは、聖書を徹底的に学んだことです。
特にローマ書を徹底的に学び、その結果、「個人の救いはいつでも信仰によるのであって、神の聖定によるのではない。ここに神の正しさがある。」という結論に達しました。


また、カルヴァン主義は、カルヴァンの死後、ますます過激になり、
人間が制定した信仰告白(信条)やカテキズム(教理問答)が最後的・最高権威になっていってしまったのです。

それに対して、アルミニウスは、
神のことばに権威があるのであって、人間の意見に権威があるのではない。」
神のことばが言わんとしていることを発見するのが、人間の義務である。
と主張しました。



アルミニウス主義の要約

最後にアルミニウスの主張を要約して終わります。

「神はその御子イエス・キリストを任命することを定められた。それは御子の死によって罪が破壊されてしまうためです。」

神が救い主として聖定されたキリストを、そして十字架の死による救いを受け入れて信じるかどうか、それによって救いが決まるのです。



幼子イエスと出会った人たち〜シメオンとアンナ

2025-01-10 08:27:18 | デボーション
幼子イエスと出会った人たち〜シメオンとアンナ

ルカ 2章21〜39節

いよいよイエスの人としての生活が始まります。
8日目に割礼を受けるために神殿に行き、イエスと命名し、律法で命じられているとおりの献げものをしました。


そのとき神殿には2人の老人がいました。シメオンアンナです。

2人とも、正しい生活をし、救い主キリストを待ち望むという旧約的な生き方をしていました。

旧約的な生き方を象徴しているような2人が、待ち望んていたキリストと出会ったことにより、歴史家ルカは旧約時代の終結を表していまず。


シメオンの信仰生活 

「そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。」(26節)"

シメオンはかなり高齢になっていました。
「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはない」という神様の約束がなかなか実現しなかったので、神様の約束を疑いそうになったこともあったかもしれません。

しかし、シメオンは、それでも忍耐強く持ち続けました。そして約束どおり救い主と出会えたのです。


私たちも、神様の約束、祈りの応えがなかなか実現しないこともあります。
それでも、自暴自棄になったりしないで、またあきらめないで、忍耐強く持ち続けることが大切です。

そしてそのための力になってくださるのが聖霊様です。
聖霊様に力を与え続けていただいて、希望をもって、祈りの生活を継続させていただきましょう。


シメオンの預言

1.「この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。」
(34節)

イエス様が神の御子として活動を始めたときから、現代に至るまで、そしてこれからも、
救われる人が起こされるだけでなく、御言葉や十字架につまずいてしまう人も出てきます。

私たちも伝道などで、あるいは家族から反対されることもあります。
受け入れてもらえなくても、そのことでさえも預言されていたことなのです。その人のことは神様に委ねて、引きずらないようにしたいと思います。

また時が来たら、私たちが思いもよらない方法で働いてくださって、その人を、あるいは家族を救いに導いてくださいます。


2.「あなた(=マリア)自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。」(35節)

これは、マリア自身がイエスが十字架に架かって死ぬのを見てしまうことを預言しています。

しかし、私たちもイエスの十字架に出会うとき、自分の罪深さを思い知らされ、心が刺し抜かれるような思いをすることがあります。

しかし、手術を受けたときに痛みを感じるように、それは悪い部分が切り取られて、いやされることを表しています。

罪を素直に認めることは痛みを感じますが、十字架によって罪ゆるされた後は平安が待っています。
いつまでも後悔し続けるのではなく、罪ゆるされたことを確信し、前を向いて歩いていくことも大切です。



アンナ

アンナの幸せな結婚生活は7年間しか続きませんでした。
彼女はこの世的には必ずしも幸せではなかったかもしれません。

しかし、彼女は女預言者になり、一人で、夜も昼も、神殿で祈り、人々に神様の言葉を語っていました。

「ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。」(38節)

アンナは最初のキリスト伝道者になったようです。

それはともかくとして、織田昭氏はここに大切なことは2つあると言っています。

1.「彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ」
=イエス様のところに近寄って行って(近づいて)、イエス様の救いを受け入れ、イエス様が自分の救い主であることを感謝して、喜ぶことです。
自分のその罪を全部引き受けて清めてくださった方を仰ぐことです。


2.「すべての人に、この幼子のことを語った。」
=救いを待ち望む人(必要としている人)に、確信を持って証言できる人になることです。

聖霊様が共にいて助けてくださり、語るべきことを教え導いてくださることを信じて、キリストを証しする人になることです。

私たちはアンナのように専業伝道者でなくても、イエス様に救っていただいたことを感謝し、さらに救いを必要としている人に証しし、イエス様のことを伝えられる人になっていきたいと思います。

感謝と賛美、そして証と伝道、この2つはどちらも人間の力によるものではなく、聖霊様が働いてくださって、聖霊様の力によってできるものです。





メンデルスゾーンの苦悩

2025-01-09 18:19:46 | 音楽
大作曲家メンデルスゾーンの苦悩

私(聖書納言)は、クラシック音楽を聴くのが好きなのですが、特にロマン派の音楽が好きです。

子どもの死を契機にカトリックの聖職者になったF.リスト

長年オルガニストとして教会に仕え続けたブルックナー、フランク、フォーレ、サン=サーンス

死者のためではなく、後に遺された遺族に希望を与えるためにドイツ・レクイエムを作曲したプロテスタント信者のブラームス

オペラ王と呼ばれたヴェルディもクリスチャンでした。

しかし、今日ご紹介したいのは、ユダヤ教からキリスト教(プロテスタント)に改宗したメンデルスゾーンです。


メンデルスゾーンの苦悩

メンデルスゾーンというと裕福な銀行家に生まれ、生涯恵まれた生活を送ったと思われがちですが、そうとは言い切れません。

一番彼が悩んだのは、自分がユダヤ人であったということでした。

メンデルスゾーンはキリスト教(プロテスタント)に改宗しましたが、それでもユダヤ人差別を受けることがあったようです。


彼は1829年の秋に、翌1930年に控えていたアウグスブルク信仰告白300周年記念式典のために交響曲第5番「宗教改革」を作曲し始めました。

この曲は第4楽章にルターが作曲した「神はわがやぐら」のメロディが繰り返し奏でられます。

しかし、記念式典には、他の作曲家が作った曲が演奏され、彼が作曲した交響曲「宗教改革」は、演奏されませんでした。他の場所で行われた式典でも同じでした。

当時、作曲家として地位も名声もあったのに、なぜ採用されなかったのか。
それは彼がユダヤ人であったからです。 

ユダヤ人が作曲した曲を国家的な事業に使うわけにはいかないというのです。

クリスチャンであっても、人種がユダヤ人であるというだけでドイツでは差別されていたのです。


失望したメンデルスゾーンは、交響曲「宗教改革」をお蔵入りにし、ドイツを離れ、足かけ3年間にわたるヨーロッパ各地を回る演奏旅行に出かけました。

そして1832年になって、ジングアカデミーの指揮者を決めるための演奏会でようやく交響曲「宗教改革」は初演されましたが、メンデルスゾーンは大差で敗れてしまいました。

敗れた原因も彼がユダヤ人であることを嫌った人たちが反対側に投票したためだと言われています。

結局、交響曲「宗教改革」の楽譜が出版されたのは、彼の没後19年も経ってからでした。



メンデルスゾーンの宗教観

ユダヤ人であることと、キリスト教徒であることは、少なくともドイツ社会では相容れないこと、両立できないことだったのです。

メンデルスゾーンの名前は、フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディと言いますが、
フェリックスはファーストネーム、メンデルスゾーンはユダヤ人の姓、バルトルディは彼のお父さんが付けた新しい姓でした。

お父さんはフェリックスに、メンデルスゾーンというユダヤ名を隠して「フェリックス・M・バルトルディ」と名乗るように勧めましたが、
フェリックスはバルトルディという新しい姓を嫌い、メンデルスゾーンというユダヤ名を使いました。

また、彼のお父さんは「真実(神)はただ一つであり、宗教の違いは単なる形式の違いである。」と言いました。


それに対して、フェリックスは「ユダヤ人の名前であっても、キリスト教という形の中で真実を追求することは可能なはずではないか。」と考えました。


晩年の結実

交響曲「宗教改革」の悔しさを挽回すべく、メンデルスゾーンは宗教曲(オラトリオ)の作曲に着手しました。

それが彼と同じくユダヤ教からキリスト教に改宗したパウロを描いた「聖パウロ」、
信仰を守るために異教と戦った「エリヤ」、
そして未完に終わった「キリスト」のオラトリオ(演奏会形式の宗教劇)3部作でした。

これらの曲は、すぐにドイツ人たちにも受け入れられ、交響曲「宗教改革」の挫折を乗り越え、見事に結実したのです。

おそらく神様(イエス様)が陰で働かれ、彼を成功に導かれたのでしょう。
ハレルヤ!!