ルカ 3章1〜20節
バプテスマにふさわしく生きる
今日、与えられた聖書箇所は上記ですが、このデボーションでは、特に7節以降のバプテスマのヨハネの説教に耳を傾けて参りましょう。
A.D.29年頃の出来事です。
死海北部のヨルダン川流域に、洗礼者ヨハネという人が現れ、説教を始めました。
信じられないほど多くの人たちが集まって来て、悔い改めて神様に立ち帰り、ヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けました。
リバイバルが起こったのです。
しかし、ヨハネはやって来た人たちにも、現代では考えられないほど厳しく説教しました。3つに分けて学んで参りましょう。
1.
「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。」(8節)
ユダヤ人の中には「自分たちはアブラハムの子孫である」つまり神様に選ばれた民だから大丈夫だと言う人たちもいたようです。
しかし、そんな人たちに対して、ヨハネは、自分たちの心の中にある罪としっかりと向き合い、悔い改めることを要求しました。
現代の私たちはどうでしょうか。
今日は日曜日(聖日・主の日)ですが、礼拝前や特に聖餐に与る前には、自分の心の中を主に探っていただき、おごり高ぶったり、人を裁いたりしていることはないかということも含めて、しっかりと自分の罪と向き合い、悔い改めましょう。
そして礼拝に向かい、聖餐にあずかりましょう。
また、ここでヨハネは「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができる」と言っています。
私たちは、自分が、まるで道に落ちている石ころのような価値のない存在だと思うことがあります。
しかし、そんな石ころのような価値のない人間でも、神様は創り変えて、神様が用いてくだされば、神様の役に立つ人物にしてくださるのです。
ですから、私たちは自分は価値のない人間だと思わないようにいたしましょう。そして、神様の手に握りしめていただいて、少しずつでも創り変えていただきましょう。
また、ある教育者はいつもこの御言葉を座右の銘として教育を続けました。
自分だけでなく、他の人に対しても、神様が創り変えて、神様の役に立つ、また人の役に立つ人に変えてくださる、そう信じて教育を続けたそうです。
2.
ヨハネの説教を聞いた人たちは「自分たちはどうしたらいいですか」とヨハネに尋ねました。
ヨハネは一般の群衆たち、そして取税人と兵士たちにこう答えました。
"群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」
ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」(10〜11節)
取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。」
ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」(12〜13節)
兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」(14節)
ここでは悔い改めた人間としてふさわしく生きること、バプテスマ(洗礼)を受けた人間としてふさわしく生きることが要求されています。
特に隣人に対する愛が要求されています。
私たちは、どうでしょうか?
家族に対しても、愛を持って接しているでしょうか? 頭ごなしに怒鳴りつけたりはしていないでしょうか?
また前述しましたが、人を裁いたり、人を比較したりしていないでしょうか?
洗礼を受けた人間としてふさわしい生き方をしているかどうか、時折、考え直してみましょう。
3.
ヨハネは、自分にではなく、イエス様に人々の心を向けさせています。
余談になりますが、牧師も自分にではなく、イエス様に信徒の心を向けさせるのです。もっと言えば、自分に従う信徒ではなく、キリストに従う信徒を育成していくのです。
「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。・・・その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。」(16節)
イエス様は聖霊と火でバプテスマを授けます。
「火」は、どちらかと言うと消極的で否定的な働きです。
火は古いものを焼き尽くしたり、不純物を取り除いて金属を精錬します。
私たちはイエス様の十字架を信じて新生しても、一朝一夕にすぐに不純物が消えてなくなり、すべてが新しくなるわけではありません。
ですから、新生してからも、私たちの心の中にある不純物を焼いていただいて、私たちの心を少しずつ精錬し、徐々に純粋な心(愛)に変えていただくのです。
それに対して「聖霊」は、積極的で、生産的な働きです。
聖霊は私たちを生まれ変わらせて、私たちを新しく生かすものです。
そこには生き生きとした信仰があり、希望があり、喜びがあります。
古い人が死ぬだけでは意味がありません。大切なことは「新しい創造」です。(ガラテヤ 6:15)
聖霊が心の中で働かれ、新しい創造をしてくださるのです。
私たちは、新しい生き生きとした霊的な生命を与えでいただき、信仰と希望と愛に生かしていただきましょう。