ルカ 1:69〜80
ザカリヤの預言
"この救いは、私たちの敵からの、私たちを憎むすべての者の手からの救いである。
主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。
私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。
主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。"(ルカ1章 71〜74節)
変わることのない約束
趣旨は、神様はアブラハムとの約束――「あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。(創世記 22章 17節b)」――を忘れないで覚えておられ(72〜73節)、
約束を守って(約束どおりに)、敵の手から救い出してくださった。
そして私たちが敵を恐れることなく(おびえることなく)主に仕えることができるようにしてくださった。ということです。
ザカリヤは、おそらく、エジプトの奴隷であったイスラエルの民を救い出して、カナンの地を与えてくださったという「出エジプト」の出来事を意識して預言したのでしょう。
ザカリヤがいた当時は、ユダヤ民族はローマ帝国の支配下にあり、
民は重税や労役に苦しみ、
そこから解放されることを望んでいました。
神様は出エジプトの時と同じように、ユダヤの民をかえりみてくださり、
ローマ帝国の支配から解放してくださる。ザカリヤはそう預言したのです。
現代的意味
私たち現代のクリスチャンにとって、豊かな信仰生活をおびやかす敵というのは、何でしょうか?
人によっては、信仰に反対する家族や親族、あるいは、仕事や仕事仲間などが、霊的な意味での敵であるかもしれません。
(そのような時、教会に来るとホッとしますよね。)
しかし、何よりも、私たちの豊かな信仰生活をおびやかす敵というのは、
悪魔(サタン)であります。
あるいは、自分の中にある罪意識や劣等感が敵かもしれません。
サタンは私たちの過去の罪や失敗を並び立ててきて、すでに解決されているはずの罪意識を私たちに植え付けようとしてくることもあります。
そして「お前なんか駄目だ。神様はお前を愛してはおられない。」と、神様の愛を疑わせようと仕掛けてきます。
しかし、神様はアブラハムとの約束を今でも忘れることなく覚えていてくださり、そのような霊的な敵から私たちを守り、救い出そうとしておられるのです。
まさにそれが、イエス・キリストの十字架なのです。
救いの業はすでに成就しています。
神様はイエス・キリストの十字架によって、私たちの過去の罪や失敗を完全にゆるしてくださったのです。
ですから、もう過去の罪や失敗にいつまでも捕らわれるのはやめにしましょう。
そして聖霊に満たしていただいて、恐れることなく、主にお仕えさせていただきましょう。
神様の愛は変わることはありません。
神様の約束も変わることはありません。
「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」(創世記 1章 31節)
という御言葉は今でも有効です。
影のたとえ
ある人は、私たちをおびやかす罪意識を「影」に譬えました。
影はいつも私たちにつきまとい、無くなることはありません。
解決法はただ一つ、回れ右をして、太陽の方向を見ることです。
つきまとう罪意識から目を離して、回れ右をして、義の太陽であるイエス様のほうを見、イエス様の十字架を見上げるのです。(回れ右をすることを回心と言います。)
そうすれば、私たちは罪意識という影におびえることなく、キリストの十字架を見上げ、聖霊に満たされて、恐れることなく、主に仕えていくことができます。
結論
私たちは、敵(サタン)の挑発や誘惑に乗ることなく、キリストの十字架のみを見上げ、聖霊に満たしていただくことによって、それらに打ち勝ち、恐れることなく、主にお仕えさせていただきましょう。
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