東日本大震災の時にも、私はたまたま名古屋に居ました。車で大津通を走っている時に揺れを感じたのを覚えています。
そして、その後のニュースで大地震だということを知り、その夜に東京へ帰ることにしたのですが、新幹線は不通で名駅近くのホテルを軒並み探しましたがどこも満室、そこで、名駅近くの24時間営業のファミレスに席を見つけることが出来て夜明かししました。翌朝は、新幹線が開通していましたので朝一番で東京へ戻りましたが、家に帰ると本棚は倒れて書籍が散乱。そして、テーブルの上で飼っていたダンゴムシの容器も倒れて、50匹近いダンゴムシがみんな脱走していました。😢
今回の能登半島地震の時は、初詣登山(というほどの山ではない)から帰り名古屋市に居ました。揺れの長さから大地震だということは察知できましたが、石川県が震源地だというのはニュースを見るまで知りませんでした。
実は、石川県には色々な思い出があります。かつて昔、金沢の女子大生の友達がいたのです。
まだ、パソコンのはしりの頃でパソコン通信の時代でした。ひょんなことから、その金沢の友達が出来て東京で会うことになりましたが、彼女はヤンチャな年ごろ、私が車で東京を案内している時にも、私のヒゲの剃り残しの一本を見つけて引っ張ったりする人でした。それ以来、私は、決して髭の剃り残しを作らないと心に決めて実行していますが、それは、彼女のお陰です。(^-^)
その後、彼女は医療系の大学を卒業して先生と言われる技術者になっています。私とは歳の差がありますので、お互いに結婚などと言うことは一切口に出さずに、たまに会うという友達関係が続きます。
ある時には、私が深夜に突然金沢に行きたくなり真夜中に車を飛ばして関越から高速に入って、明け方金沢に到着して彼女に会ったこともあります。そんな若かった頃もあったのです。(笑)
たまに、新潟で会ったり、浜名湖で会ったり、上高地で会ったり、中間地点で会うくらいの、浅からず深からずの関係が、その後細々と数十年続きました。長い!
彼女は転勤で北陸から東海地方や湘南地方などと移動していましたが、誰かと結婚するということもなく独身を続けていました。連絡が途切れても、名前が変わらないのでネット検索で簡単に所在が分かってしまいます。最後に会ったのが、10年くらい前でしょうか。それ以来、私も年なので自然に連絡することは無くなっていたんです。
私はリタイア後は、山奥の一軒家に住むことを考えていましたのでネットで色々と物件検索していた頃のことです。岐阜県の恵那市と石川県の能登半島と京都の山奥に、比較的に良い物件が見つかったのです。能登半島のは海べりの一軒家で、値段も手ごろでかなり気に入っていたのですが、決断できませんでした。もし、あの時に決めていたら・・・考えてみれば、不思議なことです。
彼女は、各地の転勤を終えてから最近は故郷の石川県に戻って勤務していることまでは分かっていますが、連絡先を知らないですから今回の地震についての影響は分かりません。
しかし今回の大地震で真っ先に考えたのは彼女の安否のことでした。いつも「おにいさん!」と慕ってくれた彼女が、ぜひ、無事でいられることを祈っています。
また、能登半島地震の被害実態が明らかになるにつれ、その被害の甚大さに驚いています。不幸にも亡くなられた方にはご冥福をお祈りいたします。そして、まだまだ危険と困難な状態が続くでしょうが、それを乗り越えられるようお祈りと応援をしたいと思います。