宗祖親鸞聖人「報恩講」が11月14日~18日まで東本願寺鹿児島別院で開催されていますが、私は墓参りを済ませたから11月16日10時00分から出席しました。
式が始まる前に、事前に配布された改悔文を担当の音頭で全員で朗読しました。
10時00分~僧侶が入場して読経が始まり読経が終わってから休憩に入りました。
休憩後に別院報恩講企画検討委員会委員長(輪番)の挨拶と講師の紹介があり、講題「加世田一揆に見る真宗門徒の姿」講師「 下津 悦子」氏(九州教区 鹿児島組 寶聖寺坊守)による真宗宗歌の斉唱、三帰依の朗読、自己紹介の後に法話が始まりましたので、その一部を紹介します。
【法話の概要】・・①かくれ念仏・廃仏毀釈略表より・・1568(永禄十一)年島津忠良没(一向宗を批判した和歌を残す)・・1597(慶長二)年、島津義弘、一向宗を禁止・・以来薩摩藩は一向宗(浄土真宗)を弾圧し続けるが隠れ念仏としてひそかに信仰されてきた。
・・1858(安政五)加世田で蔵元一揆(江戸時代、薩摩で唯一の一向一揆)
②加世田から本山への金10両上納・・薩摩國諸記に記載(本願寺に保存されている信者と本願寺との間の交換文書)
③加世田について・・鹿児島藩主・島津家とのかかわり・・三州統一の祖・日新公 島津忠良(1492~1568)ゆかりの地。日新寺の石高は400石。当時加世田城下士約900戸のうち50石取りが10名(西郷隆盛41石)・・島津家にとって日新公墓地のある加世田は「特別な父祖の地」であった。
④加世田一揆(蔵元一揆)安政5年(1858)11月18日蜂起、20日鎮静。
「原因」・・加世田では麓に暮らす城下士と、農村に暮らす郷士の生活格差及び取り立てがことのほか激しく、一向宗に対する宗門掛の取締も厳しく、かねてより城下士に対する不満が鬱積していた。
「経過」・・犬追馬場の射場で行われた射納の式に集まっていた郷士たちに檄を飛ばし、一向宗信徒の郷士・農民を集合場所に集め、武装して麓役人の暴挙を藩庁に訴え、郷政の改革を実現しようと謀議を重ね,一気に麓をおそわんとする形成であった。
「終結」・・会合に参加しなかった郷士が事の次第を地頭仮屋に報告・・日新寺の僧が調停に入り、あっけなく解決・・この後、加世田郷では村に住む有力武士を麓に居住させる方針をとった。
「加世田一揆の意義」・・「真宗の信仰と現代社会」より・・真宗の信仰とはj、自からの罪業性に目覚めて、誰もが業縁存在として痛ましい社会を共に生きる者(「われら」)であると気づかされることで、すべてが豊かに尊ばれる世の中の実現に向けて立ち上がるものであろう。・・講師は意義については各自でも考えて欲しいとの言葉で締めくくられました。
〇法話が終わってから恩徳賛を全員で斉唱して終了しました。
※会場の写真及び報恩講関係の資料などをスキャンして添付します。
東本願寺鹿児島別院
受付
看板
開始前の会場
改悔文の朗読
読経開始
読経の終了
別院報恩講企画検討委員会委員長(輪番)の挨拶
真宗宗歌の斉唱
三帰依の朗読、自己紹介,法話,
恩徳賛の斉唱
【資料】