5月6日〔土)10時~姶良市加治木福祉センターにおいて、加治木史談会総会・講演会が開催されました。
〇加治木史談会総会・・「開会のことば」「会長挨拶」「議長選出」が終わり、平成28年度会務報告、決算報告、監査報告があり、一括承認された。次に平成29年度事業計画(案)予算(案)が審議され一括承認され後に平成29年度役員の一部変更が提案され承認された。
その他・・①NPO法人 かじき披露芽隊・・出前講座の資料が配布され説明。 ②切り絵原画展・・6/1~6/30 姶良市「姶良公民館」一階ロビー ③島津義弘公没後四百年記念事業・・御奉賛のお願い他
〇講演会・・【講師】 尚古集成館 館長 松尾千歳先生 【演題】『薩摩人の身長と食文化』・・講師紹介の後に、講師が登場して、パワポイントを使って講演が行われましたので、その一部を紹介します。
①薩摩隼人・オゴジョは大きかった?・・身長の推定・・西郷隆盛(178㎝)大久保利通(175~178㎝)村田新八(180㎝)最後の島津藩主島津忠義(185㎝)・・(同時代の日本人に比べて薩摩人の身長は獣肉の摂取などで大きかったといわれている)
②日本人の身長の推移・・日本人の平均身長は、古墳時代から年々低くなり、江戸時代が最も低く、明治以後は基本的に上昇し続けて現在に至っている。戦後の身長の伸びは、食生活が豊かになったこと、特に動物性タンパク質の摂取量の増大が原因といわれている。日本では江戸時代までは獣肉食がタブー視されてきた。仏教の「殺生禁断」と神道の「けがれ」の思想の影響であるといわれている。その結果、江戸時代の身長が最も低い数値となっている。
③薩摩は貧かったか?・・薩摩藩の石高は72万石であったが籾高であり、他藩並に精米すれば半分程度になる。人口の26%が士族と、全人口に対する士族の割合が異常に高い藩であった。(全国平均は5%)領民たちは重税にあえぎ、年に数えるくらいしか米を食べることができないほど貧しかったと言われている。
④薩摩の食文化・・島津氏の領国南九州から、奄美や琉球の島々を経て中国大陸へと伸びた海上交易路「海の道」は日本と外国を結ぶ大動脈であった。ヨ―ロッパ人たちも、この「海の道」を北上して、様々な情報・物資をもたらした。鎖国後も琉球を経由して情報・物資が流入し、食文化もこの例外ではない。薩摩郷土料理を見れば、日本料理を基本にしつつ、中国や朝鮮、さらに東南アジアの食文化の影響を強く受けている。※獣肉食・・薩摩では古くから獣肉食をタブー視する風潮が薄く、盛んに豚肉が食べられているが、これは中国や琉球の食文化が大きく影響したことが伺える。
⑤焼酎・・鹿児島イモ焼酎は、日本酒文化を基本に、中近東で誕生した蒸留の技術、中南米原産のサツマイモ 、沖縄の黒麹などが融合されて生み出された。南九州の地が、日本の文化と海外の技術・文化が交わるところであることを物語っている。
以上が講演の概要ですが、会場の様子を写真で紹介し、資料の一部をスキャンして添付します。
開会のことば
会長あいさつ
議案審議
講師紹介
講演の開始
パワーポイントによる説明(幕末の全国と薩摩の身長の比較)
薩摩の郷土料理
薩摩中世の主な湊
ヨーロッパ人たちの進出コース(当時のヨーロッパの地図)
情報・物資の流入ルート
島津斉彬による焼酎増産の指示(鉄砲の雷管にアルコールが必要であった)
講演の最後
※写真をクリックすると拡大し左上の←をクリックすると戻ります。
いつもながら画像入りで見やすく、興味を引く記事を書いておられますね。
以前、昨年9月のカンツォーネコンサートの記事にコメント致しました。
http://blog.goo.ne.jp/seno777s/e/95ae1d4507c1633ac901a7d8b7fd6777#comment-list
身長比較が面白いです!
薩摩人の体格、当時の平均より大きかったんですね!新鮮な驚きです♪
この講演会、聴いてみたかったなぁ。。
ツイッターでも歴史に興味のある方が沢山おられます。是非、紹介させてください。