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令和5年度 加治木史談会町外研修「霧島山麓神社巡り」(2023)・・・霧島市・小林市・高原町

2023-11-05 16:57:05 | 日記
11月5日、令和5年度加治木史談会町外研修は20名が参加して8時に姶良市役所加治木支所前を貸切りバスで出発して、「霧島山麓神社巡り」研修をして15時50分頃に無事に出発地点に帰りました。
今回の研修の主な目的は霧島神宮の歴史を現地で研修するため霧島神宮華林寺墓所跡、霧島神宮、霧島東神社、狭野神社、霧島岑神社を巡り、現地で説明を聞いて霧島山麓の神社の成り立ち等の理解を深めることでした。
〇霧島神宮の歴史・・霧島神宮はもともと高千穂峰と御鉢の間、脊門丘(せとお)と呼ばれる所にあった。しかし、788年御鉢の噴火で焼失した。その地には現在霧島神宮元宮として鳥居と石碑が立てられている。その後平安中期に天台宗の僧侶性空上人が高千穂河原に再興(性空上人が六社権現を創建した)。然し1234年の大噴火により社殿・僧坊が焼失した。その後 は神社、僧坊を廃したまま仮宮が250年間田口集落侍世に置かれていた。
文明16年(1484)島津家11代忠昌の命にて兼慶上人が現地に神社及び別当寺を造営したが、寛永2年(1625)に火災で焼失、仮殿に遷宮、宝永2年(1705)華林寺より出火し仮殿は全焼。
10年後の正徳5年(1715)島津家21代吉貴の命により社殿を造営し、今日に至る。平成元年国指定重要文化財、令和4年2月9日本殿・幣殿・拝殿が国宝に指定される。
〇霧島六社権現・・平安中期に天台宗僧性空上人が霧島山で修業し、六社権現を創建したと伝えられる。
〇神仏習合の時代から神仏分離の時代へ・・江戸時代までは神仏習合が行われてたが、明治政府が神仏分離令を出し、現在の状態に至っている。しかし神社の中には神仏習合の時代の跡が残っている場所もある。
以上、説明の一部を紹介しましたが、研修の様子を写真で紹介し、資料をスキャンして添付します。
出発前の貸し切りバス
バスの中で研修内容の説明
霧島神宮華林寺墓所跡の説明文
霧島神宮華林寺墓所跡を説明する事務局長
霧島神宮参拝
霧島神宮調査報告書の表紙(国宝指定申請資料)
霧島神宮調査報告書の目次(国宝指定申請資料)
霧島東神社の説明文
霧島東神社の拝殿
霧島東神社の裏にある性空上人の像
霧島東神社の裏にある仏像
霧島東神社の裏にある護摩壇
狭野神社の案内図
狭野神社の参道入口
狭野神社の参道
狭野神社の拝殿
霧島岑神社の白い鳥居
霧島岑神社の案内板
霧島岑神社の参道入口
霧島岑神社の参道
霧島岑神社拝殿
霧島岑神社拝殿内部
霧島岑神社の神々の系図一覧
岑神伝記
記念撮影
道の駅えびの(休憩・買物)
帰りのバスの中で説明

【資料】




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