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「新老人の会会長」日野原重明先生の死去の報に接して・・・報道内容などの紹介

2017-07-19 10:46:44 | 新老人の会

私は2012年2月25日に鹿児島市民文化ホールで開催された、日野原先生100歳記念講演会に参加して感銘をうけ、新老人の会に入会し5年間に体験した内容をブログに投稿してきました。

7月18日、日野原重明先生の死去の報道に接し、日野原先生に関する新聞記事の紹介、日野原先生のフエイスブック「スマートシニア全員集合!!」の本部からのメッセージ、私が毎日見ているブログ「住職と坊守のつれづれ日記」等を紹介して哀悼の意を表したいと思います。

 

 

 

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スマートシニア全員集合!! (fb新老人の会本部)

· 昨日 17:41·

私たちの日野原重明先生が、今朝ご自宅で息をひきとられました。105歳でいらっしゃいました。
先生の提言されていた生き方をしっかりと引き継ぎ、これからもたくさんの方に広めていくことが私たち「新老人の会」会員の先生への何よりの恩返しだと思っております。

日野原重明さん死去 105歳 聖路加国際病院名誉院長

7/18() 8:54配信

朝日新聞デジタル

聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さん=2016年11月1日

 「生涯現役」として著作や講演など幅広く活動してきた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明(ひのはら・しげあき)さんが、18日午前6時33分、呼吸不全で死去した。105歳だった。通夜・お別れの会は関係者で行う。葬儀は29日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の東京都青山葬儀所で。

 1911年山口県生まれ。京都帝大医学部卒。41年から聖路加国際病院に勤めた。同病院内科医長、聖路加看護大学長、同病院長などを歴任。02年度朝日社会福祉賞。05年に文化勲章を受章した。

 専門は内科学。成人病と呼ばれていた脳卒中、心臓病などを「習慣病」と呼んで病気の予防につなげようと1970年代から提唱してきた。旧厚生省は96年になって成人病を生活習慣病と改称し、今では広く受け入れられている。

 87年からは小学生を対象に「いのちの授業」を続けた。多数の著書があり、90歳で出版した「生きかた上手」がベストセラーになった。

 
 

2017年07月19日

yjimage[1] 昨日文化勲章受章者の日野原重明先生が105歳でお亡くなりになった。
まだまだお元気で私達に『生き方上手』のメッセージを発信して頂けると信じていただけにショックだった。
 100歳まで生きるのが珍しくなくなった現在、日野原先生の「生涯現役」という生き方は、私達のお手本となる。
先生が発案された「生活習慣病」という言葉は、高齢化社会では当たり前のごとく使われ、誰しも早くから健康管理に勤めるようになった。
また75歳以上の老人を「新老人」と名付けて、老後の新しい生き方を提案された。年金をもらったら自分の好きなように優雅に遊んで暮らす。しかしそれも長続きしない。老いの身には必ず病気や死が迫っている。また大切な人との別れがあり、孤独との闘いでもある。そんな時の心の持ち方を、先生自らが身を呈してお示し下さったように思う。
私も先生の著書を読んで「もう歳だからダメと思わずに、こんな私でもまだまだお役に立つことがあれば、お手伝いさせて頂こう」という気持ちが芽生えた。

 今から10年程前に、日野原先生が名古屋市郊外の愛知学院大講堂で講演をされたことがあった。私は友人と聞きに行った。丁度楽屋口から入られる日野原先生と出くわした。先生は軽く手を上げて笑顔で答えられた。すると階段を2,3段置きにピョンピョンと駆け上がるように上られた。95歳の人とは思えないハツラツさ。
講演中もずっと立ったまま。「講演は開口一番のツカミが大事だ」と言われるように、聴衆を惹きつけて離さない。ニューヨークの「葉っぱのフレディ」公演で歌われた時のように楽しくお話された。
その日も外国出張の帰国直後にも拘らず、疲れを感じさせないお元気さ。
先生のお食事メニューが小食で驚いた。朝食はオリーブオイルを垂らした野菜ジュース、昼食はビスケット一枚と牛乳。しかし夕食には大皿一杯の野菜サラダとステーキや魚を食べられる。勤務先の病院ではエレベーターは一切使わず階段で上り下り。足腰を鍛えられる。まさしく小さな心掛けが生活習慣病の予防に役立つ。

 最期3か月は胃ろうを拒否されて自然な死を選択された。医師としてばかりではなく、人間としての生き方・心の持ち方を教えて下さった。先生は敬虔なクリスチャン。やはり心の支えとなる精神的支柱があるからだと納得した。
私も仏教徒しての人生を最後まで全うしたい。日野原先生ありがとう!(充子)
 
7/19 健康長寿、お浄土が見えて来る人生を歩みたい(悌)
IMG_20170718_212412医師の日野原重明さんが105歳で亡くなった。生涯現役を貫き、患者さんに寄り添う医療を推進した型破りな医者だった。それとともに、100歳を超えても尚、講演など依頼に応じて、健康長寿を願う高齢者憧れの存在だった。
最期は延命治療を望まず、自然に任せる姿を見せてくれた。

昔から、「医者と坊主はひねた(歳とった)のがいい」と言われた。医は仁術、という言葉もあるから、何でも相談できる頼りになる相談相手というイメージが好まれたのだろう。対して、歳を重ねた坊主(僧侶)はそうだろうか?どうも、時代に取り残された堅物の煙たい人間だというイメージがあるのではないか?
周りを見渡してそんな感なきにしもあらず?

貼り付けた二冊の本は、宮崎幸枝著「出遇えてよかったね」本願寺出版、藤枝宏寿著「阿弥陀経を味わう;36篇」永田文昌堂。宮崎先生は医師で念仏者、病院に仏間があり、ビハーラ(仏教ホスピス)法話会を催す。「医者は坊さんと仲良くあれ」をモットーにしておられる。一月前東京でお会いし、頂戴した冊子でもある。もう一人の藤枝先生は元福井大学の教授で、真宗出雲路派の寺の住職さん。この方を師として仰ぎ、著書の校正を何時も引き受けておられるK師から頂戴し、今愛読中の本だ。
阿弥陀経の味わいが深まり、身近で面白い本。阿弥陀経はお釈迦様晩年の説法で、「今日はどうか聞いてほしい。説かずにおれない」と言われ祇園精舎で1250人の人々を前に説かれた、「我々凡夫がお浄土に仏と生まれ変わる真実を説き、地球だけでなく六法の国の諸仏がその真実性を讃嘆し、証明しておられる」お経だと味わう。三部経は皆尊いが、阿弥陀経は(短く)、多くの人たちが唱和されるので親しみやすいお経。それがお釈迦様の遺言のような説法だと言われるので余計に近しさを感じる。

健康長寿とともに、「お浄土があってよかった。懐かしいご先祖たちとお浄土で仏となって再会できる世界」が約束される安らぎがある。生涯現役として共々にお浄土に至る人生を歩みたい。日野原さんの逝去の報に接し、そんな感慨を抱く。
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1 コメント

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Unknown (藤井)
2017-07-19 13:37:43
社会に大きな影響を与えられた方で、大きく報道されていますね。有難うございました。
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