大正3年1月12日の桜島大噴火から100年になる、今日(1月12日)、姶良市加治木郷土館で開催されている「桜島大噴火と加治木」の特別展を見てきました。
文献「柁城 第28号」大正3年4月発行から抜粋した写真及びパネルで噴火後に櫻島から避難してきた島民の救護やその後の活動の様子が紹介されていましたので、その一部を紹介します。
○安永(1779)以来の大噴火・・・1月12日快晴、午前10時20分頃、桜島西側赤水の上方五合目位黒煙・・・12時頃2船、桜島「白浜」の人が漕ぎ着く。続いて3隻、・・・加治木より救助船出る・・・桜島避難民・・・加治木倶楽部に収容。柁城小学校、旧制加治木中学校は13日より臨時休校
○町役場及び警察署の活動・・・12日の活動の様子・・12時前、救助船6隻派遣決定・・・午後4時・・・数十名を救助し寄港。その後、避難民続々到着・・・倶楽部は遂に収容不能となる。第二収容所:性應寺。
○加治木郵便局では・・・12日噴火後、電話・電報:発信の増加で大混雑。13日~19日:電報発着一日平均300余通(平常50通)電報の中継信1000余通。さばききれず。※当時の同局の混雑は大変なものであった。
○救護の経過・・・12日~19日炊き出しを実施。20日以降は炊き出しを中止し、米・粟を給付。長期間の収容所として避難小屋の建設と移住。他町村への避難島民が加治木へ追々来集(延べ人員37281人を計上)
○噴火の経済的影響・・・耕地降灰被害甚大・・・種子の発芽を阻害、レンゲ全滅、桑葉大被害。加治木の耕地被害面積・・・田地688町、畑地861町。降灰堆積調査・・・加治木町10.5cm~4.5cm、福山村30~12cm
特別展示では写真とパネルを使用して説明してありますが、撮影禁止のために紹介できません。特別展は1月31日まで開催されているので、近くの人は見に行くことをお勧めします。
1月12日の南日本新聞にも桜島噴火100年の特集記事が掲載されていたので、写真に写して参考のため添付しました。
今回の特別展で、100年前の桜島大噴火で多くの人たちが活躍した様子が分かり見に行ってよかったと思っています。
加治木郷土館入口の看板
特別展のポスター
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南日本新聞の記事