3月31日放送のNHK特集ドラマ「どこにもない国(後編)~引揚げは実現するのか150万同胞~を録画して4月2日に見ました。このドラマを見ようと思ったのは、私達も満州からの引揚げ者で、佐世保に上陸しましたが、当時8歳だった私は引揚げの経緯について詳しく知らなかったので、知りたいと思ったからです。
私は後編だけを見ましたが、母(100歳)は前後編とも見たとのことで、母に前編の話を聞いたら、満州北部にソ連軍が侵攻してきて、満州開拓者の人達は、暴行や略奪等大変悲惨な状態の場面が多かったと話してくれました。
後編は満州を脱出した代表の3名が悲惨な状況を様々な方法で訴えて、引揚げを実現するまでを描いたドラマでした。当時の日本はGHQの占領下にあり、日本政府には決定権がないため、GHQの最高司令官「マッカーサー元帥」に引揚げを決定してもらうため、代表の3名が面会し、訴えていく努力に感激しました。
引揚げ決定のおかげで、私達も引揚げることができ、現在があることを考えると、引揚げのために努力された当時の関係者の皆さんには感謝の気持ちで一杯です。
私達の家族は満州の新京(今の長春)で終戦から引揚げまでを暮らし、ソ連軍が私の家にも来ましたが、満州北部に侵攻した軍隊のような略奪などは少なかったようでした。当時の中国は内戦状態で国民党軍と共産党軍が戦っていて、私達が引揚げた時の新京は国民党軍が支配していたようでした。引揚げのための港がある、コロ島まで貨車で移動して、貨物船に乗り、佐世保港に着き、ドラマでもあった消毒を受けてから上陸したことを覚えています。私は上陸後に伝染病の腸チフスかかり、隔離されて命の危険もありましたが、無事に今日を迎えることができました。
今回のドラマの内容と引揚者の体験から、戦争に負けて外国に残った国民は、生命財産が保障されず、悲惨な状態になるため、国の役割は国民の安全と財産を守ることだと改めて感じました。
後編のドラマの一部を写真で紹介し、引揚者に贈られた賞状をスキャンして添付します。
代表の3名が山口県仙崎港に到着したシーン
GHQ司令部で交渉するシーン
国民世論を盛り上げるため全国各地で悲惨な状況を訴えるシーン
総司令官「マッカーサー元帥」に訴えているシーン
引揚船の出発が決定したシーン
引揚船の第一便が到着したシーン
引揚げ者にDDTで消毒しているシーン
代表の一人の家族が帰国したシーン
エンディング
(私が満州引揚者として申請し、贈られた賞状)