アムステルダム(コンセルトヘボウ)でのピアノリサイタル
平井 元喜さん;Official Columnist の記事です。世界100カ国を旅する音楽家。96年渡英。ロンドンを拠点に、米カーネギーホールや蘭コンセルトヘボウでのピアノリサイタルなど70数カ国で演奏する。桐朋高校を経て、慶應義塾大学文学部哲学科(美学美術史学科)、英王立音楽院大学ピアノ科卒。ROIP親善大使。スタインウェイ・アーティスト
英国の劇作家シェークスピアが「我々の想像力は、目の前にある現実をより恐ろしいものにする」と書き残しているように、ひとは「目に見えないもの」に怯え、恐怖する。しかし、「目に見えないもの」は時に我々を元気づけ、人生を変えるほど心を動かすこともある。
実際、我々は目に見えない「香り」に癒され気分が上がったり、「音」や「味」になぐさめられ、幸せな気分になることがあるし、握手やハグをした時に「触覚」を通して全身に血が巡り、一瞬にして心が温まることもある。
私自身、音楽家として「目に見えない」音楽の持つ力やその神秘性に日々感動し、インスパイアされている。とりわけ演奏家としては、ライブでしか味わえない「臨場感」は格別だ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を真っ芯に喰らい、2月以降、一瞬にして20数公演がキャンセルとなり、2年先どころか2カ月先の公演すら見通しが立っていない状況であるから、ひたすらこの感覚に飢えているといえる。
「病は気から」というが、空気、雰囲気、気合、運気、人気、無邪気、不気味……など、我々は日常、見えない「気」に囲まれて生活している。ライブはこうした気に囲まれた「生きもの」と言っていい。
七ヶ浜国際村ホール(宮城県)での復興支援コンサート。被災地の聴衆と心を一つに鎮魂の祈りを捧げる
やはり「生(なま)」は違うのだ。パフォーマーと聴衆が目に見えない気を全身から発し、交換し、互いに気を贈り合う。それは偶発的に一期一会の「魂と魂のコミュニケーション」を創造する。
聴衆と一体化する鳥肌の立つようなこの感覚に加え、時々スポーツなどで語られる「ゾーン」に入ることもある。英語では「ワンネス(ONENESS)」というが、宇宙や自然と一つになる感覚は、まさに禅でいう「無我」の境地そのものであろう。
ライブはパフォーマーと聴衆双方に「第六感」「第七感」までフル稼働させ、バーチャルではとても味わうことのできない特別な「体験」を生む。そして、そこから得られる「幸福感」は筆舌に尽くし難い。
〈苦境に立たされた時こそアートや音楽を〉
前回のコラムに一部書いたが、今年3月、「音楽の力」とその素晴らしさを改めて知る人生を変えるほどの体験をした。クラシックのゲスト・アーティストとして乗船したクルーズ船で、新型コロナ感染者が多数出たために閉じ込められ、各国から上陸を拒否されるなか、中南米、カリブ海、バハマ沖を3週間あまり漂流した。
ひとたび愚痴や弱音を吐いてしまえば、目に見えない「言霊」によって「負のスパイラル」に簡単に引きずり込まれてしまう危機的状況だった。
私は「陰の気」に支配されてはいけないと本能的に感じ、極力ポジティブな言葉で乗客を励まし(乗客のほとんどが高齢の英国人だった)、できる限り明るく笑顔で振る舞うよう務めた。この点、カリブ海の「陽気」や、ウィットに富んだ「陽気」な船員船客たちにも助けられ、それほど難しいことではなかった。
しかし、日本時間の3月11日、我々は感染の疑いから隔離されていた乗員乗客数名の陽性が判明したことを船内アナウンスで知り、いよいよ恐怖は現実のものとなった。元々の旅程では、12日に旧イギリス領のバルバドスで下船し、そこからロンドンへ飛行機で戻る予定だったため、この知らせを耳にした時の我々の落胆はすこぶる大きかった。
船長の船内アナウンスに絶望感をつのらせ、母国で待つ家族へ深刻な状況を報せる英国人乗客たち
「あと1日」というタイミングであったし、「3.11」は奇しくも私の誕生日だった。日本人としては、「またしても、なんという皮肉!」と思わざるを得ない状況で、気まぐれな神様の悪戯(イタズラ)をすんなり受け入れる気にはなれなかった。
そんな中、私は船内の大劇場で3回目のピアノリサイタルを行った。感染拡大を避けるため、そのコンサートが大劇場での最後のイベントとなったこともあり、シアターは多くの英国人のお客さんで埋め尽くされた。
ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、リストといったクラシックの名曲の他に、「3.11」直後に私自身が作曲し、最近では世界平和や人類の幸福を願って演奏する機会も増えている『Grace&Hope〜祈り、そして希望〜』 (2011) を弾いた。この曲を演奏するにあたり、私は「3つの祈りと願いを込めて演奏したい」旨を聴衆に伝えた。
一つ目は、9年前の同じ日に起きた東日本大震災の犠牲者への鎮魂と被災地の復興。二つ目は、新型コロナに感染し船内で隔離されている船客船員が回復し、運命共同体である我々全員がどこかの国の港で下船し、英国で待つ愛する家族や友人たちの元へ無事に帰れること。そして最後に、このパンデミックが1日も早く終息し、世界中の人々が穏やかに平和に暮らせる世の中になることであった。
演奏中、客席からすすり泣く音が聞こえてきた。目に見えない「大いなる力」につき動かされ、私の演奏にも自然と「魂」が宿る。そして、私たちは音楽によって「心が一つ」になる感覚を味わった。
リサイタル終了後、いつものように楽屋前にお客さんの列ができた。「今、この瞬間ほど音楽や芸術のありがたみを感じたことはなかったわ!」と目に涙を浮かべ感謝を伝えに来てくれた高齢の英国人女性がいたが、正直、私も同じ気持ちだった。
また、穏やかな微笑を浮かべた初老の英国紳士は、「このところ不安と緊張で眠れず家内も私もずっとふさぎ込んでいたが、貴方の奏でる音楽に元気づけられ、ポジティブな気持ちになった」と言ってくれた。私はこうした多くの心優しい言葉に励まされ、幸せな気持ちになった。
コンサート後にいただいたカード
列の最後に待ち受けていたのは、年齢70代後半のがっちりした強面の英国人男性で、ひときわ異彩を放っていた。その老人は私の手を強く握ると、そのまま私を睨みつけ、低い声でゆっくりと厳かに語り始めた。
「俺の親父はなあ、ビルマ戦線で日本軍の捕虜になって酷い扱いを受けたんだ。60キロ以上も痩せて骨と皮になって英国に戻ってきたよ。だから、その憎しみは強烈で、死ぬまで日本人を怨んでいた。俺はそれをずっと聞かされて育ったから完全にその遺伝子を受け継いでいる。お前さんのコンサートを聴きに行こうという妻の誘いを前回は断ったけど、今回は友だちにもしつこく誘われたから、断れなくて嫌々聴きに来てやったんだ」
私はなんと答えてよいか分からず、黙って老人の話を聞くしかなかった。
「でも、たった今演奏を聴いて妻の誘いの意味がよく分かったよ。お前さんのおかげで日本人のことが初めて好きになったぞ! ありがとう!」
そう言って老人は最後に微笑み、ウインクすると静かに去って行った。
私は言葉を失い、しばらく呆然とそこに佇んでいた。稲妻に打たれるような強烈な体験で、今でもその雷鳴は心に木霊している。
乗客には戦争経験者も多くいた。13歳の時に体験したドイツ軍による空襲について語ってくれた英国ボルトン出身の男性ロイさん(90歳)ご夫妻
我々は「目に見えない」ウイルスに恐れ慄く。しかし、“音楽の父”J.S.バッハが「風は見えないが風車は回るように、音楽も目に見えないが、心に響き、心を動かす」といみじくも言ったように、音楽は人種や宗教、文化の壁を超えて人の心を溶かし、時として、人の価値観や私たちの人生までも変えることができるのだ。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』(岩波少年文庫、1953年)の中には、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」と、キツネが王子さまを諭す場面がある。
我々は、アートや音楽を、経済や感染者数ほど容易に数値化したり、可視化することはできないかもしれない。しかし、アートや音楽を単に目で見て頭で理解するのではなく、かつて人類がしていたようにじっくりと「心で感じ」、全身全霊で「音を楽しむ」ことができるのだ。そのことが何よりの福音ではないだろうか。
世界的経済誌『Forbes』のインターネット記事でした。