(5)再び大スターへ(48歳~59歳)
1952年
『愛情の瞬間』(ジャン・ドラノア監督)でミシェール・モルガンと夫婦役を演じる。モルガンが主役で、ギャバンは医師の役で準主役。妻のモルガンが青年画家のダニエル・ジェランと不倫するストーリーで、映画の出来ばえは良く、高い評価を受ける。監督のドラノアとも初めて組んだ作品だった。
7月、ノルマンディーのピショニエールに農場用の土地を買う。以後、ギャバンは農場の整備と運営に打ち込み、牛馬を飼い、周辺に土地を拡げていく。農場主としての労働と生活はギャバンが亡くなるまで続く。
9月、次女ヴァレリー誕生。
1953年
出演映画3本。適役に恵まれず。『ラインの処女号』でジル・グランジェ監督と初めて組む。
1954年
ジャック・ベッケル監督の『現金(げんなま)に手を出すな』に主演。初老のギャングに扮したギャバンの演技が高い評価を受け、作品も傑作となる。
『現金に手を出すな』で映画初出演のリノ・ヴァンチュラと
続いて、マルセル・カルネ監督の『われら巴里っ子』に主演。ギャバンはボクシングのトレーナー役で、アルレッティが女房役。
ギャバンは、この2作によってヴェネチア映画祭で最優秀男優賞を受け、以後、50歳代の大スター俳優として第二の全盛期を迎える。
11月、フランスへ帰ったジャン・ルノワール監督と旧交を暖め、大作『フレンチ・カンカン』に主演。ギャバン初のカラー映画出演で、パリの興行師でムーラン・ルージュの創設者の役。相手役は売り出し中の女優フランソワーズ・アルヌール。
1955年
4月、『フレンチ・カンカン』がフランスで公開され、大ヒット。
ギャバンへの出演依頼が増え、この年、次々に7本に出演。『ナポレオン』『その顔(つら)をかせ』『筋金(やき)を入れろ』『首輪のない犬』『地獄の高速道路(ハイウェイ)』、そして『ヘッドライト』『殺意の瞬間』。
9月、待望の長男マティアス誕生。
『ヘッドライト』で新進気鋭の監督アンリ・ヴェルヌイユと初めて組む。共演はフランソワーズ・アルヌール。(『ヘッドライト』は翌年2月にフランス公開。日本では10月に公開され、好評を得る)
11月、『殺意の瞬間』でデュヴィヴィエ監督と14年ぶりに組む。レストランのシェフ兼経営者の役。相手役はダニエル・ドロルム。(翌年2月に撮影完了、4月にフランス公開)
1956年
クロード・オータン=ララ監督の『パリ横断』でアナーキストの画家の役を演じる。共演は人気喜劇俳優の二人、ブールヴィルとルイ・ド・フュネス。この映画は、彼らの人気もあって、フランス国内で大ヒットする。(日本では未公開)
この年は、ほかに『逆上』(ジル・グランジエ監督)とジャン・ポール・シャノワ監督の『罪と罰』『ローラン医師の患者』に出演。
1957年
『殺人鬼に罠をかけろ』(ジャン・ドラノア監督)でメグレ警視を演じ、当たり役とする。(ギャバンのメグレ警視シリーズはほかに2本撮られる)
『レ・ミゼラブル』(ジャン=ポール・ル・シャノワ監督)でジャン・ヴァルジャンを演じる。映画は大ヒットする。(ギャバン主演作で戦後の興行成績トップとなる)
1958年
『可愛い悪魔』(クロード・オータン・ララ監督)で人気爆発中のブリジット・バルドーと共演。ただし、映画は凡作で興行成績も振るわず。ギャバンはこれを最後に女優とのラヴ・シーンを撮らなくなる。
『大家族』で若手監督ドニス・ド・ラ・パテリエールと組む。
1959年
出演映画3本。
『浮浪者アルシメード』(ジル・グランジエ監督)はギャバンの原案を映画化したもので、クレジットタイトルに初めて本名のジャン・モンコルジェを使う。ギャバンは主人公の浮浪者(タイトルのアルシメードはアルキメデスのこと)を意欲満々に演じ、映画も大ヒットとなる。日本では未公開。
1960年~61年
年間の出演作を2本に絞る。
家族全員と
1962年
『冬の猿』(アンリ・ヴェルヌイユ監督)で若手スターのジャン=ポール・ベルモンドと初共演。ベルモンドとはすぐに意気投合し、共にスポーツを楽しんだりする。しかし映画は、新旧の両雄並び立たずで不本意な出来となり、興行成績は予想を大きく下回る。
『冬の猿』撮影中 ベルモンド、ヴェルヌイユ(中央)たちと
1963年
同じくアンリ・ヴェルヌイユ監督の『地下室のメロディ』で今度はもう一人の若手スターのアラン・ドロンと初共演。老ギャング役のギャバンが途中からドロンの脇役に回る展開のため、ギャバンはこの作品が気に入らなかったが、世界的にヒットする。フランス本国よりも日本での興行成績が圧倒的に良かった。以後ずっとアラン・ドロンはギャバンを父親のように慕い、ギャバンもドロンを可愛がった。二人の共演作はのちに2本(『シシリアン』『暗黒街の二人』)作られ、ヒットする。
『地下室のメロディ』 ドロンと
1952年
『愛情の瞬間』(ジャン・ドラノア監督)でミシェール・モルガンと夫婦役を演じる。モルガンが主役で、ギャバンは医師の役で準主役。妻のモルガンが青年画家のダニエル・ジェランと不倫するストーリーで、映画の出来ばえは良く、高い評価を受ける。監督のドラノアとも初めて組んだ作品だった。
7月、ノルマンディーのピショニエールに農場用の土地を買う。以後、ギャバンは農場の整備と運営に打ち込み、牛馬を飼い、周辺に土地を拡げていく。農場主としての労働と生活はギャバンが亡くなるまで続く。
9月、次女ヴァレリー誕生。
1953年
出演映画3本。適役に恵まれず。『ラインの処女号』でジル・グランジェ監督と初めて組む。
1954年
ジャック・ベッケル監督の『現金(げんなま)に手を出すな』に主演。初老のギャングに扮したギャバンの演技が高い評価を受け、作品も傑作となる。
『現金に手を出すな』で映画初出演のリノ・ヴァンチュラと
続いて、マルセル・カルネ監督の『われら巴里っ子』に主演。ギャバンはボクシングのトレーナー役で、アルレッティが女房役。
ギャバンは、この2作によってヴェネチア映画祭で最優秀男優賞を受け、以後、50歳代の大スター俳優として第二の全盛期を迎える。
11月、フランスへ帰ったジャン・ルノワール監督と旧交を暖め、大作『フレンチ・カンカン』に主演。ギャバン初のカラー映画出演で、パリの興行師でムーラン・ルージュの創設者の役。相手役は売り出し中の女優フランソワーズ・アルヌール。
1955年
4月、『フレンチ・カンカン』がフランスで公開され、大ヒット。
ギャバンへの出演依頼が増え、この年、次々に7本に出演。『ナポレオン』『その顔(つら)をかせ』『筋金(やき)を入れろ』『首輪のない犬』『地獄の高速道路(ハイウェイ)』、そして『ヘッドライト』『殺意の瞬間』。
9月、待望の長男マティアス誕生。
『ヘッドライト』で新進気鋭の監督アンリ・ヴェルヌイユと初めて組む。共演はフランソワーズ・アルヌール。(『ヘッドライト』は翌年2月にフランス公開。日本では10月に公開され、好評を得る)
11月、『殺意の瞬間』でデュヴィヴィエ監督と14年ぶりに組む。レストランのシェフ兼経営者の役。相手役はダニエル・ドロルム。(翌年2月に撮影完了、4月にフランス公開)
1956年
クロード・オータン=ララ監督の『パリ横断』でアナーキストの画家の役を演じる。共演は人気喜劇俳優の二人、ブールヴィルとルイ・ド・フュネス。この映画は、彼らの人気もあって、フランス国内で大ヒットする。(日本では未公開)
この年は、ほかに『逆上』(ジル・グランジエ監督)とジャン・ポール・シャノワ監督の『罪と罰』『ローラン医師の患者』に出演。
1957年
『殺人鬼に罠をかけろ』(ジャン・ドラノア監督)でメグレ警視を演じ、当たり役とする。(ギャバンのメグレ警視シリーズはほかに2本撮られる)
『レ・ミゼラブル』(ジャン=ポール・ル・シャノワ監督)でジャン・ヴァルジャンを演じる。映画は大ヒットする。(ギャバン主演作で戦後の興行成績トップとなる)
1958年
『可愛い悪魔』(クロード・オータン・ララ監督)で人気爆発中のブリジット・バルドーと共演。ただし、映画は凡作で興行成績も振るわず。ギャバンはこれを最後に女優とのラヴ・シーンを撮らなくなる。
『大家族』で若手監督ドニス・ド・ラ・パテリエールと組む。
1959年
出演映画3本。
『浮浪者アルシメード』(ジル・グランジエ監督)はギャバンの原案を映画化したもので、クレジットタイトルに初めて本名のジャン・モンコルジェを使う。ギャバンは主人公の浮浪者(タイトルのアルシメードはアルキメデスのこと)を意欲満々に演じ、映画も大ヒットとなる。日本では未公開。
1960年~61年
年間の出演作を2本に絞る。
家族全員と
1962年
『冬の猿』(アンリ・ヴェルヌイユ監督)で若手スターのジャン=ポール・ベルモンドと初共演。ベルモンドとはすぐに意気投合し、共にスポーツを楽しんだりする。しかし映画は、新旧の両雄並び立たずで不本意な出来となり、興行成績は予想を大きく下回る。
『冬の猿』撮影中 ベルモンド、ヴェルヌイユ(中央)たちと
1963年
同じくアンリ・ヴェルヌイユ監督の『地下室のメロディ』で今度はもう一人の若手スターのアラン・ドロンと初共演。老ギャング役のギャバンが途中からドロンの脇役に回る展開のため、ギャバンはこの作品が気に入らなかったが、世界的にヒットする。フランス本国よりも日本での興行成績が圧倒的に良かった。以後ずっとアラン・ドロンはギャバンを父親のように慕い、ギャバンもドロンを可愛がった。二人の共演作はのちに2本(『シシリアン』『暗黒街の二人』)作られ、ヒットする。
『地下室のメロディ』 ドロンと