阪神淡路大震災
未曽有の大災害として、またリアルタイムで見る事になった悲惨な出来事として、最初に僕の記憶の中に刻まれた大災害でした。
あれから、26年が過ぎてしまいました。
実は、この震災をお店でお客様と話すにあたり、
「僕はあの時、万座温泉にいたんですよ」
と言っていました。
ところが…
息子は今年27歳
僕の記憶の中で、その万座温泉旅行時のメンバーは
親父・お袋・女房・長女・僕
の5人で、女房のお腹の中には長男がいて、僕と長女でスキーをしたという記憶がハッキリと残っています。
お客様にも、その話をしていました。
ところが…
阪神淡路大震災から26年
息子の歳は今年で27歳
えっ…?
合わない…
どういう事…?
どうやら、僕の記憶が混濁していたようです…
当時、ダイエー市川店は、一年に一度、連休を取り、社員旅行をしていたようです。
阪神淡路大震災の時も、野沢温泉(だったと思う)にスキー旅行に行っていたそうです。
ところが、この一報を受け、野沢温泉スキーから、市川にトンボ返りをして、急遽お店を開けたそうです。(僕の記憶が正しければの話)
僕の記憶の中では、万座温泉プリンスホテルの部屋で、テレビを見たら…
「神戸で大地震」
のテロップと共に、高速道路が落ちてしまっている映像が流れていた。
というものでしたが、どうやら見た場所は自宅だったようです…
しかしながら、テレビのスイッチを入れた時、テロップが出てない状態で、高速道路が落ちている映像を見て、
「おっ、ゴジラの新作が発表かな…?」
と呑気なことを思った記憶は鮮明に覚えています。
すぐにテロップが入り、
「えっ? マジかよ? ちょっと本当なのか…?」
と思った事も鮮明に覚えています。
当時、従業員の中に神戸出身の方がいたので、すぐに連絡して
「お店は僕が出るから、神戸に行って下さい」
と言いました。
ところが、
「神戸に電話しても通じない…行きたくても、行ける状態じゃないし、行っても何も出来ないから、今日はそのまま出勤します」
との返事…
経験した事がなかったので、震災後の現地がどのような状態なのか、交通機関はどうなっているのか、車でなら現地に入れるのか…
とにかく、何も判らないまま、当人を神戸に行かせてあげたいとの一心でした。
今考えると、新幹線は不通、高速道路も一般道も通行止め状態、港も使用不可…
つまりは、他地域から神戸に入ることは不可能であり、また入れたとしても、その惨状を目の前にして、ただ何も出来ずに狼狽えるのが精一杯…
救助活動の邪魔にしかならなかったでしょう…
当時、自分は平和ボケなどしていないと、自然を相手に遊んでいる自分は、他の人より緊急時の知識があると自惚れていました…
それは、自分の平和ボケを痛感する、自分の知識を遥かに超えた災害だったのです。
その後、東北一帯を襲った、「東日本大震災」がありました。
その時、「動かない勇気」を思い知らされました。
僕が子供の頃から言われている
関東大震災
東海沖地震
富士山噴火
本当にいつ起きても不思議はないし、起きれば大災害になる事は周知の事と思います。
最近では大雨や台風災害も、規模が大きくなっているような気がします。
僕の住んでいる千葉県は、一昨年の台風災害が記憶に新たしく刻まれています。
関東大震災から、奥尻、釧路、新潟、熊本、もちろん、阪神淡路、東北…
僕の記憶では、鳥取でも大きな地震があったと思います。
現在、国内ではコロナ感染が広がり、多くの国民が、直接的に、又は間接的に被害を受けています。
一つの災害と言っても過言ではないように思います。
災害を乗り越えてきたのは、政府でもなく、地方自治体でもなく、直面した人々の力だと思います。
もちろん、政府や自治体も支援してくれていたと思いますが、乗り越えるのに一番必要だったのは、被災者の方々の力だと思います。
コロナ感染を乗り越えるのも、政府や自治体の力ではなく、国民の力だと思います。
感染を抑えるのも国民であり、経済を支えるのも国民の力だと思います。
通常の生活を送りながら(経済を支えながら)、細心の注意をはらって(感染予防)生活する。
マスク・手洗いはもちろんの事、食事の時の会話は控える等、個人がしっかりと注意すれば、経済は支えられると思います。
本当は、これが昨日上げるつもりの記事でした。
思わぬところから、ネタが入ってきてしまったので、書くのをやめましたが、やはり「覚えておかなければいけない記憶」として、今日上げさせていただきました。
未曽有の大災害として、またリアルタイムで見る事になった悲惨な出来事として、最初に僕の記憶の中に刻まれた大災害でした。
あれから、26年が過ぎてしまいました。
実は、この震災をお店でお客様と話すにあたり、
「僕はあの時、万座温泉にいたんですよ」
と言っていました。
ところが…
息子は今年27歳
僕の記憶の中で、その万座温泉旅行時のメンバーは
親父・お袋・女房・長女・僕
の5人で、女房のお腹の中には長男がいて、僕と長女でスキーをしたという記憶がハッキリと残っています。
お客様にも、その話をしていました。
ところが…
阪神淡路大震災から26年
息子の歳は今年で27歳
えっ…?
合わない…
どういう事…?
どうやら、僕の記憶が混濁していたようです…
当時、ダイエー市川店は、一年に一度、連休を取り、社員旅行をしていたようです。
阪神淡路大震災の時も、野沢温泉(だったと思う)にスキー旅行に行っていたそうです。
ところが、この一報を受け、野沢温泉スキーから、市川にトンボ返りをして、急遽お店を開けたそうです。(僕の記憶が正しければの話)
僕の記憶の中では、万座温泉プリンスホテルの部屋で、テレビを見たら…
「神戸で大地震」
のテロップと共に、高速道路が落ちてしまっている映像が流れていた。
というものでしたが、どうやら見た場所は自宅だったようです…
しかしながら、テレビのスイッチを入れた時、テロップが出てない状態で、高速道路が落ちている映像を見て、
「おっ、ゴジラの新作が発表かな…?」
と呑気なことを思った記憶は鮮明に覚えています。
すぐにテロップが入り、
「えっ? マジかよ? ちょっと本当なのか…?」
と思った事も鮮明に覚えています。
当時、従業員の中に神戸出身の方がいたので、すぐに連絡して
「お店は僕が出るから、神戸に行って下さい」
と言いました。
ところが、
「神戸に電話しても通じない…行きたくても、行ける状態じゃないし、行っても何も出来ないから、今日はそのまま出勤します」
との返事…
経験した事がなかったので、震災後の現地がどのような状態なのか、交通機関はどうなっているのか、車でなら現地に入れるのか…
とにかく、何も判らないまま、当人を神戸に行かせてあげたいとの一心でした。
今考えると、新幹線は不通、高速道路も一般道も通行止め状態、港も使用不可…
つまりは、他地域から神戸に入ることは不可能であり、また入れたとしても、その惨状を目の前にして、ただ何も出来ずに狼狽えるのが精一杯…
救助活動の邪魔にしかならなかったでしょう…
当時、自分は平和ボケなどしていないと、自然を相手に遊んでいる自分は、他の人より緊急時の知識があると自惚れていました…
それは、自分の平和ボケを痛感する、自分の知識を遥かに超えた災害だったのです。
その後、東北一帯を襲った、「東日本大震災」がありました。
その時、「動かない勇気」を思い知らされました。
僕が子供の頃から言われている
関東大震災
東海沖地震
富士山噴火
本当にいつ起きても不思議はないし、起きれば大災害になる事は周知の事と思います。
最近では大雨や台風災害も、規模が大きくなっているような気がします。
僕の住んでいる千葉県は、一昨年の台風災害が記憶に新たしく刻まれています。
関東大震災から、奥尻、釧路、新潟、熊本、もちろん、阪神淡路、東北…
僕の記憶では、鳥取でも大きな地震があったと思います。
現在、国内ではコロナ感染が広がり、多くの国民が、直接的に、又は間接的に被害を受けています。
一つの災害と言っても過言ではないように思います。
災害を乗り越えてきたのは、政府でもなく、地方自治体でもなく、直面した人々の力だと思います。
もちろん、政府や自治体も支援してくれていたと思いますが、乗り越えるのに一番必要だったのは、被災者の方々の力だと思います。
コロナ感染を乗り越えるのも、政府や自治体の力ではなく、国民の力だと思います。
感染を抑えるのも国民であり、経済を支えるのも国民の力だと思います。
通常の生活を送りながら(経済を支えながら)、細心の注意をはらって(感染予防)生活する。
マスク・手洗いはもちろんの事、食事の時の会話は控える等、個人がしっかりと注意すれば、経済は支えられると思います。
本当は、これが昨日上げるつもりの記事でした。
思わぬところから、ネタが入ってきてしまったので、書くのをやめましたが、やはり「覚えておかなければいけない記憶」として、今日上げさせていただきました。
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