指揮の思い出
高校の音楽教員になった時、吹奏楽の顧問になった。
ということは、合奏の指揮をするということである。
中学校で、田舎の小さなバンドでアルト・ホルンという中音の内声部を演奏することが多く、
あまり面白くなくて、メロディが吹きたくなってトランペットを親にねだって買ってもらった。
京都三条の十字屋という有名な楽器店で金色のを買った。直後に、学校からの帰路で転んで
左腕の骨を2本骨折するという大事故が起きた。救急車で第二日赤病院へ入院し、手術して
もらった。腕にギブスをはめてもらって、病院の屋上でトランペットを吹いた。腕の痛み
以外は元気だったので、同室の患者さんと毎日の様に、こっそり出前のご飯を注文してたべた。
祇園のお店から届いた鰻丼の美味しさは、いまでも味の記憶に残っている。
さて、合奏の指揮をすることになって、はたと困った。大学での専攻は声楽だったし、
指揮はしたことがなっかった。ただ、大学入学前に楽理の勉強をしていたので、音楽の
構造を演奏で表現することにはいたって興味があった。ただ、合奏の練習(リハーサルテクニック)や
演奏表現と指揮動作の関連性には分からないことが多かったが、高校生相手に吹奏楽曲やポップスを
指揮していた。その頃の演奏録音を聞き返すと、恥ずかしくて聴いていられないものである。
そこで、指揮法なるものを学ぼうと画策した。学校に大阪フィルの定期演奏会の招待券が
毎回届いていた。それをもって、大フィルの演奏会を聴くべく中之島のフェスティバル・ホールへ
学校からの帰りによく行った。オーケストラの演奏は、ホールの響きもあって、私の耳に心地よく
響いた。朝比奈先生やスイトナーの指揮を聴いて、サインをもらった。武満徹には彼の曲が演奏される
演奏会では、何度もお目にかかった。そんな指揮者のお一人に手塚 幸紀先生がおられた。
Piano コンチェルトなどの合わせ物がお得意のようだった。何度かの演奏会の後、楽屋にお邪魔して
高校の吹奏楽を指導しているが指揮法なるものがわからないので教えてほしいとお伝えした。
すると、「リハーサルを見に来たらいいですよ!」とおっしゃるので、扇町プールの地下にあった
やや古めかしい造りの大フィルの練習場へ何度か通って、リハーサルを見学した。また、
年末の第九の演奏会の指揮のために帰国した小沢征爾先生のリハーサルが豊中であると聞きつけ、
曲石の片隅で拝見したことがある。全身が音楽に乗っ取られた様に動き、言葉よりも指揮が雄弁に
音楽の月裏方を語っていた。心が震えて、涙が出た。
その後、兵庫教育大学大学院で保科 洋先生のゼミに入り、演奏解釈の研究をした。楽譜と演奏の
関係性や指揮法の科学的な理論を学んだ。この時の経験は、その後の音楽の聴取や考え方、演奏法に
強く反映している。独りよがりにならず、理論的に優れた演奏とはどのようなものであるかが、
ようやく分かったと思った。
このようにして、指揮法を学んだが、それは音楽だけでなく、人生を生きる時の大きな指針になっている
ように思える。困難に出会った時は、難しいスコアを読みこなす様に、冷静な意識で最善の方法を見つける
ことを学んだ。
他にも何人かの先生に音楽を教えてもらったが、どの先生からも素敵な人生の生き方を学んだ様に思う。
古い録音を探していたら、30年以上前に大阪のミュージアムスクエアでアムジー室内オーケストラの定期演奏会
の指揮をしたものが出てきた。バルトークのルーマニア舞曲とブリテンのシンプルシンフォニーである。
拙い演奏ではあるが、今聞き返しても なかなか味わいのある演奏ができている。
楽譜を持って、京都の古い寺院の庭園に行き、庭の美しさを味わいながら、このような美しさを音楽で
表現するにはどのように演奏するべきなのか、頭の中で繰り返し楽譜を演奏した。
今後の音楽活動の基盤となってくれます様に!と願って、感謝の気持ちでペンを置きます。
高校の音楽教員になった時、吹奏楽の顧問になった。
ということは、合奏の指揮をするということである。
中学校で、田舎の小さなバンドでアルト・ホルンという中音の内声部を演奏することが多く、
あまり面白くなくて、メロディが吹きたくなってトランペットを親にねだって買ってもらった。
京都三条の十字屋という有名な楽器店で金色のを買った。直後に、学校からの帰路で転んで
左腕の骨を2本骨折するという大事故が起きた。救急車で第二日赤病院へ入院し、手術して
もらった。腕にギブスをはめてもらって、病院の屋上でトランペットを吹いた。腕の痛み
以外は元気だったので、同室の患者さんと毎日の様に、こっそり出前のご飯を注文してたべた。
祇園のお店から届いた鰻丼の美味しさは、いまでも味の記憶に残っている。
さて、合奏の指揮をすることになって、はたと困った。大学での専攻は声楽だったし、
指揮はしたことがなっかった。ただ、大学入学前に楽理の勉強をしていたので、音楽の
構造を演奏で表現することにはいたって興味があった。ただ、合奏の練習(リハーサルテクニック)や
演奏表現と指揮動作の関連性には分からないことが多かったが、高校生相手に吹奏楽曲やポップスを
指揮していた。その頃の演奏録音を聞き返すと、恥ずかしくて聴いていられないものである。
そこで、指揮法なるものを学ぼうと画策した。学校に大阪フィルの定期演奏会の招待券が
毎回届いていた。それをもって、大フィルの演奏会を聴くべく中之島のフェスティバル・ホールへ
学校からの帰りによく行った。オーケストラの演奏は、ホールの響きもあって、私の耳に心地よく
響いた。朝比奈先生やスイトナーの指揮を聴いて、サインをもらった。武満徹には彼の曲が演奏される
演奏会では、何度もお目にかかった。そんな指揮者のお一人に手塚 幸紀先生がおられた。
Piano コンチェルトなどの合わせ物がお得意のようだった。何度かの演奏会の後、楽屋にお邪魔して
高校の吹奏楽を指導しているが指揮法なるものがわからないので教えてほしいとお伝えした。
すると、「リハーサルを見に来たらいいですよ!」とおっしゃるので、扇町プールの地下にあった
やや古めかしい造りの大フィルの練習場へ何度か通って、リハーサルを見学した。また、
年末の第九の演奏会の指揮のために帰国した小沢征爾先生のリハーサルが豊中であると聞きつけ、
曲石の片隅で拝見したことがある。全身が音楽に乗っ取られた様に動き、言葉よりも指揮が雄弁に
音楽の月裏方を語っていた。心が震えて、涙が出た。
その後、兵庫教育大学大学院で保科 洋先生のゼミに入り、演奏解釈の研究をした。楽譜と演奏の
関係性や指揮法の科学的な理論を学んだ。この時の経験は、その後の音楽の聴取や考え方、演奏法に
強く反映している。独りよがりにならず、理論的に優れた演奏とはどのようなものであるかが、
ようやく分かったと思った。
このようにして、指揮法を学んだが、それは音楽だけでなく、人生を生きる時の大きな指針になっている
ように思える。困難に出会った時は、難しいスコアを読みこなす様に、冷静な意識で最善の方法を見つける
ことを学んだ。
他にも何人かの先生に音楽を教えてもらったが、どの先生からも素敵な人生の生き方を学んだ様に思う。
古い録音を探していたら、30年以上前に大阪のミュージアムスクエアでアムジー室内オーケストラの定期演奏会
の指揮をしたものが出てきた。バルトークのルーマニア舞曲とブリテンのシンプルシンフォニーである。
拙い演奏ではあるが、今聞き返しても なかなか味わいのある演奏ができている。
楽譜を持って、京都の古い寺院の庭園に行き、庭の美しさを味わいながら、このような美しさを音楽で
表現するにはどのように演奏するべきなのか、頭の中で繰り返し楽譜を演奏した。
今後の音楽活動の基盤となってくれます様に!と願って、感謝の気持ちでペンを置きます。