今日はなぜか4時30分頃から起きてしまいました。
主人も何を勘違いしたのか?ストーブに点火したり。
「まだ、30分以上寝れるよ!」と声をかけたが・・・・・もう寝られないから起きてしまった。
そうそう、「1/17」28年前の事。
今日は阪神淡路の震災があった日です。
私たちは関東に住んでいるのでうっかりしてしまうけれど、我が家にとっては東日本大震災と共に
記憶に残る。(また世にも恐ろしいサリン事件もこの28年前だ。)
なぜ?記憶に残るかというと・・・・
この時私は身重で、6月の出産を控えていました。多胎妊娠ということでこの時期にしては
おなかも大きくなり始めていたんですね。
主人は東京のとある公務員(赤い車に乗っていました)
いつものように出勤日で朝の早い時間でしたが起きて身支度していました。
5:46
いや、6時のニュースだったか異様な光景を テレビから映し出されていました。
「こわ~!燃えてるじゃん。なに?なに?」
テレビに近づいて言った記憶がよみがえります。
言葉はこれしか出てこなかった。
主人の出勤を見送る時、「派遣なんてあるのかな?されないといいね」と言葉を交わした。
その後・・・昼頃かな?
「神戸に行ってくる?」と連絡が入り、1週間は不在となった。(連絡も取れない状態。
そりゃ~そうだ!すべて燃えているし、携帯の充電さえできないもの)
神戸の三宮に 出向だったが、悲惨な惨状に帰宅すると表情は「うつのような」感じに。
東京から神戸までの距離も相当であるはず、がれきの中の移動だし
寒さと、食べものも無い中24時間×1週間は戦っていたようでした。
その後も、大きな災害がある度に「派遣される?」と気が落ち着かないことが多かったです。
その間の私は
実家は遠く、電話で毎日私を心配して様子を聞いてくる両親のおかげで、
身重ではあったがそんな中でも私とおなかの子たちは気丈に過ごせていました。感謝。
そんな年もやはり女の厄年真っただ中だったな!(あはは、昨日の内容のつづきみたい)
だから、忘れられないのですね。きっと!!
今はもう28年も経って
主人は3月で定年退職。
今では思いで話になってきましたが・・・・人生の中で1番の自慢かもしれませんが
1番の悲惨さを垣間見たのかもしれません。ご苦労様。
3月は、それからもいろんな事件や災害が多いですね。
「3.11東日本大震災」も
この時は、主人の実家も私の実家も該当するため、生きた心地がしませんでした。
連絡がつかない歯がゆさや、関東といえど物流やらライフラインの麻痺。
どうしようもなかったですよね。
この年は子供たちは15歳で中学の卒業の頃でした。余震の続く中4日後“卒業式”を行った記憶があります。
今では回顧録かもしれませんが、私たちは28年前もまた3月も忘れません。