シードン23

クモ、コウモリ、ネズミ……我が家の居候たち。こっちがお邪魔か? うるさい! いま本読んでるんだから静かに!

宇宙のかけら

2021-08-06 16:20:45 | 日記
 ワクチン騒ぎの中、久しぶりに電車に乗った。
 図書館に向かっていた。10時過ぎの車両は、ちょうど席が埋まるぐらい、若い人が多い。返す本のまだ読んでいないとこを読んでいた。

 馬と話ができるという女の子に付き合ってビッコの馬のところにみんなで行った話。戦時中の田舎でのこと、多くの馬はとうに徴用されてしまったが、その馬は足が不自由なため残されていた。村の子たちと疎開してきている町の子たちが揃って、「馬と話なんかできるはずない」と付いてきた。その馬を厩うまやから引いてきた太郎だけは、その言葉を半ば信じていた。

 ふと目を挙げると、向かい側にはマスクをした7人の若者が座っていた。女4人、男3人。全員がスマホを操作している。左右を見てみる。やはりマスク前のマイクが来そうな位置にスマホを構えている。前かがみになって車両の左右奥まで見渡すと、ほとんどの人がマスクにスマホ。覗き込むように観察する私に反応を示す人はいない。本や新聞を手にしている人もいない。
 異星人に囲まれているような気分になった。私だけ別の星に来てしまった! タイムマシンを操作した覚えはないのに……。

 馬の耳元で囁く女の子の間近にいた太郎は別だったが、遠巻きにしていた他の子たちには「やっぱり嘘だった!」のさざ波が広がり、大波となって女の子を襲った。反証人たるべき太郎だったが、黙ってうつむいていた。女の子は言い返すこともなく、走り出した馬と共に空襲の町へと去って行った……。

 電車で私は、時計を出して時間を確認したが、すぐにバッグのポケットにしまった。馬とも話のできるはずの私に、誰も関心を示さない。みなそれぞれのスマホの透明カプセルの内。
 T駅で降りて、まっすぐ図書館に向かった。前の小さな公園では、木陰に広げたシートの上で保育園児たちがお茶の時間を楽しんでいる。何か叫ぶように語りかける子がいたが、私には意味がわからなかった。私の笑顔も伝わった手応えがない。(きっとマスクのせいだ)

 書庫から出してもらった「霙みぞれの降る…」という本を借りようとすると、館員は「貸出なら列に並んで手続きをしてください」と長い列を差す。
 「機械ではできないんですか?」
 「列にお並びください」
 仕方ない。中央館とは違うが、ここではそういう流儀なのだろう。だが、だとすると貸出手続き用の機械は何のためにあるのか?
 そういえば、この図書館では、開架棚のではなく、書庫にある本を借りようとする人が多い。古い本が人気ということだ。私の手にしたのも40年以上前のもの。スマホの人はここにはいない。それでも、馬の話の分かる私に興味をもつ人はいそうもない。

 本を読むとホッとする。死病の疑いの晴れた日のように世界が輝いて見えてくる。だが、その話し手は、あの女の子のようにすでにあちら側へ……肉体的に、もしくは思想的に。

 ロボット風たちに囲まれて、ひとり娑婆をうろつく私は、口つぐんだまま、静かに哀しみを湛たたえた人をここで見送るしかないのか? 今も寄せ来る波紋に揺らいでいるというのに——それとも私も見送られる側なのか……。
 地球人史上初のmRNAワクチン、長い目で見たときの影響は誰にもわかっていない。

 
* 参考…今江祥智「あのこ」(1966);兵頭正俊「霙の降る情景」(1969)

よかったこと

2016-09-13 13:23:35 | 日記
ゴキブリハンター

 このところゴキブリの目撃情報が相次ぐ我が家なのだが、昨日椅子に座って本を読んでいると、私の右足を何かがすごい速さで駆け上ってきた。虫が走る感触に驚いて本をどけてみると、ソイツは、視界の右隅をサッとかすめて脇の家具の方へと消えた。影しか見えなかったので何者か判然としなかったが、「ゴキブリ」と直感。——だが、ちょっとおかしい点もあった。まず第一にはそれが日中だったことだ。ゴキブリに足を登って来られた経験もあるが、それは夜中のこと、彼らが明るい時間帯に活発に動き回るのはあまり見ない。それに私の足で受け止めた感触がゴキブリよりも軽い印象だった。スピードも速かった。姿を確認しようとした時にはもういなかった。私が視界の隅で捉えたのは丸いボンヤリした薄茶色の影だけだった。
 少し経って犯人が発覚した。ソイツが壁にいたからだ。
 大型のクモだった。ネットで調べてみたところ、どうやらソイツはアシダカグモ。ゴキブリが好物の、益虫。人間に害は及ぼさない。
 そうか、ゴキブリハンターが登場するくらい我が家ではゴキブリが繁殖しているのだ。(ちょっと不気味) だが、コイツがいればゴキブリがいなくなるまで狩りをしてくれるそうだから、心強い。
 しばらく仲良く一緒に暮らそうゼ! 
 
ゲンパツハンター

 先月下旬のことだ。
 「日刊ゲンダイ」のHPを見ていると「安倍デタラメ原発政策を一刀両断 NHK番組の波紋広がる」という見出しが飛び込んできた。
 8月26日(金)深夜、討論番組「解説スタジアム」で、NHKの解説委員たちが、「どこに向かう日本の原子力政策」というタイトルで1時間にわたって議論したのだが、そこでは日本の原発政策のデタラメと行き詰まりが次々に告発されていたというのだ。
 NHKが正面切って原発政策を批判した番組と受け止められていた。今までも水野解説委員は、俵万智の短歌(※1)にも読まれたように、NHKにあっては異色とも言える原発批判の視点に立った論評を行なっていた。だが、今回は違う。その水野解説委員(原発担当)はスーパーバイザー的な立場からコメントを述べるようにして、西川解説委員長が司会を務め、関連分野の5人の解説委員がそれぞれの立場から原発政策批判を展開するというスタイルのようだった。
 ネットで探して私も見てみた。
 著作権法上は問題あるサイトだったかもしれないが、見ることができた。有料(1番組216円)だが「NHKオンデマンド」で今も見ることができる。(「解説スタジアム」または「どこに向かう」で検索するとヒットする) また、9/6現在まだ進行中だが、その番組の「文字起こしサイト」も登場している。(※2)
 NHKの中でも、特にその「頭脳」というべき解説委員たちが、籾井会長や安倍政権べったりではないということを証明して見せたわけで、NHKへの失望が広がってきている中、意義は大きい。しかも問題大有りの原発政策に堂々と噛みついて見せたわけだから、3・11の反省もそこそこに原発再稼働を進めたい政府や電力会社にとっては痛手だろう。
 NHKに良心が残っていることを感じさせてくれて嬉しい。残念だったのは、この良心的な番組が視聴率としては低い、深夜(11:55〜)だったことだろう。もっと前面に出てきてほしいものだ。
 これをきっかけにNHKが原発批判を強め(それは世論と合致する!)、再稼働への流れが止まってくれることを期待したい。


※1 「簡単に安心させてくれぬゆえ水野解説委員信じる」(俵万智;『歌壇』2011.9月号)
※2 http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4682.html

 
ゴチソウハンター

 何ヶ月ぶりだろうか、91歳自宅酸素療法中の父親がシニアカーで外出した。
 きっかけはシニアカーの入れ替えだった。
 前のシニアカーは、外出用の酸素ボンベを積む場所がなかった。だから、出かける時は、誰かが酸素ボンベを引きずってシニアカーの後ろから付いていくか、父親が自分の膝の上にボンベを載せるかしかなかった。どちらも簡単なことではない。第一ボンベを膝に乗せての運転は危険だ。誰か一人付いていかねばならないのなら、自家用車に乗せて行った方が簡単だ。シニアカーの意味はない。
 今度のは、酸素ボンベをキャリアーごと後ろに引っ掛けるようにして乗せられる器具を付けたものにしてもらった。警察への届けが必要だし、レンタル料は少し高くなるが、介護保険適用なので大したことはない。
 シニアカーの置いてある車庫まで行きさえすれば(実はこれも大変!)、あとは自力で外出できる!
 一人で好きなところに行くことができるというのは実に人間的な喜びである。「自由」というヤツだ。
 その久しぶりの外出で、父は近くの公園に行ってみたところ、そこで出し物を展開していた人からビタミンドリンクをタダでもらった。それを飲んだところ、あら不思議、身体の奥の方から力が湧いてくる感じがしたのだそうだ。その帰り、コンビニでハーゲンダッツを買って帰ってきた。
 私は普段脂肪分を考えて安物のアイスキャンデーしか買ってないのだが、それでは物足りなかったのだだろう。嬉しそうに帰ってきて、その日行っていた私の連れ合いと一緒に食べたのだそうだ。
 よかった。これぞ生きる喜び!