ワクチン騒ぎの中、久しぶりに電車に乗った。
図書館に向かっていた。10時過ぎの車両は、ちょうど席が埋まるぐらい、若い人が多い。返す本のまだ読んでいないとこを読んでいた。
馬と話ができるという女の子に付き合ってビッコの馬のところにみんなで行った話。戦時中の田舎でのこと、多くの馬はとうに徴用されてしまったが、その馬は足が不自由なため残されていた。村の子たちと疎開してきている町の子たちが揃って、「馬と話なんかできるはずない」と付いてきた。その馬を厩うまやから引いてきた太郎だけは、その言葉を半ば信じていた。
ふと目を挙げると、向かい側にはマスクをした7人の若者が座っていた。女4人、男3人。全員がスマホを操作している。左右を見てみる。やはりマスク前のマイクが来そうな位置にスマホを構えている。前かがみになって車両の左右奥まで見渡すと、ほとんどの人がマスクにスマホ。覗き込むように観察する私に反応を示す人はいない。本や新聞を手にしている人もいない。
異星人に囲まれているような気分になった。私だけ別の星に来てしまった! タイムマシンを操作した覚えはないのに……。
馬の耳元で囁く女の子の間近にいた太郎は別だったが、遠巻きにしていた他の子たちには「やっぱり嘘だった!」のさざ波が広がり、大波となって女の子を襲った。反証人たるべき太郎だったが、黙ってうつむいていた。女の子は言い返すこともなく、走り出した馬と共に空襲の町へと去って行った……。
電車で私は、時計を出して時間を確認したが、すぐにバッグのポケットにしまった。馬とも話のできるはずの私に、誰も関心を示さない。みなそれぞれのスマホの透明カプセルの内。
T駅で降りて、まっすぐ図書館に向かった。前の小さな公園では、木陰に広げたシートの上で保育園児たちがお茶の時間を楽しんでいる。何か叫ぶように語りかける子がいたが、私には意味がわからなかった。私の笑顔も伝わった手応えがない。(きっとマスクのせいだ)
書庫から出してもらった「霙みぞれの降る…」という本を借りようとすると、館員は「貸出なら列に並んで手続きをしてください」と長い列を差す。
「機械ではできないんですか?」
「列にお並びください」
仕方ない。中央館とは違うが、ここではそういう流儀なのだろう。だが、だとすると貸出手続き用の機械は何のためにあるのか?
そういえば、この図書館では、開架棚のではなく、書庫にある本を借りようとする人が多い。古い本が人気ということだ。私の手にしたのも40年以上前のもの。スマホの人はここにはいない。それでも、馬の話の分かる私に興味をもつ人はいそうもない。
本を読むとホッとする。死病の疑いの晴れた日のように世界が輝いて見えてくる。だが、その話し手は、あの女の子のようにすでにあちら側へ……肉体的に、もしくは思想的に。
ロボット風たちに囲まれて、ひとり娑婆をうろつく私は、口つぐんだまま、静かに哀しみを湛たたえた人をここで見送るしかないのか? 今も寄せ来る波紋に揺らいでいるというのに——それとも私も見送られる側なのか……。
地球人史上初のmRNAワクチン、長い目で見たときの影響は誰にもわかっていない。
* 参考…今江祥智「あのこ」(1966);兵頭正俊「霙の降る情景」(1969)
図書館に向かっていた。10時過ぎの車両は、ちょうど席が埋まるぐらい、若い人が多い。返す本のまだ読んでいないとこを読んでいた。
馬と話ができるという女の子に付き合ってビッコの馬のところにみんなで行った話。戦時中の田舎でのこと、多くの馬はとうに徴用されてしまったが、その馬は足が不自由なため残されていた。村の子たちと疎開してきている町の子たちが揃って、「馬と話なんかできるはずない」と付いてきた。その馬を厩うまやから引いてきた太郎だけは、その言葉を半ば信じていた。
ふと目を挙げると、向かい側にはマスクをした7人の若者が座っていた。女4人、男3人。全員がスマホを操作している。左右を見てみる。やはりマスク前のマイクが来そうな位置にスマホを構えている。前かがみになって車両の左右奥まで見渡すと、ほとんどの人がマスクにスマホ。覗き込むように観察する私に反応を示す人はいない。本や新聞を手にしている人もいない。
異星人に囲まれているような気分になった。私だけ別の星に来てしまった! タイムマシンを操作した覚えはないのに……。
馬の耳元で囁く女の子の間近にいた太郎は別だったが、遠巻きにしていた他の子たちには「やっぱり嘘だった!」のさざ波が広がり、大波となって女の子を襲った。反証人たるべき太郎だったが、黙ってうつむいていた。女の子は言い返すこともなく、走り出した馬と共に空襲の町へと去って行った……。
電車で私は、時計を出して時間を確認したが、すぐにバッグのポケットにしまった。馬とも話のできるはずの私に、誰も関心を示さない。みなそれぞれのスマホの透明カプセルの内。
T駅で降りて、まっすぐ図書館に向かった。前の小さな公園では、木陰に広げたシートの上で保育園児たちがお茶の時間を楽しんでいる。何か叫ぶように語りかける子がいたが、私には意味がわからなかった。私の笑顔も伝わった手応えがない。(きっとマスクのせいだ)
書庫から出してもらった「霙みぞれの降る…」という本を借りようとすると、館員は「貸出なら列に並んで手続きをしてください」と長い列を差す。
「機械ではできないんですか?」
「列にお並びください」
仕方ない。中央館とは違うが、ここではそういう流儀なのだろう。だが、だとすると貸出手続き用の機械は何のためにあるのか?
そういえば、この図書館では、開架棚のではなく、書庫にある本を借りようとする人が多い。古い本が人気ということだ。私の手にしたのも40年以上前のもの。スマホの人はここにはいない。それでも、馬の話の分かる私に興味をもつ人はいそうもない。
本を読むとホッとする。死病の疑いの晴れた日のように世界が輝いて見えてくる。だが、その話し手は、あの女の子のようにすでにあちら側へ……肉体的に、もしくは思想的に。
ロボット風たちに囲まれて、ひとり娑婆をうろつく私は、口つぐんだまま、静かに哀しみを湛たたえた人をここで見送るしかないのか? 今も寄せ来る波紋に揺らいでいるというのに——それとも私も見送られる側なのか……。
地球人史上初のmRNAワクチン、長い目で見たときの影響は誰にもわかっていない。
* 参考…今江祥智「あのこ」(1966);兵頭正俊「霙の降る情景」(1969)
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