社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

2009年日本語きょうしつお花見会の開催その3(私の反省)

2009-04-17 07:47:39 | 日記

DSC06392.jpg2009年日本語きょうしつお花見会の開催その2(桜他)の続きと言うか私の反省事項である。写真のカップルが、当日参加された。奥さんは日本人で、ご主人はスペイン人の夫婦であり、仲良く、生まれたばかりの赤ちゃんと来て下された。

問題は、ご夫婦の会話は、何語かと言う事に尽きるのだが。つまり英語で会話されているとの事。将来を考え、当日の花見の翌週から専門の日本語きょうしつに通って日本語を学習されるとの事だった。当きょうしつでも、粘り強くかどうかは知らないが、奥様に言わせると、英語と日本語を交えて日本語を教えているそうである。

さて、ここまでは良かったのだが、そのスペイン人の方が私が当日撮影していたデジカメに興味を持たれ、私に話しかけてこられた。最初は片言の日本語で(と言うか殆ど日本語が喋れないが・・・)。結局デジカメの技術談義になるとメーカー名等の固有名刺や技術用語の話になり、殆ど英語で会話をしてしまった。

私が日本語きょうしつの講師をしていた時は、例え英語で話をしてもそれは、補完的要素であり、必ず日本語で何回も教えると言う事を行なっていたが、今回は、日本語きょうしつ主催とは言え、多少アルコールも入っており、準備等で疲れていた事もあり、その方と、結局殆ど全てを英語で話してしまった。

その方も同様に、カメラでの話が合う事と、英語で話が出来る事で、結局英語で私との会話に終始されてしまわれた。インドネシアの方の一部やフィリピンの方(学習者)は英語が話せるが、日本語の講師はとなると、英語が話せるのは、今では当家を含め数人しかいない。

当日家に帰って奥様に伝えると、怒られはしなかったが、やはりまずいと指摘を受けた。私自身も反省してしまう事になった。

つまり、当市の日本語きょうしつは直接教授法を採用しており、日本語を日本語で教える事を基本としている。最もこれが思った以上に難しいのだが、最も効果が出るのは確かである。補足的に外国語を使う事はあっても、日本語で教えるのが基本である。しかし、全くの日本語がはじめての方に対しては流石に当きょうしつでもかなり無理な事となるが・・・。

結局何を反省しているかと言うと、私がスペイン人の方と日本語で会話をするのが、結果的に面倒であり、英語で話をした方がラクだったからに他ならない。それはそのスペイン人の方も同様だったのかも知れない。私のブロークンイングリッシュでも、英語を話せる人と話す方が、気が楽だったに違いないし、話題も共通であったから、なおさらだったのだろう。日本語で日本語を教えるのはかなりのパワーがいるのは講師も学習者も同様である。

英語で話をしながら、日本語で必ず繰り返す手間を完全に当日省いてしまったのは、講師としては失格であるが、イベント対応で余裕がなかった為仕方がないと個人的には思っている。疲れる英語での会話より、日本後だけの会話で済むのがラクであるのは確かである。


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