お義母さんと、一緒に「ホテル阪神(福島)」へ一泊旅行に行った。ディナーは奥様が選んだイタリアレストランだった。久しぶりにお義母さんと夕食を共にした。
コース料理で、かなり多くの料理を頼んだ。イタリア料理とは言え(イタリア料理も同じかどうかは私は知らない)、中華料理と同じ形式で、一品をみんなで分ける(取り皿にとる)形だ。
個人に分けた取り皿が食べ終わるのを待つのではなく、元の料理の皿が空になった時点(と言うよりお店の料理の順番)で次が出てきた。
お義母さんは、奥様が取り分けた自分の皿を、あっという間に食べられて、次の料理が出てくると、自分で取って食べようとされる。自分の皿の料理もそんなに急いで食べる必要もないし、更に出て来た料理も奥様がすぐ取り分けてくれるのだが・・・。何回も、「ちょっと待って」と言うのを繰り返しても、笑って、反射的に手が動いてしまうようだ。
人生の中で、時間との戦いと言える早く食べる事(早食い)が自然となっており、止める事は難しい。
別に止める必要性はないが、答えだろう。そう自分のペースで食べられるのがベストと思うからだ。従って出て来た物を自分のスピードで食べる事が自然なのだろう。
と簡単に思えれば私も、何の問題もない。
しかしそこに、ウーン何で・・・。と思ってしまった。
私の理想は、料理と食べる時間によると言うのが結論だ。つまり食べやすい料理は早い。が食べにくい料理は遅い。つまり自分のペースでしか食べていない。この食べる事に外的要因はない。とかっこよく言えれば良いが、実は過去の経験で、営業上約束を守る為には、駅前のそばで短時間で済ますか昼飯を抜く等の事をしていた。しかし、営業を離れたら、割とのんびり食事をしていたと思う。つまり仕事で食事の時間が変わったと言う事になる。しかし、食事を味わいながら食べるのが本来だと思う。
私の周りの方に工場系の方がいらっしゃるが、限られた時間で食事をする方となる。もちろん営業系の方もそうだ。時間が重要な要素となる為だ。決められた時間が意味を持つからだが。
昭和(戦争)を生きてこられたお義母さん、その後の人生でこの様な環境は明らかに多くあったと思う。それが今の歳になっても(なったからこそかも知れないが)、無意識に束縛されている事に何とも言えない思いだ。ゆっくり時間を楽しんで食事をして貰いたかった。
しかしそれが、今の自然な生き方なら、それが一番楽しめる事なのだろう。まだ若い(若くはないが)私などの思いは、考えずに、お義母さんのペースで、したい事がベストなのだろう。あっという間に来た料理を食べてられても・・・。
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