社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

にほんご教室ペルーの学習者の方とお別れ会

2011-01-24 14:02:16 | 日本語教室ボランティア

先週金曜日の夕方、市のにほんご教室で、ペルーの方とのお別れ会が開催された。この方とはここ1年余り、イベントの度にお会いしており、良く知った中なので、会社から直行で参加した。そしてこの方への最後の講師を引き受けた。私が日本語講師をしたのはおそらく3年ぶりだと思うが、最初は辞退したのだが、殆ど強制的にさせられた。流石に戸惑ったが、最後に日本語を教える事ができてなによりだった。

このにほんご教室に関係していると、毎回思う事がある。そう決して深く学習者と付き合わないと言う事だ。決してプライベートには深く入らない事。これを奥様と私は10年以上守っている。にほんご教室では、にほんごを教えるだけでなく、実際はプライベートの相談に乗る事が多い。要は何でも相談所的な所も多い。だからこそいろんなイベントに、通常にほんご教室に来ない学習者の方が多く参加されている。これがおそらく近隣の市のにほんご教室との大きな違いだろう。大東市の日本語講師の方と以前話した時に、この様なイベントはないし、講師もお金を貰って教えている為、逆にドライだと話されていた。当市のにほんご教室の講師は、無報酬だし、多くの講師は、むしろ個人的な関わりを学習者と持っている方が多い。

つまり、以前掲載したインドネシアの学習者とも仕事を紹介したり(金銭的なヘルプ)、休みに家に招待されたり、したりされていた。もちろんインドネシアに帰国後もやり取りされている様だ。

基本的には、こう言う事には反対なのだが、にほんご教室以外でやっていれば、文句も言えない。何が反対かと言うと特定の国や学習者の方への差別となるからだ。しかし無償でやるからには、何らかの対価が必要な事も事実だ。それが国内にいながら、外国の若い人たちと付き合えると言うおばさま方(日本語講師)の要求を満たしているのだろう。

そう言う私とて、これをちゃんと最初からしてこれたかと言うと流石に疑問だ。どうしても、若い外国の女性の学習者となると当然だ。別に若い女性だけでもない。しかしこれまで多くの別れを経験している。深く関われば関わる程、別れがつらくなる。これの繰り返しだったからだ。

そして、今回のペルーの学習者。彼は日本に来て10年以上だが、たまたま、一昨年の年末のワクワクパーティに来てからの知り合いだ。最も私が最初に会ったのは、去年のにほんご教室のカラオケ(日本語教室の新年会?でも実際は送別会となりそう)だった。この時もお別れパーティだったが、それから一年でまたお別れとなる。

奥様がずっと彼のにほんごの講師をしていた事もあり、昨年のにほんご教室のイベントには殆ど全て参加していた。従って、公民館の館長も、この彼のお別れ会には気合を入れて取り仕切ってくださった。10年以上のにほんご教室のイベントでこの規模のお別れ会はおそらく初めてだろう。炊き込みご飯に五目寿司、彼の誕生祝いを兼ねた手作りケーキまで用意されていた。にほんご教室の講師の皆様と学習者の方には頭が下がる。みんなとっても義理がたい。最近特に感じる。おそらくこれは昨年からにほんご教室の代表の方が来られなくなった事で、各人が自由に責任感と意識を持ってされる様になった事がどうも大きい様だ。

DSC01250 DSC01263 左)公民館長の挨拶でパーティがスタート

右)講師や学習者が作ってきてくれた料理
DSC01276 DSC01300 ペルーのお誕生日会も兼ねていた為、ケーキの準備されていた(手作り)
DSC01305 DSC01307 良くもこんなに集まってくれたものだ。公民館の調理室を借りての開催だった。

最後はみんなで記念撮影。久しぶりに私も撮影して貰った。このにほんご教室も奥様のコーラス関係も撮影班の方が定番なのだが。
DSCF0376 DSCF0381 お別れのお土産(ペルーから取り寄せたのか、帰国した時に購入したのかわからないが)。
左は説明するまでもないだろ。ナスカの地上絵のキーホルダーだ(男性に渡していた)。右は珍しい指人形だ。おそらくコンドルだろう(女性向け)。

さて、深く関わりたくなかったが、また割と深くかかわってしまったペルーの学習者。最後のトラブルを奥さんが起こしてしまった。彼の持ってきたデジカメを椅子から落として壊してしまった。レンズが引っ込まなくなってしまい、その後パーティの写真を撮影する事ができなくなってしまった。奥様はすまなさそうな顔をしていたが、彼の方が恐縮して、気にしないで良いと言ってくれた。私は奥様に家のデジカメを一台渡そうかと言ったが、彼が気にしないで良いと言っているのでやめてと言われた。

パーティに参加した全員で写真撮影して、その場でA4サイズに印刷した写真を彼にお別れの色紙と一緒に渡した。彼は、誕生日のお祝いまでしてくれるとは思っていなかったらしく、殆ど涙状態だった。最後にこの時の為に用意して来たペルーのお土産を皆に配っていた。

ペルーに帰ったら結婚するらしい事、現地で日本の旅行会社に勤める事等を聞いた。みんなでマチュ・ピチュに行く話をしたが、いつ実現するのだろうか?

もう連絡はとれないのだろうか?仲のよいオーストラリアの学習者へメールするとの約束をしていた。どうも最近、学習者とにほんご教室の講師はfacebookでコミュニケーションを取られている様で、なかなか進んでいる。当家はそこまでフォローはしない。別れがあると同時に新しい出会いが始まるからだが・・・。

しかしそうは言ってもさびしい。

彼の最後の日本語教師となる私への最後の質問は『なぜ日本人はばかおくさんやばかよめ等と呼ぶのか?他の国では決してないと思うが。電車等でやつら等聞こえてくるがこれの意味は?』となかなか鋭い質問だった。最初の方はもちろん意味がわかるから質問したのであり、後者の方はどうも悪い意味らしいが、今まで聞くに聞けなかったらしい。一瞬なるほどと考え込んでしまった。確かにそうだ。むしろお歳な方ほどだが・・・。なかなかにほんご教室にくると日本の文化について考えさせられる。


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