社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

トップと部下の信頼関係とは(部下の言う事を聞く度量が必要)

2011-01-24 11:35:55 | 会社の仕事

当社では、一か月に一度、全支店の管理職や関係する社員を集めて会議を行っている。以前は月2回あったが、営業的な内容を切り離し、営業会議と全体会議の二つになった。私にとって営業会議への出席は、その依頼がある時のみなので、以前より大分楽になった。つまり月一回の会議に参加すれば良いと言う事だ。

この月一回の会議が、先週の金曜日に開催された。私は会議にでているだけの管理職を演じる事はできない。それぞれの発言する内容に対して、どうしても質問や異論があるし、私が関係した内容ならそれをフォローしたくなる。つまり当然質問もするし、アドバイスもするが・・・。

最近と言うか以前からかも知れないが、私のストレスを作る問題のあるレベルの方々がいる。これは親会社の当社の管理責任部門のトップや関連する管理職の方々かもしれないし、当社の管理職の方々かも知れない。特に組織のトップの方と言うのはある意味責任は重大と思う。

極論すれば、組織のトップがどう言う人間かそれに影響される。組織のトップとは孤独とは思うが、やはり最後は人間の器がそれを決めるとなろう。器がどのぐらいあるかだろうか?これが最大の課題だ?最も器が大きくても、頭、つまり脳みそがなければ何の意味もないかも知れない。

今回の話は、組織のトップが全てを、独断と偏見で決定する場合の話だ。つまり周りや部下の意見を聞かないトップの場合を言っている。もちろん決定しないトップは論外だ。これは時として、結果が良ければ『カリスマ』と呼ばれるだろう。悪い意味では『暴君』や『独裁者』と言われるだろう。最悪は『裸の王様』だろう。

なかなか『カリスマ』と呼ばれるトップは少ない。おそらく戦後の日本で大会社を創業した方々に多くはその称号が与えられているのだろう。トヨタ、Panasonic、SONY、ホンダ等。しかし親会社のトップは最近はそれに近い。しかも創業社長ではなく、創業家でもなく、創業家から経営を任され、15年以上トップに君臨しておられるのだから・・・。

おそらく、カリスマと言われる方々には、その人間の器と言うか大きさがあったのだと思う。そうトップであっても部下や外部の多くの意見を聞く耳を持っていたのだと思う。これは大変重要だ。つまりカリスマと言われるトップにはおそらく周りに多くのブレーンがいたと思う。つまりブレーンの言う事を理解し実行できるからカリスマとなれたのではないかと私は思う。つまり組織を構成する構成員とトップとの信頼関係と言う事になる。会社組織では、これが一番重要と思う。

今回の話はこれだ。そう、当社のトップは、部下の言う事を聞かない。上記で述べた様な会議でこれが如実にあらわれる。先週の会議でも残念ながら、私は期待を裏切られた。私は別にトップに理想を求めている訳ではない。トップとて人間だから、間違いはあるだろうし、好き嫌いはあるだろう。しかしそれも度を超すと問題だ。会社が上手くいっている間は良いが。もちろん当社の背景が、トップの進め方に影響を与えているのはあるだろうが、それにしても好き嫌いの激しい人だ。その内に誰も何も言わなくなってしまうだろう。今でもそれに近い。何か指摘するのは、私と何人かの出向者の方だけだ。つまりこう言う状態が問題と言う事になる。トップに何か言っても・・・。となる事自体が。

当社のトップだけでなく、親会社の管理部門のトップも疑問だ。組織として部下との、お互いに信頼関係があるのだろうか?これを私が思う事自体が既に、問題だ。今更私が考えても仕方がないような気もする。しかし、組織のトップは常に聞く耳を持つ事が重要だと今更に思う。そうでなければ、何時か裸の王様になるか梯子を外されるだけとなるだろう!

最も梯子を必要とする所へは登らないと言う事になり、物事が何も進まなくなる事態もありえるだろう。現実にはこれが一番多いだろう。つまり簡単には裸の王様にはならないし、もちろん梯子を外されるのが怖いので、そう言うリスクは回避するからだ。従って事が先へ進まないと言うのが多くの場合、正解だろう。それでは何の為に会社にいて仕事をするのだろうか?もうこれを考えると、先が暗い。と言うかもう、先が私にはない気がする。


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