大晦日の日、どうも下痢でお腹がおかしかった。38℃だった。最後の日だと言うのに・・・。と言う事で大晦日は一年の最後に日と言うのに、殆ど寝ていた。一日の大半を布団で過ごせば、夜が来ても眠れない。しかし体は熱があり、寒気がして、起きていられない。紅白歌合戦は最後まで見ずに寝た。が、眠れない。と言う事で、初めての経験となった(と思う)が、新年を全く眠れなく迎えた。殆ど寝ていない。と思ったが、奥様に言わせると、私のいびきで起きたよ!との事なので、少しは寝たらしい。しかし眠らない夜と言うのはさすがにこたえた。しかも大晦日に。
そして、無事一日で回復したので、初詣に行く事にした。
しかし今年の正月は、まず当たり前だが、年賀状と言う修行と言うか恒例の行事をしなければならない。そう当家は先んじて年賀状を昨年末までに出す事はしていない。が来ることは予測しているので、元旦は、それを返さなければならない。しかも形式的に、パソコンなどの宛名書きソフトを使って、自動で何もしないで返す事などはしない。つまり返す相手に合うように年賀状のデザインを変えて、一言書き添えて返す事にしている。
しかし、それだからこそ、毎年考えるが、宛名書きソフトで、毎年自動的に処理できる年賀状に何の意味があるのだろうか?と思うが、それでも今年来たハガキを見ると、その写真やメッセージに意味はあると理解はしている。
しかし、私や奥様に来た年賀状の宛名書きに直筆が入っていたのは、数枚だった。それはおそらく年賀状を届けるという意味において宛名の直筆には意味と言うか価値がなくなったのだろうか?
しかし、私や奥様はこれだけは直筆で返した。
全く自動で処理された年賀状にも意味はあると思うが、形式的な年賀状には何の意味があるのだろうか?と毎年考えながら、それでも意味がある年賀状があるのを期待したい。
年賀状は、私が考えるに、今のソーシャルネットワーク(facebook等)と同じように、個人の個性の表現の場であったと思う。昔はと言う事になるが。そう先進的な日本のメディアだっと。今はと言うとまるで今のfacebookとは言わないが、形式ばった・・・。何の意味があるのだろうか?それでも意味はあるが・・・。
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