社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

出向先への引越しその2(最後の事務所からの引越し)

2009-05-15 21:55:45 | 日記

出向先への引越しの続きである。つまり前回の4月28日に引越したが、実は本社の倉庫やその他の書庫にも書類が残っており、元の部門も20Fから18Fへ引越しする為、その前に処理してくれとの事だった。つまり前回で私は終わりと思っていたが、終わってはいなかった。

その整理の為に12日、13日と営業と技術の部下が、本社に行き整理した。昨日の当日話を聞くと、管理の書類のダンボールを外部預かり業者に出すための移動と、出向先へのダンボールの数がどうも前回と同じぐらいあるらしく、それを全て、業者ではなく、自分達でやらなければならないらしい。しかもその整理に前日終電まで掛かったとの事。

出向先の会社からバンタイプの自動車を出してもらい、何回か往復して持ち込み、同時に上述の外部業者へのダンボール箱の移動もやらないとならない。その話を聞いた時に心配になった。先輩の方も行くとの事だが、私も行く事にした。

結果その力作業に流石に疲れたが、私が行かなければ大変な事になっていたと後悔しなくて済んだ。

つまり本社の男性の方は誰も手伝ってくれなかった。もちろん仕事と元部署の移動を控えて、自分達も精一杯であった為、全て行った4人でやらなければならなかった。

下記の2つの作業を昨日中に処理する為には、出向先の若手の手を借りる必要があると直ぐ判断し、出向先の企画課長に電話し、ヘルプを要請した。

1)出向先に運ぶダンボール23箱:バンに一回で入らない為、2から3回の往復となると予想。

2)外部倉庫に預かって貰う為に、20Fから19Fの指定の場所にダンボール箱を移動:76箱(最終)

最初に上記1)を2台の台車を使用しB2Fに下ろし、本社に行った人間は、そのまま残り、運転手一人で出向先の会社に戻ってもらう。会社に着いたら、荷物を下ろし、直ぐバンを運転して戻る。上述した、段ボール箱の荷揚げは依頼した若手の人の頼む。

車が帰ってくる間に上記2)の作業をせっせと、やり、車が帰って来たら、今度は先ほど同様に1)の作業を再度行う。

と言う事で、指示を出し、結果先輩の方(68歳)と私と、まだ病人の若手一人+もう一人の若手の4人で全ての作業を行なった。流石に私も疲れたが、68歳の先輩の方自ら箱を運んで貰ったのには誠に申し訳なく、先輩曰く、病人ばかりなのだから仕方ないだろと屈強な所を見せて貰えた。ありがたいと同時に、寂しくなった。殆ど人もいなかったが、しから、いくらなんでも隣の同じグループの方々が手伝って貰えるとは思ったが、何ともやるせない気分を味わった。

変わりに、出向先の若手の方は気楽に運転手と2人の方が、上述したように、手伝ってくれ、複雑な思いを旨に、帰って来た車で、本社を後にした。

勿論、一緒に仕事をしてきたグループの女性の方は、色々手伝って貰い、感謝している。それ以外は、余り未練の無いような割れ際となった。

もっとも私のもといたグループのみんなは暖かく迎えてはくれたが・・・。本当にこれが最後の引越しであり、何とも言えない状況に唖然とすると同時に、部門が置かれている状況を再認識した。部屋中にダンバール箱が置かれ、書類を整理されている方がいると同時に窓側では幹部の方が、机に座ってPCの前で仕事されているアンバランスな私が過去何回も見てきた風景がそこにも存在した。

まだ病気中の部下が、バンの運転手に飲み物を買ってやるのを見て、すぐ私がポケットマネーを出した。会社に戻り、また手伝ってくれた方への飲み物をまた買おうとする部下にまたポケットマネーを出した。なかなか気の付く部下である。結果その手伝ってくれた若手の方と知り合いになれた事が多きい。

振り返ると結果、前回の50箱を加えると大変な数の書類が残っていた事になる。上述した箱数を足すと50+76+23=149個のダンボールとなる。

今回の移動だけでも、台車1台には6個しか詰めない。2台で12個となる。従って、結果20Fからの移動を8回以上も行なった事になる。

流石に、会社に戻ったら、疲れて、当日の整理は止めた。大先輩の慰労を兼ねて二人で帰りに少し飲んで帰った。


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