先日、月一開催の会議があった。会社の全支店の幹部社員を集めての開催だ。最も私にとっては月一だが、各支店の方にしてみるとそうではない。つまり、各支店は責任となる担当人数が限られている為、どうしても兼任となるからだ。そうなんでも支店長が兼任とならざるを得ない。
そう言う会議を全国から招集する当社の社長も効率等は全く考えていない。その目的は別の所にある。最もその社長の首も長くは無いので、これ以上私が何か言う話でもない。
さて、久しぶりにある支店長と話をした。
支店長曰く「最近もう本社の会議に呼び出されて参加するのがシンドイ」との事。
私が「ひょっとして今58ですか?」と質問すると、
支店長曰く「そうや。あと一年でやめて、最後の一年はのんびりしたい」と言われた。
これには、私は流石に驚いた。このような発言(意見や考え方)は始めてだった。そうかなるほど、こう言う考え方もあるのだと感心した。普通は定年つまり60歳まで働くが、一年早くやめて、最後の一年はのんびりするという考え方に。しかし少し考えて、
その支店長に言った「それなら、1年早くつまり最後の一年ではなく、2年ゆっくりするのでも良いのでは?」と。
そうすると支店長曰く「2年は長い。する事がなくなる」と答えられた・・・。
私「???」
さて、この意味はなんだろうか?
この支店長は60歳が終わりではないのか?60以降も仕事をするつもりなのだろうか?それなら何も1年とか2年とかは余り意味がないのではないかと思った。がやはり60歳と言うのはどうも意味がありそうだ。一つの人生の区切りとしての60歳。その後も働くかどうかは別にして・・・。
先日も70オーバーの大先輩と昼食をしながら話をした。
私曰く「なぜ60歳以降も皆働くのですか?」
大先輩曰く「それは金が足りないからだ」
私曰く「一部上場企業の方なら十分な貯金と退職金があるでしょう!」と言うと
大先輩曰く「貯金が3,000万円あれば、裕福に暮らせると言うが、そんなものはすぐなくなる。60歳から70までの10年で3,000万などアット言う間だ。家のリフォームや車の維持などで・・・」
大先輩は、おそらく3,000万円ぐらいの資産があったと予測出来る。それは定年までの預金や退職金で。芦屋の自宅の不動産価値は含めないで・・・。しかし現実はやはり厳しかったと言うことになるのだろうか?65歳をすぎれば年金も満額もらえたはずなので、相当裕福な方だったと思えるのだが・・・。なぜ70を越えても働かれているのだろうか?お金?それともする事がない?やはりお金なのだろうか?
私曰く「話は変わりますが、1月のお小遣いは5万円あれば十分ですよね?」
大先輩曰く「アホー、5万円で足りる訳が無いだろう。ゴルフを月3回。会員でも3万以上掛かる。付き合いもあるし・・・」
大先輩曰く「友人の話だが、月一回会うが、晩飯だけ。1千円もしない。もちろんワリカンだ・・・。???そいつは1億円の資産がある。車はベンツだ。靴も一足数万円。その靴の修理に8千円。でも良い物を長く使うそうだ。決してケチではない。使う時は使うと言う事だが・・・。」
おそらくこれは極端な例だと思う。資産があるが質素に生活するのは良いことだと思うし、それをとやかく言うつもりはない。
大先輩は良く友人の話を出される。が自分としてはどうだとは決して言われない。
しかし言外にやはりお金が欲しい。そして他に何もする事はない。もちろん地域のコミュニケーション等の地盤は無いと言うのが現実の様だ。
この会議で、元上司と久しぶりに雑談した。その上司は私を決して昇進させる事はなかった。その気もなかったし、他の部下も大半そうだった。そして今となっては、どうでも良い。
私曰く「もうゆっくりされてはどうですか?好きな事を存分にされては?」
元上司曰く「お金がない。女房はお金を持っているが・・・」
これが本音だろうか?いや実は本音かも知れない。会社を一旦退社して、週3日の出社。家での生活も慣れてきたら、やはり個人で使えるお金が無いということになるのだろう。何をするにもお金は必要だ。いったいいくら必要かは知らない。
私の所の大先輩は3,000万円では足らないと言ったが、上を見れはきりがない。3,000万円と言えば、大金だ。足らないはずがない。なんとかなるレベルだと思うが・・・。そのお金を貯めるのを考えると長い時間が掛かる。それを知っても使うのは早いのだろうか???
定年後は何をするか?を別にして、やはり定年はある意味特殊な意味を持つ。そう定年の1年前に退職して、のんびり1年を過ごしたい。これは斬新な考え方だと思う。そして定年になったらまた新しい人生を歩き始める。やはりそこには仕事があるのだろうか?
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