朝日新聞2011年11月5日(土)のbe between「諦めなければ夢はかなう?」のアンケート結果に興味を持った。
「諦めなければ夢はかなう?」 はい:54% その理由は?
いいえ:46% その理由は?
全員が答えました「諦めた」夢がある? ある:62% どんな夢を諦めた?
全員が答えました「諦めずにかなえた」夢がある? ある:50% どんな夢がかなった?
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「諦めなければ夢はかなう?」に対するアンケート結果はある程度予想できた答えとなっている。つまり「はい」は教育的・理想論的・根性論的そして模範的な答えであり、「いいえ」は現実を踏まえたごく普通の答えであり、どちらもある意味正しい。最もその使い方と夢をどうイメージするかによっていろいろな回答があると思うのだが・・・。
しかし世の中は、公平・平等には決してできていない。不平等な世界だ。そして夢が限られた、選択された順位を伴い人数を競うものである場合には、それは限られた方しか実現できない。つまり「諦めなければ夢はかなう?」とは決してならない。限られた方だけの世界だ。その他の方が夢を実現する事は決してない。
さて、こんなことを言っても始まらないが、アンケートの答え、「諦めた夢」と「かなえた夢」を見るとどちらにも同じ事が回答されている。そう「職業」と「学業」だ。これもあまりにも当たり前の身近の答えだ。
私のちいさな頃の夢はマンガの影響もあり、「科学者」になる事だった。それは途中で「医者」へと変わったが、どんどん現実の世界で、大学の選択と就職つまり会社の選択をする上で、どんどん選択肢がなくなって行った。結婚し、子供ができ、更にこの選択肢が狭くなったのは事実だ。そして気が付けば殆ど人生の大半を過ごし、定年も近い。そして振り返ると夢は????
物は考えようで、夢とはなんだろう?
今考えると夢のあり方とはいろいろあるとは思うが、私の場合は、親から早く独立したかった。早くひとり立ちしたかった。そして独立したとたん、一人で暮らす孤独から決別したかった。
そして私は奥様と出会った。結婚すると決めた時に、描いたのは、自分の家を持つ事だった。そしてそれは、結婚半年後に長男ができた時に実行にうつした。かなり無謀な決断だった。自分の給料の半分をローンに回すと言う飛んでもない方法で。
そしてその後は、仕事に追われ、夢はいつの間にか子供への成長の楽しみへと変わっていった。しかしこれも考えようによっては夢の実現ではないだろうか?素朴な夢、当たり前の様な事でも考え方一つが夢なのではないのだろうか?
それが、上記のアンケートの答えになっていると思う。ごく身近な目標や要望がそのまま夢であり、それをかなえられた方もいればかなえられなかった方もいる。当たり前の様で当たり前ではない現実それが今の現実なのだろう。余りにも厳しい就職。結婚できない若者。これは昔は当たり前のような事だったかも知れないが、今では夢となる厳しい現実なのだろうか?
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