社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

定年が近くなると、学生時代の同窓生と付き合い始める?

2011-02-12 15:36:03 | セカンドライフ

先日の飲み会(ここ半年間、毎月歓送迎会が開催されている)で、大先輩と後輩達と話していたら、また同じ様な話が出て来た。大先輩は私より一回り以上お歳で、後輩達は、私より一回り以上下だ。しかし同じ事らしい。

昔の上司の話で、その方は奥様と長渕剛やコブクロのコンサートツアーにご一緒されていた。そう定年を迎えられた後の話だが。現役の時に仕事一筋だった為、定年後は奥様孝行をすると話しされていた。

さて、この大先輩と後輩たちは、自分の奥様とコンサート等に行った事がないらしい。寝るのも別の部屋、テレビも別、趣味も違うし・・・。分からない事もないが、やはりわからない。大先輩の世代からすれば、それは仕方がないかもしれない。しかし後輩たちは違うだろうと言いたいが、どうも同じ様だ。マアーそれぞれ色々考え方があるだろうから、よしあしではないだろう。

そして、大先輩に、昔の上司がそう言えば言っていましたが「定年が近づくと、昔の学生時代の同窓生と付き合いが多くなる」と。そうすると大先輩も同様に、「そうだ。大学はもとより、高校や小学生の時の同窓会を良くやる。特に小学時代の同窓生と良く話ができる」との事。「そんな、よく名前を覚えていますね」と言うと「覚えている」との事。「話も合う」との事。

私は理解不能だ。これはどちらかと言うと私の方が特殊なのだろう。

中学卒業 -> 高校(地元を離れ、鹿児島市内に下宿。しかも住んでいた町と中学に通っていた町が異なる)。同窓会が開催され、極力でる様にはしていた。

高校卒業 -> 大学(鹿児島を離れ、東京に。これが決定的に中学同窓生との付き合いが無くなる元になった。更に高校の同窓生とはそれ程密ではなかった為に、中学と高校の同窓生との付き合いが私には殆どない。最も高校の時の友人が一人おり、彼とはずっと年賀状を出して連絡している。マアー一人いればよいかと思う。

と言う私の特殊事情と昔の時代、そして生活する地域つまり距離(鹿児島と東京)が、高校までの同窓生の関係を見事に切ってくれている。これは良い事か悪い事かは分からない。しかし、現実的に私が、鹿児島にいない為、別に支障はない。そして大学時代+定年までの41年間をワープしてわざわざ無理をして戻る必要もないだろう。無理しなくともそれが必要であれば、必然的に出会いがあるだろう。

大学時代の同窓生とは同期の一人が、幹事をずっとやってくれている事から、今の世の中で言えば電子メールでの連絡が定期的(その幹事次第だが・・・)にはとれている。卒業後も何回か同窓会を行っている。もちろん東京なので今は出席する事はできないが、マアー大学の同窓生とはなかなか良いものでおそらく、同じ付き合いが最後まで続くのだろう。

大先輩の話に戻る。

通常、小学 -> 中学 -> 高校 -> 大学 -> 会社 -> 定年退職したら何処に戻る???と言う様な事なのだろか?

これは何を意味するのだろうか?おそらく小学(幼稚園からかも知れない)から人生がスタートし、後の全て段階で、自分の存在するつまりいる場所が決まっていたのだ言う事だ。学校であれば、そのクラスメイトと、先生と言う特別な位置の方もいるが、会社であれば、同僚と、そして上司と言う特別な位置の方もいるが・・・。

つまり小学校をスタートして、会社まで来て、生活する場は常に決まっていた。生活する場所とは自分の存在する場所であり、存在意味のある場所となる。会社を卒業後、つまり定年後は、自分の決められた(誰かが決めてくれる)場所(いて良い場所。存在する意味を周りが理解してくれる場所)がないのだ。そして一般的には退職後、元の会社特に元の部署の方々と付き合う事はどんどん少なくなっていく。現役の方に気を使って・・・。

そう会社関係の付き合いが無くなれば、誰と付き合うのか?そう上記の様に元に戻っていく事になる。大学、高校、中学、小学の同窓生と。これはある意味必然なのかも知れない。そして小学の同窓生との付き合いとは、これこそ千差万別の世界ではないのだろうか。そう大先輩の言っている話が合うと言うより、千差万別の世界だから、元々話が合わなくても良いのではないかと思う。

つまり小学、中学、高校、大学とはどんどん、千差万別の世界から、どんどんレベルが限られて行った世界ではないだろうか?そう、どんどん上に行くほど「類は友を呼ぶ」的に、能力が似て、将来も同じ様になっているのではないだろうか?特に大学の同窓生だと、たとえば大半が業界や職種は違ってもサラリーマンだろう。課長や部長等差があっても。しかし小学校の同窓生は私にも予測がつかない。どんな会社人生を暮らしてこられたのか?そこには新しい面白さがある気がする。が私の住んでいる所には昔の同窓生がいない為、話をする事ができない。いるかも知れないが、私が知らないだけかも知れない。


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