社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

長男の結婚式その4(親父達や私の兄弟のフォロー)

2009-10-19 21:37:53 | 日記

長男の結婚式その3(息子の友人に貸したデジタル一眼レフ)のつづきである。当日も、披露宴後久しぶりに会った、親父夫婦と兄弟を一同に、ホテルの近くで飲む事になった。

当然と言うかよくわからないが、披露宴での祝い金を全て内の奥様が、持参していたのでそのまま先に帰宅させ、新婦(長男)と新郎は、20:00からの2次会へと披露宴の服のまま出かけて行った。

久しぶりの親族の飲み会で色々あったが、結局当日の晩も親父の部屋により、23:00まで、色々話する事になった。親父も私もそろそろ、体力の限界と言うか睡眠時間の限界に近づいている。とは言っても、せっかく大阪に来たので明日は、ノンビリして、一泊して翌日つまり19日(月)に帰る事になった。

DSCF1726.jpg DSCF1727.jpg 大阪城からの周辺の撮影
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左:大阪城からの周辺の撮影

右:山里口出舛型から大阪城を撮影

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左:山里口出舛型

右:上記からの大阪城の撮影。

DSCF1737.jpg DSCF1744.jpg 当日に開催されていた、『大阪大道芸人フェスティバル』が開催されており、かなりの人気を博していた。
DSCF1745.jpg DSCF1747.jpg       〃
DSCF1752.jpg DSCF1754.jpg 日本庭園の撮影。
DSCF1756.jpg DSCF1758.jpg タイムカプセルを前に大阪城を撮影。右はタイムカプセルの右から撮影。
DSCF1761.jpg DSCF1763.jpg 大阪城で、菊展が開催されていた。
DSCF4035.jpg DSCF4046.jpg 右はタイムカプセル

さて18日(日)に電話がホテルのいとこからあり、とりあえずチェックアウトして貰い、大阪城に向うとの事。流石に招待したのは私なので、親父達の面倒を見る必要があり、18日(日)は奥様のコーラスグループの単独公園があり、毎年カメラマンの役を担っていたが、奥様が今回の事を予測しており、大丈夫との事で、今年は抜けさせて貰う事にして、大阪城に向う事にした。

晴天の日曜日、しかも秋である。大阪城に着いてみると、公園の周りは運動している人や、多くの観光客、特に高齢(失礼だが)者のいつでも来れる人たちが何故?と思うぐらい、大変な人だった。しかも手にしているデジカメをみると、定年退職したお年寄り程、すさまじい程の一眼レフのセット(望遠キット+3脚等)を持って、撮影されていたが、それだけデジタル一眼レフが安くなり、且つ定年後の趣味に合うのだろう。カメラクラブの会合の開催されており、その気合は凄いと思った。

ところで、せっかく大阪城に行くのならと言う事で、デジカメを持って行って写真を撮ろうと思ったが、2台の一眼レフは息子達の結婚式の為に貸したままだった。ウーンと考えて、充電されている(と思われる)デジカメの2機種、結局FUJIのFinePix S6000fdと F30の二つを持って出かけた。

10 DSCF4048.jpg DSCF4056.jpg

左:タイムカプセルの記念碑

右及び下は、大阪城とJR大阪城公園駅をむすぶ、電車。

大人200円、70歳以上は100円。200円だとJRや私鉄にしても大分高いが、楽と言えば楽だが、親父達と一緒で無ければ、乗る事は無いだろう。

 

11 DSCF4058.jpg DSCF4062.jpg 健康的な見地からすると、大阪城から、JR大阪上へは歩くべきであるし、それ位の体力がなければと考えながら、84歳の親父の歳を考えると、これも仕方がないと思った。

大阪城と言うと、大阪では最も著名となると思うが、既に私は、過去ホームスティや仕事関係で何回も大阪城の天守閣まで登っている為、今回は最初からこの天守閣まで登る気はなく、チケットの入り口で待つと電話して行った。

結局、鹿児島の親父夫婦、兄貴夫婦と神奈川からの従兄弟夫婦の6人が大阪城に来ていたらしいが、天守閣まで登ったのは、神奈川の従兄弟と鹿児島からの親父の奥さんの二人だけだったらしい。他はおそらく何回か来ているか、興味がないかのどちらかであっただろうが、とりあえず皆で合流して、昼食を皆でまた、食べた。

その後、とりあえず荷物を大阪駅のロッカーに預けてあるとの事で、大阪駅まで行った。さて、これが問題で皆、どこのロッカーかが分からない。とりあえず、鹿児島の兄はあとは勝手に伊丹空港に行って帰るので、さよならしたが、大阪駅の北口と言えばおそらく御堂筋側になると、思うのだが、桜田門の方に行ったようだ???最後はどうなったかはわからない。

神奈川の従兄弟夫婦と鹿児島からの親父夫婦のロッカーを探し当て、新大阪に向う事にした。神奈川の従兄弟夫婦は、18日(日)の新幹線で帰るとの事で、わざわざ新大阪に行ってもらったが、新大阪駅で、すぐ別れた。

まだ新幹線の時間までは時間があり、親父や私に気を使って、わざわざ大阪城や、新大阪まで付き合ってくれたが、後は私に任せて、おそらく新大阪や、場合によっては大阪に戻って、やりたい事があったに違いない。別れた時から、帰りの新幹線の時間まで3時間ぐらいの余裕があったはずである。従兄弟夫婦に申し訳ないと思いながら、残り少しの時間で自由な観光をする事が出来ればよいと祈ったが・・・。

親父夫婦の切符をまず予約する事にした。新大阪 -> 博多 -> 新八代 -> 鹿児島中央駅までの乗り継ぎ時間を確認しながら、切符の予約を全てJRのやさしい若い男性職員と対話しながら行い、無事をすませた。

次は新大阪駅で最も近いホテルの確保であるが、これも上記職員の紹介してくれた目の前の案内センターに行き、ほぼ駅に直結の、ホテル『ラフォーレ』を予約する事にした。もっともこの案内所が最初に提示したのは、二人で約30,000円で、実際は電話してみないとわからないだったが、結果何と半額の14,800円だった。これは、交通の便もよく、大阪のホテル(結婚式場)の『モントレ』より、遥かに安く、且つ広々としていた。かつホテルに着くと、このホテルの支配人?の方が両親が鹿児島の方で、知覧町の話をされており、重い荷物を、いくつか持って来ていたが、宅急便で送る事を提案され、結果大分楽に鹿児島に返れそうになり、18日(日)は残りノンビリして欲しいと、私はホテルを後にした。

これで、とりあえず何とか、結婚式にまつわる招待いした親族の後処理は何とか終わりそうである。

16日(金)は22:30に大阪のホテル -> 眠ったのは3:00頃 17日(土)は23:00で大阪のホテル -> 眠ったのは3:00頃 18日(日)は16:30で新大阪のホテル -> 眠ったのは??? -> 実は風呂で眠っていたらしい!!! 奥様に「気をつけないと死んじゃうよ!」と言われた。ここ半年余り、出向してからもそうだが、睡眠不足が、最大の課題のようだ。

と言う事で、今回の息子の結婚式で、殆どの精力を使い果たした気がするし、一方でこの日を一つの目標として来たのは確かだと思う。なぜなら、これで一つの区切りが完全についたような気がする。

娘の問題はあるが、一人ぐらいいくらでも食わせてやれるが、次の課題ではある。それと私が仕事で引き続き頑張るかどうかは、別問題と考えている。

何れにしても、息子の結婚式で、私の人生としての大きな節目を過ぎ、一つの目標が終わった事を今回で実感した。


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