社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

二代目タイガーマスク三沢光晴氏の死亡

2009-06-17 07:29:22 | 日記

2代目タイガーマスク三沢光晴氏が6月の13日の広島県立総合体育館で開催されていた「プロレスリング・ノア」のタッグマッチの試合中、8時45分頃に、倒れ救急車で病院に運ばれたが、午後10時10分に死亡が確認されたとの事。非常に残念である。 (出典:朝日新聞の記事より。下記写真も同様)

三沢光晴死亡.jpg

実は、ここ10年余り、プロレスや格闘系のTV観戦が少なくなっていたが、古くは、私が小学生の頃、格闘系のTV番組が好きで力道山のプロレスに始まり、キックボクシング、プロ空手(マーシャルアーツ)も見ながら、女子プロレスも含めてその後もずっとプロレスを見続けてきた。

日本では今でこそ、プロレスの団体が多く存在し、地域での活躍も目覚しいようであるが、力道山以降は3つの団体にわかれ、特に二人のビッグスターがその主役を長年占めてきたが、そのビッグスターが交わる(交流する)事はなかった。三つの団体とは全日本プロレス(ジャイアント馬場(故人))、新日本プロレス(アントニオ猪木)、国際プロレス(ストロング小林)であり、経営難に陥り、フリーとなったストロング小林とアントニオ猪木の大勝負は、高校の時にワクワクしてTVで見たものだった

あまり、この辺の歴史を話すると長くなる為、詳細は省くが、2代目タイガーマスク三沢光晴氏は、全日本プロレスの系統となる。つまり、ジャイアント馬場(故人) -> ジャンボ鶴田(故人)+天龍源一郎 -> 三沢+川田への流れの中で、後継者であったジャンボ鶴田氏の病とジャイアント馬場氏が亡くなり、新日本からの長州力の参戦を経て、全日本四天王の時代の到来となるが、俗に言うお家騒動と言うか(詳細省略)、三沢氏の新しい団体「ノア」の立ち上げで、全日本から大量離脱となり、全日本プロレスに危機が訪れる。モットも新日本からの三銃士の参戦により、更に入り乱れてのプロレス戦国時代?の到来となるが・・・。

さて、小学生の頃は、プロレスに関しては、真剣勝負のワクワクする、結果がどうなるだろうと常に興奮して見ていた物であるが、次第にプロレスとは何ぞや?に付いて、わかるようになってくると、逆にその危険さとエンターティンメント性に改めて、興奮して見るようになった。

アメリカのプロレスの成功とは別に日本では、ある時期から低迷期を迎えるが、その大きな違いは、このプロレスの本質を、アメリカはオープン(プロレスはエンターティンメントだと名言)し、日本ではしなかった(つまりプロレスは真剣勝負と固持した)事が、大きな点であった。

私的には、今でもアメリカの成功したプロレスをみるより、日本のプロレスの方が遥かに面白い。なぜかと言えば、アメリカのプロレスは余りにもエンターティンメント性が強すぎて、格闘系とは言えない(言えなくもないが)、シナリオに沿った劇を見るようなものである。

この辺の事情は、簡単に言えば、プロといわれるスポーツにプロレスの記事が載らない事から用意に推察できると思うが・・・。つまり、プロボクシングや極心空手などの世界大会や選手権は記事になるが、プロレスリングが記事に載ることはないからでもある。

一方、日本のプロレスは、逆を言えば、シナリオは有るだろうが、受ける、攻撃するを見るに、大変なリスクを持つ危険な技の応酬になっている。相手を引き立たせ、自分も引き立つ為の熾烈な練習の上に成り立っている、非常に危険なエンターティンメントであるからである。だからこそ、その魅力に、はまるのであるが、余りにも危険が多いのも確かであり、結果今回のような事故が起きたのも致し方ないが、それは、老獪な三沢光晴氏で有っても避けられなかったと言う事であり、一瞬でも手を抜けば死を招く世界であると理解する。もちろん手を抜くような氏ではないと思うが、年齢や、体調にもよるだろうし、今回の不幸が、重ならない事と今回の事がプロレスの隆盛に影響を与えない事に期待したい。

私の中には、既に2代目タイガーマスクの呼称は必要なく、三沢氏と川田氏の死闘の数々が頭をよぎる。

一時代を気づいた、三沢光晴氏のご冥福を心からお祈りしたい。


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